あいさつ雑感

まえがき

あいさつの魔法

                              ♪こんにちは(こんにちワン)
                     ありがとう(ありがとウサギ)
                              こんばんは
(こんばんワニ)
                              さようなら(さよなライオン)
                              まほうのことばで
                              たのしいなかまがポポポポ〜ン
                              おはよう(おはよウナギ)
                              いただきます(いただきマウス)
                              いってきます(いってきまスカンク)
                     ただいま(ただいマンボウ)
                              ごちそうさま(ごちそうさマウス)
                              おやすみなさい(おやすみなサイ)
                     あいさつするたび ともだちふえるね
                              ♪AC

東日本大震災後、テレビなどメデァで盛んに流されているみなさんおなじみのCMです。正しくは、ACジャパンの2010年度全国キャンペーンコマーシャルソング「あいさつの魔法」です。HPを見るとコメントに『挨拶の励行を、低学年までを対象に企画しました。挨拶をするたびユニークで楽しいキャラクターが登場し、友だちが増えていく様を、歌とアニメーションで表現。挨拶は楽しいこと、友だちが増えるのは素敵なこと、というメッセージをこども達の心に届けます。』とありました。
先の大震災では日本人の礼儀正しさや思いやりのある言動が全世界から賞賛されました。挨拶は言うまでもなく最も基本的は礼儀作法の一つであり、コミュニケーションスキルとしてもたいへん重要なものの一つです。最も基本的ということは簡単で易しいはずですが、職場などでは挨拶が出来ない新入社員が多いなどという苦情はよく聞く話です。また、日本の挨拶は結構複雑で奥が深い面があり、これを完璧にこなすことは至難の技です。そこで今回のテーマは「あいさつ雑感」として、社会や職場で必要な挨拶の基本を気のつくまま整理してみました。

1.「挨拶」の語源

 挨拶」の語源は禅宗の「一挨一拶」からきていると言われています。禅宗では「修行者たちがお互いの悟りや知識見識等の深さ浅さを確認する」禅問答が行われますが、この行為を「一挨一拶」と言います。この「一挨一拶」が一般に広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを「挨拶」と言うようになりました。ちなみに、「挨拶」は禅学大辞典によれば、@「挨」は積極的に迫っていくこと。「拶」は切り込んでいくこと。A修行者が師家(禅の指導者)に問題を持ちかけて答えを求めること。B 師家(禅の指導者)が僧と問答をしてその力量を測ること、とあります。

2.挨拶語いろいろ

あいさつのための言葉を挨拶語といいます。代表的なものを次に挙げてみました。
朝の挨拶:『おはよう』(『おはようございます』)
日中の挨拶:『こんにちは』
夜間の挨拶:『こんばんは』「こんばんは〜」が簡素化されたので「こんばんわ」は間違い)
出かける人の挨拶:いってまいります
出かける人を送り出す挨拶:いってらっしゃい(ませ)』
訪問宅での挨拶:ごめんください(ませ)

初めての相手に対する挨拶:はじめまして
帰宅した人の挨拶:『ただいま』
帰宅した人を迎える人の挨拶:『おかえりなさい』
食事を始めるときの挨拶:いただきます
食事を終わるときの挨拶:ごちそうさま(ごちそうさまでした)
訪問先を下がるときの挨拶:『しつれいします』
謝罪のとき:ごめんなさい』、しつれいしました

相手と別れるとき:さよなら』・『さようならおげんきで(ではおげんきで)では、また
感謝の意を伝えるとき:『ありがとう』(『ありがとうございます』『ありがとうございました』)「有難う」と書くように有ることが難いという意味から滅多にない、貴重であることからきた言葉)
病気の相手と別れるときに:おだいじに
相手に依頼するとき:おねがいします』。よろしく(『どうぞよろしく』)
祝意を表すとき:おめでとう(『おめでとうございます)
就寝するとき:おやすみなさい
依頼をするとき:よろしく』・『(どうぞよろしく)
依頼を承諾したとき:かしこまりました
相手が想っているほど私の行為はたいしたことはありませんいいえどういたしまして』
相手自分のためにしてくれる行為に対して申し訳ないと想うとき:『おそれいります』
謝意を伝えるとき:『すみません』、『申し訳ございません』
相手の動作を中断させるとき:『失礼いたします』
相手の労をねぎらうとき:『お疲れ様でした』(ご苦労様は目下の人へかける言葉なのでNG)
取引先などの外部の人へ:『いつもお世話になっております』
その場を先に抜け出すときなど:『お先に失礼します』
 以上、良く使われる挨拶語を列挙しましたが、他にもいろいろ興味深い挨拶語があります。いくつか挙げてみます。
『やあやあ』辞書には男性が久し振りに会ったたときなどに使われる挨拶語で、相手に対する感謝・お礼の意味で使われる」とされています。

『どうもどうも』どんな時でも使えるのではないかと思えるくらい汎用性のある挨拶語で、それだけにとらえどころがない言葉でいかにも日本語らしい日本語です。もっともこの言葉も男性は使うが女性はほとんど使いません。この言葉を聞くと田中角栄元総理を思い浮かべる人も多いと思います。あの人懐っこい笑顔で「やあやあ」「どうもどうも」とやられるとたいていの人は心を許してしまったといいます。NETに次のようなものがありました。「やあやあ」を良く言当てていて面白いので引用させてもらいました。

  大連のタクシー運転手で片言の日本語を話す40歳代の中国人男性から聞いた話だが、なるほど面白いと思ったので紹介しておこう。開発区から市内に行くときなど、時々呼び出して使っていたタクシーだ。

以前日本人から教えてもらった言葉だそうだが、それは
「どうもどうも」という一言だ。
「どうもどうも」の一言さえ覚えておけば、日本人とのあいさつの7割はこなせる、というのだ。
聞いた瞬間は、「何を言っているんだこいつは!」と面食らったが、よくよく話を聞いてみると「なるほど、面白い」に変わった。多少脚色はつけたが、次のようなことだ。
朝:「どうもどうも」と片手を振れば、「おはよう」の代わりになる。
昼:「どうもどうも」と笑顔を振りまけば、「こんにちは」の代わりになる。
夜:「どうもどうも」と手を差し出せば、「こんばんは」の代わりになる。
失敗した時:「どうもどうも」と首を垂れれば、「ごめんなさい」の代わりになる。
久しぶりに会った時:「どうもどうも」と握手をすれば、「いやぁ、久しぶり」の代わりになる。
困惑した時:「どうもどうも」と首をかしげると、「困ったな」の代わりになる。
相手から感謝された時:「どうもどうも」と頭をかけば、照れ隠しの「どういたしまして」の雰囲気。
何かを頼んで完了した時:「どうもどうも」と握手をすれば「ありがとう、ご苦労様」の意思が伝わる。
とにかく、相手と何らかのコミュニケーションをとろうとするとき、意思表示の表情や態度と組み合わせて「どうもどうも」と言えば、70%は何とかなる。
「う〜ん、なるほど」と思いませんか?

(http://huaihua.blog5.fc2.com/blog-entry-752.htmlより)

おかげさまで・・・この言葉も一見あいまいな挨拶語です。「おかげさま・・・」誰に言っているのでしょう。自分を取り巻く森羅万象全てに対して言っている感謝の言葉です。仏教に「因縁生起」という考え方があります。全ての現象は直接の原因と間接の条件で起きているという考えです。例えば今の自分が存在するのは父と母がいたからであり(これを因という)、父と母は祖父と祖母がいたから(これを縁という)と言うものであります。このように自分が生きていくためには父母を初めとして多くの人の支え、もっと広くは自分を取り巻く環境があって今の自分がいるわけで、それら全ての人や環境に対して感謝する気持ちが「おかげさま・・・」なのです。素晴らしい日本語の一つです。

3.挨拶のしかた

(1)大きな声・元気な声・明るい声
 挨拶は小さな声よりも大きな声、元気な声、明るい声ですると、「明るい感じ」「意欲がありそう」などと相手に良い印象を与えます。また挨拶は語尾がたいへん重要です。多少上げ気味にすると「明るい感じ」「意欲がありそう」な感じに聞こえ相手に良い印象を与えます。逆に語尾を下げると「暗い感じ」、「意欲がなさそう」に聞こえてしまいますのでよくありません。

(2)心をこめる・・・敬意をはらう
 挨拶は自分の本心を具現化したものです。ですから挨拶ばかりが立派でも、本心で相手に敬意をはらうとか、尊敬するとかという気持ちがなければ、相手もこちらに対して親近感を持ったり、信頼して付きあおうと言うような気にもなれません。挨拶も大切ですが相手にたいする心はもっと大切だということです。
 インド、ネパール、タイなどで挨拶に使われている「ナマステ(namasute)」は、インドのサンスクリット語の「信頼します」、「帰依します」の意のナマス(namas)に「あなた」の意のテ(te)を付けたものです。まさに「あなたを尊敬します、信頼します」というような心を具現化した代表的な挨拶ではないでしょうか。
 また、仏教には「南無」と言う言葉があります。これは先ほど紹介したナマス(namas)を音写したものです。この「南無」は「南無阿弥陀仏」(「阿弥陀様を尊敬します帰依します」の意)、「南無妙法蓮華経」(「妙法蓮華経というお経を信じます帰依します」の意)などと仏教では頻繁に使われます。

(3)笑顔を添える
挨拶は笑顔でします。笑顔は相手も良い気持ちになりコミュニケーションが旨くいく下地が出来ます。また、笑顔は自分にとっても健康面で大きな効果があります(このことについては後述の5.挨拶の効果のところで詳述します)

(4)目線は相手に・・・
 挨拶は相手を見てします。あさっての方向を向いては失礼になるし相手も良い感じには取らないでしょう。かと言って相手の目を見てするのも気が引けますし、相手も不気味に感じてしまってあまり良くないからです。また、ビジネス書などでは、道端ですれちがった時の挨拶は一旦止まって挨拶をしましょう、とありますが、ご近所の人や友人などのときは歩きながらでも誠意があれば十分だと思います。

(5)お辞儀
 日本人同士では挨拶にはお辞儀をするのが普通です。どんなときにどんな御辞儀をするのか? ビジネスの世界では、一般的に次の3つに分けて教えています。(但し、相手が外国人の場合は慎重に対応しましょう。例えば、首脳同士の会談などのときは握手をしますが、このとき日本人はついお辞儀をしてしまいがちです。すると見た目に弱腰と見られたり、場合によっては謝っているように見えるため良くないというので、新しい首相が外国に行くときは、外務省がレクチャーをするそうです)
@会釈
 最も軽いお辞儀で、約15度ほど体を前に倒し、視線は1.5m程先に落とします。人とすれ違ったとき、お茶を出すとき、人の前を通る時などで使います。
A敬礼
 一般的なお辞儀で、約30度ほど体を倒し、視線は60cm先に落とします。出社や退社のとき、応接室への出入りのとき、上司の指示をうけたときなどで使います。
B最敬礼

 最も丁寧なお辞儀で、約45度ほど体を前に倒し、視線は自分の足元に落とします。深い感謝の気持ちを伝えるとき、衷心からの謝罪の気持ちを伝えるとき、無理と思われる事柄をを頼むときなどで使います。
  
 また、お辞儀のときの手の位置ですが
2通りあります。一つは、掌を内側にして大腿四頭筋の前に置き、頭を下げるのと連動して下に下げて行きます。このお辞儀は伝統芸能、茶道、お葬式などで行われています。もう一つは、手を体の真横、具体的にはズボンの縫い目に合わせて頭を下げるのと連動して下に下げて行きます。このお辞儀は主にビジネス界で用いられています。

 もっとも、警察、消防、自衛隊などでは、このお辞儀をしないで、右手を45度くらいの角度で帽子の鍔あたりまで上げる「挙手の礼」をします。海上保安庁や海上自衛隊などは、艦内が狭いことが理由のようですが、殆ど角度をつけず右手を帽子の鍔あたりまで上げるやり方です。

(6)自分からする
 挨拶は自分からしましょう。もっとも、相手の存在に気がつかなかったときは仕方ありませんが、気がついたら自分のほうからします。自分のほうが先輩であるとか会社では上司であるなどのこだわりはすてることです。また、相手が返事をしない人がいますが、返事が出来ないというのは相手の器量がそれだけ小さいということです。気にしないようにすることです。

(6)握手・ハグ
 
握手やハグは日本人同士ではあまり多くは有りませんが、世界ではかなり多く行われています。握手をしたりハグをする効果ですが、相手によりいっそう近親感を持つことが出来るといわれています。

4.いろいろな挨拶

日常生活ではいろいろな場面で挨拶をする機会があります。そこで、代表的な場面での挨拶について触れてみます。

(1)和室での挨拶
 客室が和室の家を訪問したときの挨拶です。部屋に入ったら、入ったところで正座して御辞儀をして挨拶します。このとき座布団が出された場合はその手前に座り御辞儀をし挨拶をします。座布団に座るのは挨拶が済んで相手から「座布団をお使い下さい」と薦められてからです。薦められるまでは座布団に座ってはいけません。

()神社での参拝の作法
 神社の参拝の作法には挨拶の要素が含まれています。そこで、神社への参拝のときに注意すべきことを見て行きましょう。
@鳥居は一礼してからくぐる。
 神社の鳥居にはわれわれ人間の住む世界と神様の住む世界の境界の意味があります。鳥居から先は神様の住まわれる神聖な場所ですので、鳥居をくぐるときは本殿に対して一礼をしてからくぐります。また鳥居をくぐるときは真ん中は避けて左右から入ります(真ん中は神様のお通りになるところだからです)このときの足ですが本殿に向かって右側から入る場合は右足から、左側から入る人は左足から境内に入ります。
A参道の歩き方。
 鳥居から本殿までの参道を歩くときは参道の端を歩きます(理由は鳥居をくぐるときと同じ参道の真ん中は神様のお通りになるところだからです)また、参道で大声で話したり、大きな声で笑ったり、写真を取ったりなどという行為は慎むべきです。
B御手洗(みたらし)で手と口を清める。
 参道を進むと鳥居と本殿の間に御手洗(みたらし、水屋(みずや)、手水舎などともいいますがあります。御手洗は日常の生活で身についた穢れを落とすところです。具体的には手と口の穢れを清めるところです。これから神様にご挨拶をするのに、汚れた身体で挨拶をするのは失礼だからです。さてその手順ですがちょっと面倒ですので順番を確認しておきましょう。
・まず右手に柄杓を持ち水を汲み、その水で左手を洗います。
・次に柄杓を左手に持ち替えて、右手を洗います。
・もう一度柄杓を右手に持ち替えて、左手の掌に水をため、その水で口を漱ぎ清めます。
 (このとき絶対に柄杓に 直接口をつけてはいけません)
・最後に柄杓を清めます。やり方は、右手に左手を添えて柄杓の先端を上げて柄杓に残った水を柄に流し清めます。

C神殿前で
 いよいよ神殿前で参拝するわけですが、このときも参道と同様に真ん中は避け、ちょっと脇によって参拝したいものです。今年の正月、愛宕神社に参拝したときのことですが、初詣の参拝者が百人前後並んでなかなか前に進みませんでした。神殿前を見てみると神殿の真ん中で一人ずつ参拝をしていました。せっかく参拝するのだから真ん中で参拝したいのは分かりますが、複数で参拝すれば行列しなくとも済むはずですが、端で参拝するとご利益が少なくなるとでも想っているのでしょうか。
 さて、参拝の手順は、

・先ず、賽銭箱にお金を入れます。入れ方は静かに「そっ」と入れます。(投げ入れはいけません)
・次に鐘を鳴らします。
・そして参拝です。手順ですが、2礼2拍手をし、合掌(指を伸ばした形で左右の掌を合わせます)し、お祈りをします。ここでの礼は最敬礼です。深々と頭を下げます。
このときの合掌は、指を伸ばした形で左右の掌を合わせます。また、お祈りですが、一般的には神殿前に「神拝詞」といわれる次のような標準的なお祈りのことばが掲げられています。『祓い給え 清め給え 神ながら守り給え 幸え給え』です。
 れわれはついつい健康でありますようにとか、お金が儲かりますようにと言うような現世利益を求めるお願いをしがちですが、出来れば、先ず「日頃の感謝」をのべ、その上で「世の中の全ての人が幸福になれるように・・・」と言うような内容の誓いをしたいものです。このとき名前と住所を忘れずに告げます。そして、最後に1礼をします。
(ただし、出雲大社では2礼2拍手を2礼4拍手して、最後は1礼です)


()お寺の参拝
 神社(神道)と違い、お寺(仏教)の場合は宗派により参拝作法に一部違いが有ります。ここではどの宗派でも共通の基本的な事柄について見てみます。最低限これだけ守れば失礼や恥をかくことはないだろうという事柄です。大切なのは神社同様ご本尊に対して敬意を払い、真摯な態度で参拝するということです。

@山門で本殿に向かって合掌し一礼
 先ず、お寺の境内の入り口である山門で、本殿に向かって合掌し一礼します。 ここでの合掌は右手と左手の指を交互に組み合わせて掌を合わせます。
A御手洗で身体を清めます
 
手順は神社参拝の場合と同じです。
B鐘は基本的には撞きません
 撞きたいときはお寺に特別な許可を貰います。
C献灯・献香です
 お寺に蝋燭や線香が用意されている場合は、所定の料金を支払って蝋燭や線香を購入します。次に、火を着けて燭台と香炉に捧げます。捧げる蝋燭は通常一本です。線香の本数は通常1本です。但し宗派によっては三本と指定されている場合もありますのでそのときは3本です。
D本堂で参拝
 いよいよ本堂で参拝です。 先ず、賽銭(通常は少額の硬貨で良い。入れ方は静かに「そっ」と入れます。(投げ入れはいけません))を納めます。次に、鰐口などの鳴らし物があれば鳴らします。 そして、姿勢を正し、静かに合掌して一礼します。数珠を持参した場合はこの時左手に掛けます。神社参拝との一番の違いはお寺では拍手をしないことです。参拝のとき、そのお寺の宗派が分からない場合は何も唱えず合掌し静かに一礼をします。ただしそのお寺の宗派が分かっている場合はその宗派の言葉を唱えます。例えば、真言宗では「南無大師遍照金剛」、天台宗では「南無阿弥陀仏」など、 浄土教(浄土宗・浄土真宗・時宗)では「南無阿弥陀仏」日蓮宗では「南無妙法蓮華経」、禅宗(曹洞宗・臨済宗)では「南無釈迦牟尼仏」等です。 お寺によっては唱える言葉(本尊の真言や名号、題目など)が掲示されている場合もありますので、その場合は掲示されている言葉を唱えます。唱える言葉が掲示されていないお寺で、どうしてもそれを知りたい場合は僧侶に尋ねます。また納経として読経を行う場合は般若心経を唱えるのが一般的です。また般若心経の前に開経偈、後に普回向を唱えるとなお良いでしょう。ただし、般若心経は浄土真宗系や日蓮宗系の宗派の寺院では唱えません。なお、お経は暗記している場合でも経本を手にして読むのが作法です。 最後に一礼して本堂を退がります。
E納経・朱印
 納経あるいは参拝の証に朱印を受ける場合は、礼拝の後に納経所に申し出て受けます。
F山門で本堂に向かって合掌し、一礼
 山門から出る際に、本堂に向かって合掌し、一礼です。

()結婚式での挨拶
 結婚式では誰でも、親戚、上司、同僚、部下、友人などいろいろな立場で挨拶をする機会があると思いますが、結婚式の挨拶は基本的にはほとんど同様です。結婚式の挨拶時に注意すべき点をいくつか列挙しておきます
@大きな声で、ゆっくり、分かりやすく

A3分以内にまとめる
 昔から冗談交じりに『挨拶とスカート丈は短ければ短いほどよい』と言われています。逆に長い挨拶はとかく嫌われます。それではどのくらいの長さが良いのでしょう。一般的には3分以内といわれています。但し、乾杯の音頭は1分以内が理想といわれています。ここで何故、挨拶時間が長くなってしまうのか、その原因は考え方がまとまっていないからです。そんな人は原稿用紙にまとめてそれを読み上げるたほうが良いでしょう。また自分の自慢話を延々としている人がいますが、これなどは論外です
B使ってはいけない言葉
 結婚式にはそぐわない言葉、「縁起の悪い言葉」というものが有ります。「切る」、「切れる」、「分ける」、「出る」、「去る」、「終わる」、「閉じる」、「戻る」、「落ちる」、「落とす」、「下げる」、「最後」などです。もう一つ、結婚式にそぐわない「重ね言葉」と言われる言葉があります。「重ね重ね」、「くれぐれも」、「しばしば」などです。結婚式ではこれらの言葉は使わないようにします。これは実際あった話しです。挨拶ではないのですが、ある結婚式で急に指名されたゲストがお祝いの歌を歌うことになったのですが、あろうことか「あんこ椿は恋の花」を堂々と歌い上げてしまいました。会場は凍り付いてしまいました。なにしろ歌詞が『さようなら、さようなら・・・』ですから・・・。案の定?その新郎新婦は数年後この歌が原因ではないでしょうが別れました。日本は言霊の国です。言葉にはくれぐれもご注意を。

C政治・宗教の話しはしない
 いうまでもないことです。

()土下座
 今はほとんど使われませんが、最敬礼よりももっと丁寧な挨拶の仕方で、地面に跪(ひざまづき)き頭を地面に着くまで下げる日本独特の挨拶の方法です。相手に恭順の意を表すときや謝っても許してもらえないような深い謝意を表すときに使います。

()帰命頂礼
「きみょうちょうらい」と読みます。仏教で使われる挨拶方法で、土下座よりももっと丁寧な挨拶です。「帰命」とは仏の教えを深く信じ命を捧げて仏に従う意味です。「頂礼」は、頭を地につけ仏の足下を拝する礼のことで、「五体投地ごたいとうち」ともいい、古代インドの最高の敬礼といわれています。「南無」も同様の意味があります。

(7自己紹介
 面接試験のときや、新入社員が職場に配属になったときなど、初対面の相手に自分を自分で紹介する方法です。大きな声で、ハッキリと、明るく、笑顔で、元気良くが基本です。その他の注意事項としては、要領よく、長くならないなどです。また自信過剰になっては鼻持ちならないと顰蹙を買いますが、モゾモゾと口ごもっては、自分の特長を伝えきれないですので、事前に友達相手の練習をしてはどうでしょうか。

(8)敬礼
 現在では、自衛隊や警察などで行われていますが、その組織や場所によって複雑に区別されているようですがここでは割愛します。

(9)名乗り
 平安時代から鎌倉時代の戦場での作法として、敵と対峙し、これから戦闘を開始する前に、一番先頭の侍が敵方に向かって大音声で「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くばよって目にも見よ。われこそは○○なり。・・・」と自分の姓名、氏素性を長々と述べてから戦いに入ります。今で言う自己紹介のようなものでこれを「名乗り」と言います。敵方はこの名乗りを上げている間は攻撃をしてはいけないし、相手が名乗りを上げたら自分も名乗りをするのが作法です。名乗りは敵に対して「これから正々堂々と勝負をしようではないか」という自己紹介かと想っていました。しかし、実際には戦争の手柄による論考行賞を間違いなく貰うために味方の大将に向けたものだそうです。結構打算的でなんかがっかりしてしまいますね。しかし、名乗りは日本国内では有効でしょうが、外国との戦争ではこの作法は通用しません。鎌倉時代に元寇が襲来したときのことです。日本の侍が元軍に向かって例の如く「やあやあ・・・」とやったようですが、元からは弓矢の洗礼を受け多くの死傷者を出しましたが、それでも侍たちは「やあやあ・・・」をやめなかったそうです。その後、国内の戦いでも鉄砲が伝来しこの名乗りは無くなっていったようです。

(10)高貴な人への挨拶
  ここでは今までとはちょっと違う角度から挨拶を見てみます。身分の高い人と会うときの表現方法です。特別な表現をしますので言葉だけでも確認しておきましょう。
@謁見
 高貴な人への挨拶をいいます。
A朝見:
 
臣下が参内して天子に拝謁することを言います。
B接見
 身分の高い人が公の立場から客を引見することを言います。また現代では、身体を拘束されている被疑者や被告人が弁護人などと面会することを言います。
Cお目見え
 
貴人に初めて会うこと。例えば「お殿様にお目見えが叶った」など。また、歌舞伎役者が初舞台を踏むときにも使います。
D会見
 貴人が特定の場所で公式に人と会うことをいいます。例えば、総理大臣の記者会見の如くです。

11)股旅者の挨拶
 昔の映画などを見ていると、股旅者が旅先でその土地の親分に一宿一飯のお願いするときのあいさつが「お控(ひか)えなすって、手前、生国は○にござんす・・・」です。意味は「今から挨拶の口上を述べますので聞いて下さい」くらいの意味です。 まず股旅者が地元の親分の家の玄関の土間で「お控(ひか)えなすって」というと、奥から出てきた一家の子分が「お控えなすって」と返します。「お控えなすって」「いや、あんさんこそ、お控えなすって」と続き、だいたい一家の子分が控えます。そこで股旅者は「早速お控えくだすって、ありがとうにござんす。手前、生国は○○にござんす・・・」と続き、延々と自己紹介が続きます。フーテンの寅さんなら「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかり・・・」となるわけです。何しろこの挨拶しだいでその日の宿と食事が確保できるかどうかですから、よくよく見るとたいへん丁寧な挨拶になっています。もっとも宿泊中に、出入り(喧嘩)などが有ると一宿一飯の恩義のため助太刀をすることになります。一宿一飯も場合によっては命がけになるということです。(昔の映画や小説などからの浅い知識からの記述です)

(12)スポーツでの挨拶
 
スポーツでも挨拶は重要です。特に日本のスポーツや武道,、例えば相撲、柔道、剣道などでは「礼に始まり礼に終わる」と言われるように挨拶は重要視されます。例えば柔道の試合のとき選手は、@先ず、試合会場に入り会場に一礼、A次に、対戦相手に一礼、B試合が終わり対戦相手に一礼、C最後に会場から出るとき会場に一礼、です。A、Bの礼は、対戦相手に敬意をはらってする礼です。また日本のスポーツや武道では勝った者はガッツポーズをしません。これは敗者に対する思い遣りの心からきているもので、恐らく武士道の惻隠の情から来ているものでしょう。日本では敗者を前にガッツポーズのように驕った態度を取る人はその人の人間性や品格が貧しいと見られ軽蔑の対象になるからです。
 また、@やCの礼は試合会場という場所に対しての感謝の気持ちの表れでしょう。同じような光景が先日女子マラソンを見ていたらありました。ゴールした日本の選手がコースに向かって最敬礼をしているのです。このことから、日本に生まれた競技だから会場に礼をするのではなく、日本人だから礼をするのだと言うことが言えると思います。

(13)手紙やメールでの挨拶
  
(割愛)

5.挨拶の効果

 挨拶の効果については、次のようなものがあります。

(1)良好な人間関係を作る
 挨拶はコミュニケーションスキルの一つです。人間関係の潤滑油の役割を果たします。先ほどのACジャパンのコメントにもあるように、結果として「友達が出来たり」、「その場の雰囲気が和んだり」、「よりよい人間関係」を作るといわれてます。

(2)防犯効果
 防犯効果を期待している挨拶があります。代表的な例はコンビニ店員の挨拶です。コンビニに入ると、店員が「いらっしゃいませ」と明るく大きな声で挨拶をしているのは誰でも経験があることだと思います。マニュアル通りで人間味がないなどと批判する人もいます。しかし、コンビニ店員の「いらっしゃいませ」には歓迎の意味の挨拶の他に、もう一つの重要な意味があります。それは強盗・窃盗・万引きなどの犯罪防止効果です。コンビニ店員が「いらっしゃいませ」というのは、客が入店したとき、よく客の顔を見て、大きな声で言っています。ある常習万引き犯人が「コンビニで万引きをしようとしてしたが顔を見て挨拶されたので犯行をあきらめた」と言ってます。

()業績アップ
 コンビニ店員の挨拶のように明るく元気な挨拶は「店のイメージを明るくし」強いては「販売促進効果」があるといわれています。

(4)面接試験の合格率が上がる
 挨拶が上手に出来れば、相手の心証をよくすることが出来ます。その結果、面接試験などでは合格するチャンスが増えるという効果もあります。
 
有名な事例を一つご紹介します。奈良県立王子工業高校の事例です。この高校では「挨拶」を徹底的に教育をすることによって、昨今の就職難の時代に就職率100%を10年間達成している高校として有名です。
  
かってこの学校は、落ちこぼれの荒れた学校でしたが、ここに赴任してきた松井先生は「何とかこの学校を生まれ変わらせたい」と考えました。その結果「挨拶」を徹底することにしました。そこで、先ず、教員から特訓をしました。目安は100ホーン以上。ガード下での電車の騒音が90ホーンですから相当大きな声です。そして、生徒たちに徹底させました。例えば、生徒が職員室に入るときは大きな声で「氏名」と「用件」言うように徹底しました。外部の人にも徹底して挨拶を徹底していました。私が最近見たテレビでは、レポーターが取材で学校にタクシーで行く途中のことです。タクシーに向かって下校中の生徒たちが、いったんアシを止め帽子をとって大きな声で「こんにちは」と挨拶をするのです。このように挨拶を徹底することによって生徒達は気持ちがポジテイブになり自信を持っていったのです。これだけきちんと挨拶されて気分が悪いはずはありません。また就職試験の面接の前には受け答えを「大きな声で」「ハッキリ」するように指導します。その結果、トヨタ、ホンダ、京セラ、JR西日本、住金、シャープと言うような日本を代表するような超優良企業に多数就職しています。また、就職先でも評判が良く、その結果毎年優良企業から求人が来て就職率100%no就職優良校になったのです。たかが「挨拶」と言うなかれ。

(5)健康に良い
・笑顔を添える
 
挨拶は笑顔でします。笑顔は相手も良い気持ちになりコミュニケーションがうまくいく下地が出来という効果もあります。一方、笑った本人も健康面でたいへん良い効果が得られることは医学的にも証明されています。笑うとと脳を刺激し、その結果、脳から鎮痛効果、老化防止、自然治癒力を高めるなどの効果があるホルモン(ベータエンドルフィン)を出します。また笑うと横隔膜を動かし腹式呼吸になりますので、副交感神経を活発にし精神安定にもなります。このように笑顔の効果はたいへん大きいのです。
 また、仏教では相手に対価を望まないでする施しを「布施」といいます。一般的には「財施」というお金を施す布施がよく知られていまが、ほかにも沢山の布施があります。その中の一つに「和顔施」というのがあります。和顔施とは相手を思いやる優しい笑顔で相手に接することです。お釈迦様は、この世は四苦八苦だといってますが、八苦の一つに「怨憎会苦」があります。人生では自分の嫌な人にも会わなくてはならない苦しみがあるということです。このような、きらいな人に会ったときは、ついつい無愛想なぶっ長面で挨拶をしてしまいがちです。すると相手も良い感じには取らないでしょう。そのときには、仕方ないですから口角を上げて作り笑いをしましょう。何故か?人間は可笑しいから笑うわけですが、作り笑いをすると本人も笑ったのと同じ健康面、精神面などで良い効果が期待できるといわれているからです。このように笑顔の効果はたいへん大きいのです。挨拶の時には是非、笑顔を添えたいものです。

6.江戸時代の挨拶

 江戸時代の挨拶については江戸しぐさ(社会人基礎コース)の中に「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」(読み方は、「みっつこころ、むっつしつけ、ここのつことばでふみじゅうに、ことわりじゅうごですえきまる」と読みます)とは、三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)が理解出来れば、その子の将来は間違いない」と教えています。この教えは子供の発達段階に応じた教育のあり方を的確に表しています挨拶はここでの「九つ言葉」に含まれています。しかし、江戸時代は挨拶が出来ただけでは一人前とは言われなかったのです。道端で近所の人に出会ったとき、「おはようございます」と挨拶したあと、「いい天気ですね」とか「お元気ですか」などとと続けます。この「いい天気ですね」や「お元気ですか」が「世辞」にあたり、会話や人間関係を円滑に進める潤滑油の役割をします。江戸では九歳までに世辞が言えるように教育し、この「世辞が言えて一人前」といわれました。誰ですか「今年入社した新入社員は挨拶もできないんだよねー。」と嘆いているのは・・・。江戸時代は挨拶が出来、しかも世辞がいえなければ一人前とはいえないといわれています。江戸時代はレベル高かったのです。しかも江戸時代は、「お心肥やし([おしんこやし]と読みます)といわれる心豊かな人間性の教育がなされていたのです。江戸時代人は現代人よりもはるかに豊かな人間性を持ち、高い文化を持ち、高い品格を持っていたのです。ここで一つ、江戸時代の挨拶語を紹介しましょう。日本国語大辞典に「ひえもの御免【ひえものでござい】と言うのがあります。これは江戸時代の銭湯で、湯船に入るとき周囲の人にいう挨拶の言葉と有ります。これは特に冬場に銭湯へ後から入る人が「自分の体が冷えているからお湯がぬるくなるかも知れないが勘弁してくれ」あるいは冬場に風呂場に入るとき戸を開けると外気の寒気が入り寒くなるが入るがごめんヨ」というような意味だろうと思います。これは昭和でも一部使われていたようです。いかにも相手を思いやる日本的な挨拶語です。しかし、江戸時代にもへそ曲がりはいたようで、明治維新の十傑の一人である大村益次郎はまだ村医者であった頃、「暑いですね」と挨拶され「夏は暑いのが当たり前です」と返事したといわれています。相手は気分良い分けないですよね。そんなわけで、当時の彼はあまり評判は良くなかったようです。

7.挨拶名人

 挨拶の上手な人という人がいます。ここでは、田中角栄と石原裕次郎の二人を紹介します。

(1)田中角栄
 先ずはご存知、6465代内閣総理大臣田中角栄氏です。彼は努力の末、内閣総理大臣までもぼり詰めた立身出世の人です。彼を良く知る元官僚は彼のことを「想像力、決断力、実行力に優れている」といっています。自分で決めたことを実践部隊である官僚に指示するときに「責任は自分が全部取るから頑張ってやってくれ」といって指示するそうです。彼と会った人はみんな「この人のため仕事がしたい」と思ったそうです。彼の挨拶の一つが『政治家田中角栄』(早坂茂三著)に載っていましたので抜粋したものを次に紹介します。これは彼が大蔵大臣就任のときの挨拶です。
「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。・・・・・・一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。・・・・・・できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う以上。」
 どうですか、日本にもこんな凄みのある挨拶が出来る政治家がいたんですね。

()石原裕次郎
 もう一人は昭和の大スター石原裕次郎です。特に渡哲也との初対面の話は有名ですので次に紹介します。
 
ニューフエースとして日活に入社した渡哲也は、緊張しながら先輩の俳優に一人づつ挨拶してまわりました。殆どの先輩たちは椅子に座ったまま応対しました。ところが食堂で食事中だった大スターの裕次郎は食事を中断して、椅子から立ち上がり「一緒にがんばりましょう」と握手したのでした。それでなくとも裕次郎のフアンだった渡はこのこと以来、すっかり裕次郎に心酔していったのです。
 後年、裕次郎が病に倒れて慶応病院に入院しました。このとき渡は病院の駐車場にテントを張って付き添ったのでした。そのため、マスコミなどからバッシングを受けたのですが、渡は「迷惑なことは十分承知している。しかし、裕次郎は私の命です。自分の命に代えても裕次郎を守りたい。だからどんな非難も自分ひとりで受け止めます」このような渡の決意に報道陣、患者、病院側も感動して見守ったということでした。裕次郎亡き後にも、渡は裕次郎が社長をしていた石原プロモーション社長を引き受け盛り立てていったのでした。これも、裕次郎というケタはずれの大物俳優にもかかわらず、そのようなそぶりを見せない人間性に渡が心打たれたからでしよう。挨拶ひとつで人間関係が変わります。

二人とも挨拶が素晴らしいのはもちろんですが、その裏づけである人間性がすばらしいことでしょう。二人とも巷間では功罪いろいろいわれていますが、人をひきつける力、即ち人間としての魅力があるということです。田中角栄は人間としての器量の大きさと胆力に優れていると思います。また石原裕次郎は相手を包み込む包容力が素晴らしいと思います。こういう素晴らしい人間性に裏打ちされた挨拶は相手の心を動かす力があるわけです。

まとめ

 挨拶はよく人間関係の潤滑油と言われます。確かに人間関係を良くするたいへん重要なコミュニケーション・スキルですので、キチンと身の付けることが重要です。また、挨拶は日本では礼儀作法の基本でもあります。先の3.11の東日本大震災では日本人の挨拶などの礼儀作法や思い遣りのある言動は世界中から賞賛されました。しかし、挨拶の技術をいくら磨けば相手から信頼され人間関係が旨くいくというものでは有りません。最も重要なのは人間性です。挨拶と人間性の関係はプレゼントの包装紙と中身の関係のようなものです。包装紙は立派でも中身が包装紙に見合うものでなかったらどうでしょう。貰った人の満足を得られず、プレゼントの役割を果たしていないことになります。相手の信頼を得てより良い人間関係を築くためには挨拶とともに人間性を陶冶し高めることが重要です。
 日本でも江戸時代には武士は藩校で、庶民は寺子屋などで挨拶などの躾教育とともに、儒教や仏教などから人間性を高める教育を受けていたのですが、戦後、この人間性の教育が殆ど行われていなかった状況が続きました。その結果、自利を求めて利他を省みない人間、権利を主張するが義務は守らない人間、いいっぱなしで責任を取らない人間など、どの世界でも信頼されない、軽蔑されるような人間が大量発生してしまったのです。今後、スキルとしての挨拶と人間性を如何に陶冶し高めていくかは極めて重要な課題です。今回は「挨拶」について思いつくまま雑感という形で纏めてみました。
 最後に東日本大震災後テレビなどで盛んに放映されていたACジャパンの広告「こだまでしょうか」をご参考までに次に掲載します。

 詩人・金子みすゞの作品より
      
「こだまでしょうか」
 「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
 「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
 「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
 そうして、あとでさみしくなって、
 「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
 こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる。

たった一言で、人は傷つく。たった一言で、人は微笑む。自分がやさしく話しかければ、きっと相手も、おだやかに答えを返してくれる。ことばは、人から人へ「こだま」します-。この広告が、人と人のやさしい会話のきっかけになることを願っています。




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