経営者基礎コース第5回
経営戦略(1)戦略(孫子の兵法)
まえがき
経営者基礎コース第5回のテーマは「経営戦略(1)戦略(孫子の兵法)」です。
長いテーマになってしまいました。理由は、当初は経営戦略について書こうとしたのですが、「一寸待てよ、そもそも我々日本人の思考の中に戦略や危機管理なんて思考があるのだろうか?」と疑問を持った訳です。例えば詐欺事件があったとき、「人を騙すなんてなんてひどい人なんだ」と殆どの日本人は思うでしょう。しかし、中国人、というより、殆どの外国人は「騙すほうも悪いが、騙されるほうも悪い」と思うといわれています。最近でも偽メール事件、上海総領事館職員の自殺など記憶に新しいところです。このように日本人は一般的には危機管理や戦略的思考に欠けるといわれています。そこで、経営戦略について書くまえに、その前段として戦略について記述する必要性を感じたのです。そのためには、世界で最も代表的な戦略論である「孫子の兵法」が良かろうということで取り上げ、書き始めた為です。
また、昨今はグローバル化の時代と言われています。情報、金融、文化、貿易などあらゆる分野で、我々の活動は今後ますます国境の壁を越えて行われることになります。その時、世界共通の考え方である戦略的思考を理解していないとトラブルや失敗をしかねません。特にリーダーにとっては戦略は必須の考え方ですし、孫子の兵法は必読の書です。
ここでいう「経営戦略」とは、一言で言えば企業などが目標達成のためいろいろな方法からある方法を選択し、実行することです。
そして「戦略」とは軍事用語からの引用ですが「敵との戦争にいかにして勝つか」です。
歴史上代表的な戦略論には、中国の「孫子の兵法」日本の「山鹿流兵学」イギリスの「ランチェスター戦略」などがあります。
ポーター、ドラッガー、コトラーなど現代の最先端の経営戦略理論はこれらの戦略論の延長戦上にあるといっても過言ではありません。
経営は競合相手に勝ち自社のシエアを広げることであるといえるし、戦争は領土の争奪戦です。また、経営は失敗すれば社員の生活や債権者、株主など多方面に多大な影響が出るし、戦争も勝てば良いが負ければ領土や財産はおろか、生命までも脅かされます。
このように経営戦略と類似点の多い軍事上の戦略の勉強は、経営戦略の発想に大いに役に立つと思われます。かなりのボリュームなので経営上、あるいは、今日の生活上必要な部分を抜粋してあります。
T.孫子の兵法の概要
1.著者
「孫子の兵法」を書いたのは中国の孫武である。孫武は、今から2500年ほど前の春秋時代の末期に、呉国の王コウリョ(呉国は今の蘇週州辺りに都をおいた国。コウリョは、楚(そ)、斉(せい)、晋(しん)などと覇権を争った人で在位期間はBC514〜496年))に使えた将軍である。孔子と同時代の人である。孫武については史記の孫子呉起列伝に若干の記述があるが、資料が少なく詳細は不明である。
2.構成
孫子の兵法は次の13章から構成されている。
第 一章 計 編 (戦争は彼我の戦力を分析し勝算を計算することが必要)
第 二章 作戦編 (勝算の結果を受け、より具体的な作戦行動について)
第 三章 謀攻編 (戦わずに無傷で敵を頂き、戦争目的を達成するのは、武力よりも智謀が重要)
第 四章 軍形編 (軍の陣形は状況の変化に応じ千変万化し、勝つべくして勝つ)
第 五章 軍勢編 (分数、形名、奇正などが機能し綜合戦闘能力である軍の「勢」となり、この勢で勝つ)
第 六章 虚実編 (虚とはうそ、弱み。実はまこと、強み。戦争は強い力で弱いところを撃ち、そして勝つ)
第 七章 軍争編 (千変万化の謀略の意義と実行方法)
第 八章 九変編 (9種類の変化と、臨機応変の対応)
第 九章 行軍編 (軍の行進の地理的条件など)
第 十章 地形編 (戦場の地形と戦い方)
第十一章 九地編 (戦場の位置と作戦)
第十二章 火攻編 (火攻めの方法)
第十三章 用間編 (情報とスパイの活用法)
3.内容
「孫子の兵法」は戦い方の原理、原則(戦略と戦術)を書いている。その根底に流れている精神は
@あくまで科学的、合理的であり、数値を用い具体的である。
Aあくまでも臨機応変で、柔軟な発想である。
この二つの基本的な精神のうえに、戦いの一定の法則性(原理、原則)を見出している。次のような特徴を持っている。
(1)戦争はしないほうが良い
戦争は費用がかかったり人が死んだりして国力が衰えるため避けなければならない。といって何もしないで平和を祈っていれば戦争が無くなるということではない。侵略しようと言う国があるかも知れない。だから国家は常に情報収集など万全の準備をしていなければいけない。
(2)勝算を検討する
敵と味方の戦力を分析し、比較し、勝算があるかないかを検討する。検討はあくまでも具体的な数値で科学的合理的に分析比較し、算出する。そして勝算が無ければ戦ってはいけないということになる。あくまでも慎重に判断しなければならない。従って抽象論や、君主の一時的な怒りなどの感情で戦争を起こしてはいけない。
(3)戦わずして勝つ
国家は常に戦争に勝つだけの準備と決意とをしたうえで、武力(軍事力)を使わないで勝つのが最善である。武力行使は最後の手段であり、それをしないで勝つ工夫をしなければいけない。では武力に変わるものはといえば、それは智謀による交渉力(外交力、政治力)である。
(4)弱者が強者に勝つ戦い方・・・
孫子の兵法では強大な侵略軍に対する防衛、即ち、弱者が強者に勝つという視点に立脚して書かれている。この点で均衡した戦力の戦いを想定した他の兵法書と異なっている。
そして「兵(戦争)は詭道(きどう)(騙し合い)なり」と喝破し、臨機応変な様々な戦い方について述べている。次にそのいくつかを記述すると
@先ず防御あり。⇔攻撃優先は避ける。
A速戦即決が重要、長期化は避ける。⇔戦争は人、物、金の大量消耗戦なので、戦いが長引くと国家の消耗が大きくなるので、戦いは長引かせてはならない。
B戦争は、「正」(正攻法)と「奇」(奇襲攻撃)の組み合わせで無限の戦い方がある。
Cこちらのペースで戦うようにする⇔相手のペースに乗らない。
D自軍の戦力を集中し、敵の戦力を分散する。
(5)リーダー・シップに言及している
組織で絶対的な権限を持つ将軍(リーダー)のリーダー・シップについて述べている。2500年前に書かれたものだが、その普遍的内容は現代人の生き方、経営などにも参考にすべきものである。
(6)情報の重要性を認識している
現代は正に情報の時代と言われていますが、2500年前に情報の重要性を十分認識し、駆使している。
U.本文
【第一章 始計編】
兵(へい)は国(くに)の大事(だいじ)にして、死生(しせい)の地(ち)、存亡(そんぼう)の道(みち)なり。察(さっ)せらるべからず。 |
【要旨】戦争は国の重大事である。国民が死んだり、国家の存亡がかかっている。(だから、慎重に検討しなくてはいけない)。
これを経(はか)るに五事(ごじ)を以(も)ってし、これを校(くら)ぶるに計(はかる)を以(も)ってして、その情(じょう)を索(もと)もとむ。 |
【要旨】(前項の検討の仕方について述べている)。検討項目は次の五つの項目である。この五つの項目の情報を収集し勝算を算出しなければならない。そして勝算が確実でない限り戦争をすべきではない。
一、道:挙国一致の目標。君主と国民を一体化させるもの。大義名分。上から下まで納得できるもの。出来れば他国からも理解が得られるもの、無ければ侵略になる。侵略は結果として失敗する。
二、天:天の時(天候、季節、寒暖などの自然現象)。
三、地:地の利(遠近、広狭、地形などの要因)。
「地の利」に二の「天の時」、それに「人の和」を加えて成功の3条件という。孟子(もうし)(中国の戦国時代の思想家(紀元前372年〜289))は「天(てん)の時(とき)は地(ち)の利(り)しかず。地(ち)の利(り)は人(ひと)の和(わ)にしかず」と重要度に順番をつけ、人心の一致は最も重要としている。
四、将:将軍(リーダー)の能力
五、法:軍隊の編成、規律、装備
この5つは将軍なら誰でも知っているが、これをよく理解し実践できるものが勝ち、出来ない者が負ける。
これを校(くら)ぶるに計(はかる)を以(も)ってして、その情(じょう)を索(もと)求(もと)む。曰(いわ)く、主(しゅ)はたれか道(みち)あるや。将(しょう)はたれか能(のう)あるや。天地(てんち)はたれか得(え)たるや。法令(ほうれい)はたれか行(おこな)わるるや。兵(へい)衆(しゅう)はたれか強(つよ)きや。士卒(しそつ)はたれか練(きた)えるや。賞罰(しょうばつ)はたれかあきらかなるや。われ、これを以(も)って勝負(しょうぶ)を知(し)る。 |
【要旨】勝算の算出は敵軍と自軍の戦力を比較し数値によって行うべきである。そのためには敵国と自国の情報を収集しなければならない。戦力比較は次の7項目(七計)である。私はこれによって勝敗を知ることが出来る。
一、君主:(企業なら社長)は,どちらが良い政治を行っているか。
二、将:(企業なら支店長などの現場の指揮者)、どちらの将軍が有能か。
三、天の利、地の利:天候、時期、地形などは、どちらが有利か。
四、法令:どちらが良く守られているか。
五、兵力、装備、武器:どちらが強いか。
六、部隊の訓練度:どちらがよく訓練されているか。
七、賞罰:どちらが正しく行われているか。
【補足】君主についてエピソードを一つ。その昔、老子が若き日の孔子に「君子(くんし)は盛徳(せいとく)ありて、容懇(ようこん)愚(ぐ)なるがごとし」といましめたという。孔子の君子然とした態度が鼻についたのであろう。
将(しょう)は、智(ち)、信(しん)、仁(じん)、勇(ゆう)、厳(げん)なり。 |
【要旨】前々項の「将」(ここでは「将軍」などの現場の責任者である指揮官の意)は次の五つの資質が必要である。将にこの五つの資質がないと、現場(戦場)で部隊を指揮し、勝利(目的達成)することは出来ない。
一、智(ち):勝算を見分ける力、これを智という。知識→見識→胆識。情報分析力・先見力。
智と明。「人を知る者は智なり、己を知る者は明なり」(老子)。とりあえず将には
智が必要。
二、信(しん):賞罰などで約束を守るなどの高い道徳性。地位のある者(リーダー)は責任ある発言
をしなければいけない。「綸言(りんげん)(天子の言葉)汗の如し」(一度出したら元に戻せない。
だからこそ信頼関係が生まれる)
三、仁(じん):部下などへの深い思いやりのような高い道徳性。
四、勇(ゆう):正義を愛し不義を憎む心、勇気、決断力、胆力(前進するだけでなく、勝算がないときには後退する勇気も必要である。老子も「敢えてせざるに勇なれば即ち活く」と猪突猛進や玉砕戦法を避け、敢えて退却し、次の機会に賭ける考えをとっている。これが中国人一般の考え方である。
五、厳(げん):信賞必罰などの軍紀などを守る厳しい態度(他人だけではなく自己に対しても)。
後年、三国志時代の曹操(そうそう)(魏の始祖。(155〜220))はこれを「五徳」といい、将軍はこの五徳がなければならないとしている。またこの五徳はバランスが重要である。智が大きくなると賊となり、仁が大きくなると弱者になり、信が大きくなると愚か者になり、勇が大きくなると暴徒となり、命令が厳しすぎると軍隊の収拾がつかなくなる。従って、五徳を適切に用いなければならないとも言われている。
【補足】「五徳」は科学が発達した現代のリーダーも備えていなければいけない普遍的なものであ
る。
兵(へい)は詭道(きどう)なり。・・・ |
【要旨】兵(戦争)の本質は詭道(きどう)(騙(だま)し合い)である。戦争に勝つためには、詭道により敵の判断を狂わせることが重要である。孫子は詭道の内容について次のように述べている。
@敵をだまして撃つ。
A出来るのに、出来ないふりをする。
B必要なのに、不必要であると見せかける。
C近づいていても、遠くにいるように見せかける。
D遠くにいても、近くにいるように見せかける。
E敵が利益を求めているときは、餌を与えて誘い出す。
F敵が混乱しているときは、突崩す。
G敵が充実しているときは、備えを固める。
H敵が強いときは、戦いを避ける。
I敵を怒らせて態勢を崩す。
J下手(したて)にでて敵を驕(おご)り高ぶらせ油断させる。
K敵に余裕があるときは、いろいろ刺激して疲れさせる。
L結束が固い敵は、それを分断させる
M敵がここは攻めてこないだろうと言う所をせめ、敵が攻撃してこないだろうという時に攻める。
(これが孫子の「詭道十四変」といわれているものである)。
【補足】詭道(きどう)とは相手の裏をかくことである。このように人を騙すことを日本人は憎む心を持っている。しかし、中国人は違う。騙されたほうも悪いのである。日本でも一般人ならいざ知らずリーダーは詭道を嫌ってばかりはいられない。何故なら、相手が詭道を使ってきたときその防御が出来ないからである。前述で中国人といったが、詭道的発想は世界的共通の発想と思ったほうが良い。従ってグローバル化が言われている昨今、外国(人)との付き合いにおいては、詭道的発想は危機管理の意味合いからも是非身に付けておきたいものである。
算(さん)多(おお)きは勝(か)ち、算(さん)少(すく)なきは勝(か)たず。而(しか)るを況(いわん)や算(さん)なきに於(お)いておや。 |
【要旨】戦争は、自国の勝算が多ければ勝ち、勝算が少なければ勝てない。ましてや、勝算がまったくなければ問題にはならない。
【補足】兵法書「呉子(ごし)」(春秋時代に呉起によって書かれたと言われる、孫子の兵法と並ぶ兵法書)に「可(か)を見(み)て進(すす)み、難(むずか)しきを知(し)りて退(しりぞ)く」とある。孫子と同じく勝算も無く猪突猛進する戦い方は批判している。また、孔子(こうし)(春秋時代の思想家で儒家の祖(紀元前551〜479))も猪突猛進型の人を「暴虎(ぼうこ)馮河(ひょうが)」(素手で虎に立ち向かい、はだしで黄河を渡るような者)と批判している。
戦いは抽象論や気力だけでは勝てない。勝つためには、勝つための合理的根拠の上に立たなければならない。勝算を多くするためには日ごろから努力し、実力をつけておくことが肝要である。勝算を立てずに戦った事例としては、アメリカなど連合国との開戦に踏切った日本軍の事例がある。
【第二章 作戦編】
兵(へい)は勝(か)つことを貴(たっと)び、久(ひさ)しきを貴(たっと)ばず。 |
【要旨】戦争は勝つことが大事であるが、長期戦というより泥沼化は避けなければならない。
【補足】戦争は効率よく勝たなければならない。勝つためには損害と利益を常に比較検討する必要がある。この辺の感覚は経営に通ずる。長期戦の具体的事例としてはアメリカ軍のべトナム戦争がある。
【第三章 謀攻編】
用兵(ようへい)の法(ほう)は、国を全(まっと)うするを上(じょう)となし、国を破(やぶ)るはこれに次(つ)ぐ。 |
【要旨】戦争の仕方の法則は、敵国を痛めつけないで降伏させるのが上策である。敵国を破壊して勝つのは次善の策である。
【補足】具体的事例としては、第二次世界大戦でアメリカ軍(連合軍)が日本を破壊し勝利したが、その後共産勢力の拡大による朝鮮戦争では苦戦し日本に再軍備を求めてきた。
百戦(ひゃくせん)百勝(ひゃくしょう)は善(ぜん)の善(ぜん)なるものにあらず。戦(たたか)わずして人(ひと)の兵(へい)を屈(くっ)するは善(ぜん)の善(ぜん)なるものなり。 |
【要旨】百回戦って百回勝つのは最善の策ではない。戦わないで敵を降伏させるのが最善の策である。要は軍事的な勝利よりも政治的な勝利を勝ち取る考え方である。戦い方の順位は
一、最高の戦い方は、外交交渉(智謀)で事前に敵国の動きを封じこめること、あるいは、謀略
活動で敵国を内部崩壊に導くことである。
二、外交で敵の同盟関係を分断し孤立させ敵国を破ることである。
三、武力で敵を破ることである。
四、四番目というより良くない戦い方は、城攻めである。城攻めは止むを得ない最後の手段
である。
【補足】プロシアの将軍クラウゼビッツは「戦争論」の中で、「戦争とは政治の道具であり、政治的諸関係の継続であり、他の手段をもってする政治の実行である」「戦争は手段であり、目的は政治的意図である。そしていかなる場合にも、手段は目的を離れては考えることが出来ない」と述べている。考え方は孫子と同じ。
用兵(ようへい)の法(ほう)、十(じゅう)すれば之(これ)を囲(かこ)み、五(ご)すれば之(これ)を攻(せ)め、倍(ばい)すれば之(これ)を分(わ)かつ。適(てき)すれば能(すなわ)ち之(これ)と戦(たたか)い、少(すく)なければ能(すなわ)ち之(これ)を守(まも)り、若(し)かざれば能(すなわ)ち之(これ)を避(さ)く。故(ゆえ)に小敵(しょうてき)の堅(けん)は、大敵(たいてき)の檎(とりこ)なり。 |
【要旨】戦争の法則として、敵軍と味方の兵数の力関係では、次の様に柔軟に対応すべきである。
・自軍が敵軍の10倍ならば、敵軍を包囲する。
・自軍が敵軍の5倍ならば、敵軍を攻める。
・自軍が敵軍の2倍ならば、自軍を二つに分ける(逆の解釈もあり、解釈が分かれる?)。
・自軍が敵軍と拮抗していれば、敵軍と旨く戦う。
・自軍が敵軍より少ないときは、うまく逃げる。
・自軍が敵軍に全ての面で劣る場合は、衝突を避ける。(勝算がないわけだから戦わない)
自軍の兵力を無視して強大な敵軍と戦えば、敵軍の捕虜になるのは堅い(間違いない)。
【補足】敵が多いから逃げ出すなど日本の武将ならば考えもつかないことだが、晋書(しんしょ)(七世紀に晋王朝についてかかれた歴史書)に[三十六計(さんじゅうろっけい)、走(にぐ)るを上計(じょうけい)となす](逃げる時には逃げるのが兵法上最上の策である)とあるが、これが中国人一般の考え方。
将(しょう)は国(くに)の輔(ほ)なり。輔(ほ)周(しゅう)なれば則(すなわ)ち国(くに)必ず強(つよ)く、輔(ほ)隙(げき)あれば則(のり)ち国(くに)必ず弱(よわ)し。 |
【要旨】将軍は、君主の補佐役である。両者の関係が親密であれば国は必ず強くなり、逆に両者の関係が旨くいってなければ国は必ず弱くなる。
【補足】戦争のことを良く知らない君主が、戦争のことで将軍にいろいろ口出しをすると軍が迷ってしまい、敵国に付け入る隙を与えてしまう。
君主と将軍、上司と部下の関係はいつの時代にも難しい。トップの器量が大きくて、補佐役が有能であり、両者が信頼関係で結ばれているのが望ましい。
また、この問題は、経営上は権限委譲の問題としても面白いテーマである。基本は「人(ひと)を疑(うたが)わば用(もち)いず、人(ひと)を用(もち)うれば疑(うたが)わず」(疑うなら使うな、使ったら疑うな)。
勝(か)ちを知(し)るに五つあり。 戦(たたか)うべきと戦(たたか)うべからざるとを知(し)れば勝(か)つ。衆寡(しゅうか)の用(よう)を知れば勝(か)つ。上下(じょうげ)が欲(よく)を同(とも)にすれば勝(か)つ。慮(ぐ)を以って不慮(ふぐ)を待(ま)てば勝(か)つ。将(しょう)、能(のう)にして、君(きみ)、御(ぎょ)せざれば勝(か)つ。この五者(ごしゃ)は勝(が)ちを知(し)るの道(みち)なり。 |
【要旨】戦いに勝つ条件は次の五つである。
五つの勝つ条件 | |
一 | 戦うときと戦うべきでないときを、的確に判断できること |
二 | 敵軍と自軍の軍隊の多い少ないに応じた、用兵の仕方を認識していること |
三 | 軍隊の上から下まで心を一つに出来ていること |
四 | 防御をきちんとして、敵の手薄を攻撃すること |
五 | 指揮官が有能であり、君主が指図しないこと |
以上の五つが勝利のための条件である。
【補足】勝つ条件5つを現代の経営に当てはめて見ると、一、は適確な判断力、二、は身の丈の経営、三、は経営理念、四、は危機管理、五、は権限委譲(管理者が有能で、社長が干渉しないこと)。
彼(か)を知(し)り己(おのれ)を知(し)れば、百戦(ひゃくせん)して殆(あや)うからず。彼(か)を知(し)らずして己(おのれ)を知(し)れば一勝(いっしょう)一敗(いっぱい)。彼(か)を知(し)らず、己(おのれ)を知(し)らざれば、戦(たたか)う毎(ごと)に必(かなら)ず殆(あや)うしと。 |
【要旨】彼の力(敵軍の戦力)を知るとともに己の力(自軍の戦力)を知れば、百回戦って百回勝てる(勝率100%)。敵軍の力を知らず、自軍の力だけを知るならば一回は勝てるが一回は負けるであろう(勝率50%)。敵軍の力も自軍の力も知らなければ戦うたびに負けるだろう(勝率0%)。
【補足】分かりきっているようで一番難しいテーマである。特に自己を知るなどは至難の業である。現状分析をする場合、自己と環境に分けて考えるのは基本である。企業では戦略を立てる際、最初にSWOT分析で現状分析をする。これは現状を外部環境と内部環境に分け、更にO(機会)、T(脅威)、S(強み)、W(弱み)に分類し、現状を知る手法である。また、誤った判断をする理由は、知らない(勉強不足)、希望、思い込み(バカの壁)によると言われている。
【第4章 軍形編】
善(よ)く戦(たたか)う者(もの)は、先(ま)ず勝(かつ)べからざるをなして、以(も)って敵(てき)の勝(かつ)べきを待(ま)つ。・・・ |
【要旨】戦上手な者は、まず敵軍に絶対負けないように自軍の態勢を固めてから、敵軍の崩れる時期(自軍が勝てる情況)を待つ。
・・・そして孫子は次の様に続けている。「従って、敵軍から見たら敵軍が自軍に勝てない要因は自軍の中にあり、自軍が敵軍に勝てる要因は敵軍の中にあるといえる」と。
【補足】自軍が劣勢(勝算が少ない)の時は守りを固め、自軍が優勢(勝算が大きい)の時は攻撃に出る。敵軍に勝たせない態勢とは守りであり、敵軍に勝てるとは攻撃のことである。(ちょっと難解な文章かも)。
・・・勝兵(しょうへい)は先(ま)ず勝(かち)ちて而(しか)る後(のち)に戦(たたか)いを求(もと)め、負兵(はいへい)は先(まず)ず戦(たたか)いて而(しか)る後(のち)に勝(か)ちを求(もと)む。 |
【要旨】予め勝利する態勢を整えてから戦う者が勝利を収め、戦いを始めてから慌てて勝機を掴もうとする者は敗北する。
孫子はこの前段でこう言っている。「世間の人は戦い方が巧いから、智謀が有ったから、あるいは勇猛だったから勝ったと思うかも知れないが、勝利の本当の理由は勝ちやすい状況や負けない態勢を作ってから戦う。あるいは敵の敗れる機会を見逃さなかったから勝つのである」と。
善(よ)く兵(へい)を用(もち)ちうる者は、道(みち)を修(おさ)めて法(ほう)を保(たも)つ。 |
【要旨】戦いの上手な将軍は、国民の意識を上から下まで一致させ、併せて、法令を良く守る。(だから勝てるのである)
兵法(ひょうほう)は、一(いつ)にいわく度(たく)、二(に)にいわく量(りょう)、三(さん)にいわく数(かず)、四(し)にいわく称(しょう)。五(ご)にいわく勝(かち)。 |
戦いの法則は、次の五つの数値(単位の呼称)で勝算を具体的に算出することである。順番は一、二、三の順で最後に五の勝算が導きだされる。
勝算の算出 | ||
一 | 度 | ものさしではかる(戦場の広さ、距離など) |
二 | 量 | ますめではかる(軍の食料など升目で測るもの:容積) |
三 | 数 | かずではかる(兵の数のように1、2、3と計れるもの) |
四 | 称 | 比較してはかる(敵軍の数と自軍の数など比較する値) |
五 | 勝 | 勝敗をはかる(勝敗を計る:勝利) |
【補足】戦争は精神論だけでは勝てない。合理的勝算が必要。
【第五章 兵勢編】
およそ衆(しゅう)を冶(おさ)ること寡(か)を冶(おさ)むるがごときは、分数(ぶんすう)これなり。衆(しゅう)を闘(たたか)わしむること寡(か)を闘(たたか)わしむるごとくなるは、形名(けいめい)これなり |
【要旨】衆(大軍の意)を寡(小部隊の意)のように統率するのは、分数(軍の組織編成の意)が優れているためである。大軍を小部隊のように一体となって戦わせるためには、形名(旗印と銅鑼(どら)の意)などの伝達方法(現代ならばさしずめコミュニケーションの方法)が優れているからである。即ち、しっかりと「命令系統」を確立しなければならない。
【補足】大軍でも各人がバラバラに戦っていては死地(戦場)で戦いには勝てない。大軍でも組織の力を最大限に発揮しなければならない。そのためには組織編制、伝達方法などの指揮命令系統を確率しておくことが必要である。サッカーなどスポーツは分かりやすい。
三軍(さんぐん)の衆(しゅう)、必(かなら)ず敵(てき)を受(う)けて敗(やぶ)る無(な)からしむべきは、奇正(きせい)(奇襲戦法と正攻法)これなり。 兵(へい)の加(くわ)うる所(ところ)、石(いし)を以(も)って卵(たまご)に投(とう)ずるがごときものは、虚実(きょじつ)これなり。 |
【要旨】三軍(全軍の意、ここでは自軍のどの部隊でも)が敵の攻撃を受けても負けないのは、奇正(正攻法と奇襲戦法)を駆使しているからである。
自軍が敵軍を攻撃するとき石ころを卵にぶつけるように、敵軍を打ち破ることが出来るのは、自軍の石のように強い部分で敵軍の卵のように弱い部分を攻撃するからである。
虚実(虚は弱点、スキ、劣勢。実は強み、力、優勢)。
およそ戦(たたか)いは、正(せい)を以(も)って合(あ)い、奇(き)を以(も)って勝(か)つ。ゆえに善(よ)く奇(き)を出(い)だす者(もの)は、窮(きわ)まりなきこと天地(てんち)のごとく、竭(つ)きざること江河(こうが)のごとし。・・・ |
【要旨】普通、戦争のやり方は、正(正攻法、定石)で敵と戦い、奇(奇手、応用、臨機応変の計略、アイデア)で勝つものである。従って、戦いは正と奇の二つの組み合わせから成り立っているが、その変化は無限にある。この組み合わせは天地や大きな河の水のように尽きない。
・・・そして孫子は次の様に続けている。「終わったように見えてまた始まるのが日月であり、死んだように見えてもまた生まれてくるのが四季である。音階は5種類に過ぎないが五音階が作り出す音色は聞き尽くせない。色は5色(青・黄・赤・白・黒)だが5色が作り出す色彩は尽きない。味は5種類だが、この5種類の味が作り出す味は嘗め尽くせない。戦いの形は正と奇の二種類だが、この2種類の組み合わせによる戦術は知り尽くせない。正と奇はあたかも終わりのない環のようなものであるから、それを知り尽くすことは誰にも出来ない」、と。
【補足】柔軟な発想は尽きる事の無い戦法を生み出すことができ、戦いに勝つことが出来る。では、どうしたら尽きる事の無い戦法を身につけることが出来るのだろうか。一つは実戦の経験からである。しかし、実戦経験はそうそう出来るものではない。その時には、孫子などの兵法書で戦いの原理、原則を学ぶとともに、戦国策などの歴史書により事例から学ぶことである。(歴史には成功例、失敗例がたくさんある)。
善(よく)く敵(てき)を動(うご)かす者(もの)は、これに形(けい)すれば、敵(てき)必(かなら)ずこれに従(したが)い、これに予(あた)うれば、必(かなら)ずこれを取(と)る。利(り)を以(も)ってこれを動(うご)かし、卒(そつ)をもってこれを待(ま)つ。 |
【要旨】戦いの上手な将軍は、自軍が隙(すき)のある形をとり、敵軍が動かざるを得ない態勢をつくると敵軍は必ずこれにはまる。敵軍に有利な餌をばら撒くと、敵は必ずこれに食いつく。戦いの上手な将軍はわざと敵を利益で誘い出し、待ち伏せして攻撃する。
善(よ)く戦(たたか)う者(もの)は、これを勢(いきお)いに求(もと)めて、人(ひと)に責(もと)めず。ゆえに能(よく)く人(ひと)を択(えら)びて勢(いきお)いに任(にん)ず。・・・ |
【要旨】戦い上手な将軍は、なによりも勢いに乗ることを重視する。そして、一人、一人の兵士の働きに大きな期待をかけず責任も求めない。すると、人材が集まり、これを適材適所に配置し、勢いに従わせることが出来る。・・・そして孫子は次の様に続けている。「戦い上手な者が、勢いで部下を戦わせるのは丸い石を山から転がすように、軍の力を簡単に2倍にも3倍にもすることが出来る。
【第六章 虚実編】
善(よ)く戦(たたか)う者(もの)は、人(ひと)を致(いた)して人(ひと)に致(いた)されず。 |
【要旨】戦い上手な者は、自軍が戦いの主導権を握る。そして、敵軍のペースに自軍は乗らないようにすることである。・・・そして孫子は次の様に続けている。主導権を握るためには先手を打つことである。先手を打つためには戦場に先に到着することである。そうすれば余裕を持って戦うことが出来るからである」、と。
攻(せ)めて必(かなら)ず取(と)るは、その守(まも)らざる所(ところ)を攻(せ)むればなり。守(まも)りて必(かなら)ず固(かた)きは、その攻(せ)めざる所(ところ)を守(まも)ればなり。 ゆえに、善(よ)く攻(せ)むる者(もの)は、敵(てき)その守(まも)るところを知(し)らず。善(よく)く守(まも)る者(もの)は、敵(てき)その攻(せ)むるところを知(し)らず。・・・ |
【要旨】攻撃して必ず成功するのは、敵の守っていない所(手薄な所)を攻めるからである。守備に回って必ず守り抜くのは、敵の攻めてこない所を守っているからである。
つまり、上手に攻撃すれば、敵は守りようが解らなし、上手に守れば敵は攻めようが解らない。
・・・そして孫子は次の様に続けている。「攻撃が上手な将軍は、敵軍がどこを守ったら良いか解らなくしてしまう。守備の上手な将軍は、敵軍がどこを攻めたら良いか解らなくしてしまう」と。
人(ひと)を形(けい)せしめて我(われ)形(けい)無(な)ければ則(すなわ)ち我(われ)集(あつ)まりて敵(てき)分(わ)かる。我(われ)は専(あつ)まりて一(いち)となり、敵(てき)は分(わ)かれて十(じゅう)となれば、これ十(じゅう)を以(も)ってその一(いち)を攻(せ)むるなり。即(すなわ)ち、我(われ)衆(しゅう)にして敵(てき)寡(か)なり。善(よ)く衆(しゅう)を以(も)って寡(か)を撃(う)てば、即(すなわ)ち吾(われ)の与(とも)に戦(たたか)うところの者(もの)は、約(やく)なり。 |
【要旨】戦上手な将軍は、敵軍にはっきりした態勢(自軍から解り易い状態)をとらせ、自軍の態勢は敵軍に分からないようにする。そうすると自軍は戦いに集中できるが、敵軍は自軍の動きが解らないので兵力を分散せざるを得なくなる。
自軍が戦力を集中して一つになり、敵軍が分散して十に分かれれば自軍は敵軍の十倍の兵力で攻撃できる。つまり、自軍は多く敵軍は少なくなる。したがって多くの兵力で少ない兵力を攻撃できれば自軍の戦う敵軍の戦力は弱くなる。
【参考】この戦力集中の考え方は、小が大に勝つ方法として中小企業の経営戦略として盛んに引用されている。
勝(かち)は為(な)すべきなり。敵(てき)衆(おお)しといえども、戦(たたか)い無(な)からしむるべし、と。 ゆえにこれを策(はか)りて得失(とくしつ)の計(けい)を知(し)り、これを作(おこ)して動静(どうせい)の理(り)を知(し)り、これを形(あらわ)して死生(しせい)の地(ち)を知(し)り、これを角(ふ)れて有余(ゆうよ)不足(ふそく)の処(ところ)を知(し)る。 |
【要旨】じっとしているだけでは戦いに勝つことは出来ない。勝利は積極的につくりだすものである。敵が多くいようと戦えないようにしてしまえば良いのである。
敵情を察知し、利害得失を計算して作戦を決め、敵を挑発して動かしてその行動パターンを知り、敵の態勢を把握して負ける場所と負けない場所を知り、小競り合いをして、敵の余裕の有る場所や不足のある場所を知るのである。
兵(へい)の形(かたち)の極(きわみ)は、無形(むけい)に至(いた)る。無形(むけい)なれば、則(すなわ)ち深間(しんかん)も窺(うかが)うこと能(あた)わず、智者(ちしゃ)も謀(はか)ること能(あた)わず。形(かたち)に因(よ)りて勝(かち)を衆(しゅう)に錯(お)くも、衆(しゅう)知(し)ること能(あた)わず。人(ひと)皆(みな)我(わ)が勝(か)ちの所以(ゆえん)の形(かたち)を知(し)るも、吾(わ)が勝(かち)を制(せい)する所以(ゆえん)の形(かたち)を知(し)ること莫(な)し。ゆえにその戦(たたか)い勝(か)つや復(ふたた)びせずして、形(かたち)は無窮(むきゅう)に応(おう)ず。 |
【要旨】戦争のカタチの真髄は自軍の動きを敵軍に察知されない状態、即ち「無形」にある。こちらの態勢が無形であれば、敵の患者が潜入しても、何も探り出すことが出来ないし、敵の有能な軍師でも、攻め破る戦法を考えつかない。
臨機応変の勝ち方では、人々は自軍の勝ったことは知るが、どうして勝ったかは解らない。したがって、戦って勝つ勝ち方は毎回変わり(繰り返すことが無く)、勝ち方は情況に応じて無限に変化するのである。
【補足】経営者に於いても発想の柔軟性は最も重要な資質である。毎日、毎回変化する条件下で判断や決断をするわけだから毎回結論は違う可能性はある。役所などは前例主義などと言うものがあるようだが、現代の経営に於いては経験に裏打ちされた判断は役に立たなくなってきた。なにしろ、倒産させる会社の経営者に共通の特徴は「頑固」なのであるのだから。
夫(それ)れ兵(へい)の形(かたち)は水(みず)に象(かたど)る。水(みず)の形(かたち)は高(たか)きを避(さ)けて下(ひく)きにおもむき、兵(へい)の形(かたち)は実(じつ)を避(さ)けて虚(きょ)を撃(う)つ。水(みず)は地(ち)に因(よ)りて流(なが)れを制(せい)し、兵(へい)は敵(てき)に因(よ)りて勝(かち)を制(せい)す。ゆえに兵(へい)に常兵(じょうへい)なく、水(みず)に常形(じょうけい)なし。 |
【要旨】戦争とは水の流れのようなものである。水は高い所から低いところへ流れる。戦争も敵の実(戦力の充実している所)を避けて虚(戦力の手薄な所)を攻撃する。また、水は地形の変化に応じて流れを変えるが、戦争も敵情に応じて戦い方を変化させることにより勝利することが出来る。この様に水の流れに一定の形が無いように、戦争の方法にも決まった形は無い。
【補足】孫子に限らず物事を水にたとえる例は多い。一般に水の特性は、@柔軟である(定まった形が無く、器によって形が変わる)。A高い所を避け、低い所へ流れる。B場合によっては、強く、激しい力を出す、などである。このような性質から、例えば、老子(ろうし)では「上善(じょうぜん)は水(みず)の如(ごと)し」。(理想的な生き方を示したもので、水はどんな器にも入れられるし、常に低いところへ流れていく。変じて、どんな相手にも対応できる柔軟性を持ち、自分を常に低いところへ置く謙虚さを持っている、そしていざという時には巌も砕く破壊力を持っている) 、と。続けて「この世の中で、水ほど弱い者はない。そのくせ、強いものに打ち勝つこと水にまさるものはない。その理由は、水が弱さに徹しているからだ」。「柔は剛に勝ち、弱は剛に勝つ」、のであると。
【第七章 軍争編】
・・・軍争(ぐんそう)より堅(かた)きはなし。軍争(ぐんそう)の難(なん)は、迂(う)を以(も)って直(ちょく)となし、患(かん)を以(も)って利(り)となす。ゆえにその途(みち)を迂(う)にして、これを誘(さそ)うに利(り)をもってし、人(ひと)に後(おく)れて発(はっ)し、人(ひと)に先(さき)んじて至(いた)る。これを迂直(うちょく)の計(けい)を知(し)るものなり。 |
【要旨】戦争の法則の中で「機先を制するための争い」ほど難しいものはない。何故難しいかと言えば、遠回りの道を近道のようにして、自軍の不利な状態を有利な状態に変えなければならないからである。遠回りの道を行きながらも、敵軍を利で誘い出し、敵軍よりも後れて出発しても戦場には早く着く。これが回り道をしても結局近道にする計略を知るということである。
【補足】敵よりも早く目的地に到達し、機先を制することにより、不利を有利に変える。これが有名な「迂(う)直(ちょく)の計(けい)」である。「急がば回れ」。
兵(へい)は詐(さ)を以(も)って立(た)ち、利(り)を以(も)って動(うご)き、分合(ぶんごう)を以(も)って変(へん)と為(な)すものなり。 ゆえにその疾(はや)きこと風(かぜ)のごとく、その徐(しず)かなること林(はやし)のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火(ひ)のごとく、動(うご)かざること山(やま)のごとく、知(し)り難(かた)きこと陰(かげ)のごとく、動(うご)くこと雷震(らいしん)のごとし。 |
【要旨】軍隊の行動は欺くことが基本である。利のあるところを求めて行動し、分散や集合をすることで様々に変化をすることが出来る。
従って、戦いにおいては、進撃するときは疾風のようにすばやく、待機するときは林のように静まりかえり、敵軍への襲撃は燃えさかる火のように激しく、守るときは山のごとく微動だにせず、隠れるときは暗闇のようでわからず、動き出すと雷鳴のように突然動き出す。
【補足】戦国最強といわれた武田信玄もよく孫子の兵法を学んだと言われている。その軍旗にあらわされた有名な「風林火山」はこの部分から取ったものである。ポイントは戦いに勝つには敵軍にこちらの行動を読ませないという点であろう。
ここでいう動と静の考えかたは、中国人の「天命の思想」(天の意思、従って人間には帰ることは出来ない。だから甘んじて受け入れる)と「循環の思想」(今は逆境だが辛抱していれば、いずれ良いときもめぐってくる)という人生観からきているとも言える。波に乗っているときは何をやってもうまくいくが、うまくいっていないときには何をやってもうまくいかない。人生には山と谷があり、それに身をまかす考えである。
三軍(さんぐん)は気(き)を奪(うば)うべく、将軍(しょうぐん)は心(こころ)を奪(うば)うべし。これのゆえに朝(あさ)の気(き)は鋭(えい)、昼(ひる)の気(き)は惰(だ)、暮(くれ)れの気(き)は帰(き)。ゆえに善(よ)く兵(へい)を用(もち)うる者(もの)は、その鋭気(えいき)を避(さ)けて惰帰(だき)を撃(う)つ、これ気(き)を冶(おさ)むる者(もの)なり。冶(ち)を以(も)って乱(らん)を待(ま)ち、静(せい)を以(も)って譁(か)を待(ま)つ、これ心(こころ)を冶(おさ)むる者(もの)なり。近(ちか)きを以(も)って遠(とお)きを待(ま)ち、扶(いつ)を以(も)って労(ろう)を待(ま)ち、飽(ほう)を以(も)って飢(うえ)を待(ま)つ、これ力(ちから)を冶(おさ)むる者(もの)なり。正々(せいせい)の旗(はた)を邀(むか)うることなく、堂々(どうどう)の陳(ぢん、陣(ぢんの意))を撃(う)つことなし、これ変(へん)を冶(おさ)むる者(もの)なり。 |
【要旨】戦いに勝つには、敵の全軍の気力を奪い、敵軍の将軍の心を乱すことである。気力は朝が充実しており、昼はゆるみ、夕暮れはしぼむ。だから敵軍を撃つのは、敵軍の気力の充実しているときは避け、気力のゆるんだときやしぼんだときをねらう。これを「戦場で気力を上手に治める者」という。落ちついた心で乱れた敵軍を待つ、これを「戦場で心を治める者」という。戦場の近くで遠方からやってくる敵軍を待ち、休養十分の状態で疲れた敵軍を待ち、食料を十分とった上で飢えている敵軍を待つ。これを「戦場の力を治める者」という。整然と来る敵軍を迎撃したり、重厚な敵軍の陣地を攻撃してはならない。これを「戦場での変化を治める者」という。
|
【要旨】戦争の法則では、次のことは絶対やってはいけないことである。
敵 軍 | 自 軍 | |
一 | 高い丘の上に陣取っている敵は | 攻めてはいけない |
二 | 丘を背にして攻撃してくる敵は | 迎え撃ってはいけない |
三 | 偽って背走する敵は | 追撃してはならない |
四 | 敵の精鋭部隊は | 攻撃してはならない |
五 | おとりの敵は | 攻撃してはいけない |
六 | 撤退して帰る敵は | 防ぎとめてはいけない |
七 | 敵を包囲したときは | 必ず逃げ道を空けておかなければいけない。←決死で反撃してくるため |
八 | 窮地に陥った敵は | 追い詰めてはいけない |
九 | 孤立した地域には | 滞留してはいけない |
これが戦争の臨機応変の9つの法則である。(これを「九変の利」という)。将たるものはいろいろな変化に対処する軍隊の動かし方、即ち、九変の利を自分のものにして、はじめて軍隊の動かしかたを知っていると言える。
【第八章 九変編】
智者(ちしゃ)の慮(りょ)は必(かなら)ず利害(りがい)に雑(まじ)う |
【要旨】智者は必ず利と損の両面から物事を考える。・・・そして孫子は次の様に続けている。「従って利の時も損を考えているから成功するのである。反対に損となるものに於いても利益の面も見ているから、不足の心配をなくすことが出来るのである」、と。(物事は常にその両面をみる)。
【補足】ここで智者について補足します。孫子によれば智者とは智(勝算のあるなしを見分ける力)のある人をいいます。智について他の出典を見てみると、戦国策(せんごくさく)(紀元前3〜5世紀の頃書かれた幾つかの戦略本を前漢末期に劉向(りゅうきょう)が編集したもの)では「智者(ちしゃ)は未萌(みほう)に見(み)る」(物事が一般の人にも分かるようになる前に、その動きを察知して手を打つことが出来る。そのため禍を未然に防ぐことが出来る、ということは洞察力、先見力があるということ)。また史記では「智者(ちしゃ)は時(とき)に倍(そむ)きて利(り)を捨(す)てず」(チャンスに動かねば、せっかくのチャンスを取り逃がしてしまう=機会原価=オポチュニテイ・コストの問題)。そして三国志(さんごくし)(西晋時代の陳寿により280年頃に編纂された魏、呉、蜀を中心に書かれた歴史書。二四史の一つ)では「智(ち)は禍(わざわい)を免(まぬが)るるを貴(たっと)ぶ」(智があれば戦いに敗れたり、身の破滅を招いたり、会社を倒産させたりという危機回避ができる)と。このように、「智」は戦争だけでなく人生や経営においても生き残るためには重要なものである。
用兵(ようへい)の法(ほう)、その来(き)たらざるを恃(たの)むことなく、吾(われ)の以(も)って待(まつ)つ有(あ)るを恃(たの)むなり。 |
【要旨】戦争の法則として、敵の来襲がないことのに期待をするのではなく、敵が襲来を断念するような、自軍の備えをたのみとしなければならない。・・・そして孫子は次の様に続けている。「敵が攻撃して来ないのをあてにするのではなく、敵が攻撃できないような守りをとっておくことを頼みとするべきである」、と。
【補足】攻撃されるのはこちらに不備があるからである。一言で言えば「備えあれば患いなし」。そのためには彼我の戦力の分析が必要。そのためにはあらゆる情報を入手し徹底検討。そしてはじめて人事を尽くして天命を待つことになる。
将(しょう)に五危(ごき)あり。必死(ひっし)は殺(ころ)され、必生(ひつしょう)は虜(とりこ)にされ、分速(ふんそく)は侮(あなど)られ、廉潔(れんけつ)は辱(はずかし)められ、愛民(あいみん)は煩(わずら)わさる。およそこの五者(ごしゃ)は将(しょう)の過(あやま)ちなり、用兵(ようへい)の災(わざわ)いなり。軍(ぐん)を覆(くつがえ)し、将(しょう)を殺(ころ)すは、必(かなら)ず五(ご)危(き)を以(も)ってす。察(さっ)せざるべからずなり。 |
【要旨】将軍には注意を要する次の五つの危険がある。
一 | 必死に戦うことしか知らない将軍は | この将軍は敵に殺されるだろう |
二 | 生きることしか考えていない将軍は | この将軍は敵の捕虜になるだろう |
三 | 短期で怒りっぽい将軍は | この将軍は敵に挑発されて計略に嵌(は)まるだろう |
四 | 廉潔すぎる性格の将軍は | この将軍は敵に辱められるだろう |
五 | 兵や民衆を愛しすぎる将軍は | この将軍は苦労が多い |
これら5つの危険は将軍が陥り易い過ちであり、戦いの妨げになる。軍を滅ぼし、将軍を殺すのは必ずこの五危である。従って将軍はこの五危に十分に注意するとともにその「バランス」に留意しなければいけない。
【第九章 行軍編】
辞(ことば)卑(ひく)くして備(そな)えて益(ま)すは、進(すす)むなり。辞(ことば)彊(つよ)くして進駆(しんく)するは、退(しりぞ)くなり。・・・ |
【要旨】敵軍の軍使がへりくだって口上を述べながら、その裏では、着々と守りを固めているのは、進攻の準備に取り掛かっているからである。逆に敵軍の軍使が強気の口上を述べ、すぐにでも進攻の構えを見せるのは、退却の準備にかかっているからである。
・・・そして孫子は次のように続ける。「敵軍の戦車が先に出動して両側面に配備しているのは、陣を固めて攻撃しようとしているからである。敵軍が困った情況ではないのに、講和を申し込んでくるのは陰謀があるからである。敵軍が走り回って軍の配備をしているのは、決戦しようとしているからである。敵軍が進んだり、退いたり、混乱しているように見えるのは、こちらを誘いだそうとしているからである」、と。
杖(つえ)つきて立(た)つは、飢(う)うるなり。・・・ |
【要旨】敵兵が杖にすがって立っているのは飢えているからである。このように敵の行動を慎重に観察すればその原因が解り、その対応も見えてくる。・・・そして孫子は次の様に続けている。
行 動 | 原 因 | |
一 | 敵兵が杖にすがって立っているのは | 敵兵が飢えているからである |
二 | 、敵兵が汲んできた水を我先に飲んでいるのは | 敵に水が不足しているからである |
三 | 敵軍に進撃が有利な情況なのに進撃しないのは | 兵士が疲労しているからである |
四 | 敵陣に鳥が集まっているのは | 敵陣に兵士がいないからである |
五 | 敵兵が夜間に叫び声を上げるのは | 敵兵が恐怖を感じているからである |
六 | 兵士が騒ぎ統制が取れていないのは | 将軍に威厳が無いからである |
七 | 軍旗が動揺しているのは | 軍の秩序が乱れているからである |
八 | 軍の監督をしている官吏が怒っているのは | 兵士が疲労し、だらけているからである |
九 | 兵士の食料を馬に与えたり、馬や牛を殺して食べ、 釜などを始末し、兵士が軍営に帰らないのは |
軍が窮地に追いやられているからである |
十 | 将校が兵士と物静かに話しているのは | 将校が兵士の信頼を失っているからである |
十一 | しばしば兵士に褒賞を与えているのは | 他になす術がなくなってきたからである |
十二 | しばしば兵士を懲罰しているのは | 苦境に陥っているからである |
十三 | 最初は兵士を乱暴に扱っていながら後で兵士を恐れるのは | 愚か過ぎるからである |
十四 | 敵の使者がやってきて謝罪し、礼を尽くすのは | 休戦して兵士を休息させたいからである |
十五 | 敵がいきり立って向かってきながら、戦おうともせず、 退こうともしないのは |
何か魂胆があるかもしれないので慎重に情況を 観察する |
兵(へい)は多(おお)きを益(えき)とするにあらざるなり。惟(ただ)武進(ぶしん)すること無(な)く、以(も)って力(ちから)を併(へい)するに足(た)りて、敵(てき)を料(はか)り、人(ひと)を取(と)るのみ。夫(そ)れ惟(ただ)慮(おもんばかり)無(な)くして敵(てき)を易(あなど)る者(もの)は、必(かなら)ず人(ひと)に虜(とりこ)にせらる。 |
【要旨】戦争では、兵士の数が多ければ良いというものではなく、ただ猛進すれば良いというものでもなく、兵力を集中させ、敵軍の情況を把握しながら進むことである。よく考えもせず、敵を軽く見て行動すれば、敵軍の捕虜になるのがオチである。
ゆえにこれを令(れい)するに文(ぶん)を以(も)ってし、これを斉(ととの)うるに武(ぶ)を以(もっ)てす。・・ |
【要旨】だから、兵は愛情・寛容と法令・厳罰で管理する。・・・そして孫子は次のように続ける。「常日ごろから法令を徹底させ、国民を教育すれば、国民は服従する」。「常日ごろから法令を徹底させないで、国民を教育しても、国民は服従しない」と。
【補足】常日ごろから、兵に対しては愛情と厳罰で臨む。そうすると、将軍と兵士との間に信頼関係がうまれる。信頼関係が有ればいざというときには、兵士は良く動き必勝の軍隊となる。また、愛情と厳罰はバランスの問題であり、どちらに偏ってもいけない。
【第十章 地形編】
兵(へい)に走(はし)る者(もの)あり、弛(ゆる)む者(もの)あり、陥(おちい)る者(もの)あり、崩(くず)るる者(もの)あり、乱(みだ)れる者(もの)あり、北(に、逃げるの意)ぐる者(もの)あり。およそこの六者(ろくしゃ)は、天(てん)の災(わざわ)いに非(あら)ず、将(しょう)の過(あやま)ちなり。・・・ |
【要旨】戦争で敗北する要因に次の6つがある。この6つは天の下した災難ではなく、すべて将軍の過ちである。開戦前に勝利を神仏に祈ったり占いをしたりすることがあるが、敗北の原因は将軍の能力に起因する。・・・そして孫子は次のように続ける。
状 況 | 結 果 | |
一 | 十倍の敵を攻撃すると | 敗走する者がでる |
二 | 兵士は強いが将軍が弱いと | 弛む者がでる |
三 | 将校は強いが兵士が弱いと | 士気が上がらず窮地に陥る者がでる |
四 | 将校が将軍に従わず、勝手に敵と戦ってしまう。しかも将軍が将校の力を知らないと | 自ら崩壊する者がでる |
五 | 将軍が弱く、厳しさも無く、兵士への指示が曖昧。将校や兵士も規律が無く、陣形も乱れていると | 混乱する者がでる |
六 | 将軍が敵の情況を判断できない。少数の兵で多数の敵と戦い、弱い軍隊で強い軍隊を攻撃し、精鋭部隊もいないと | 敗北する |
進(すす)んで名(な)を求(もと)めず、退(しりぞ)いて罪(つみ)を避(さ)けず。 |
【要旨】成功しても名誉を求めず、失敗しても責任を回避しない。
【補足】先ず、「名誉を求めない」ということは謙虚であるということ。反対は傲慢(ごうまん)である。書経(しょきょう)(儒教の経典を四書五経と呼ぶが、書経は、その五経の一つで、孔子の編集。内容は中国草創期の古代帝王たちの政治について書かれている。昭和や平成などの年号の出典にもなっている)に「満(まん)(傲慢)は損(そん)を招(まね)き、謙(けん)(謙虚)は益(えき)を受(う)く」。とある。また、老子(ろうし)(老子は春秋戦国時代の思想家で、道家の祖である老子のおしえが書かれたもの)にも「背伸びして爪先で立とうとすれば、かえって足元が定まらない。自分を是とすれば、かえって無視される。自分を誇示すれば、かえって非難にさらされる。自分の才能を鼻にかければ、かえって足を引っ張られる」、とある。
次に「罪を避けず」とは責任感があること。責任感については、孔子(こうし)は論語(ろんご)(孔子の言行を収録した書)の中で理想のリーダー像について「その身(み)正(ただ)しければ、令(れい)せずして従(したが)われ、その身(み)正(ただし)からざれば、令(れい)すといえども従(したが)われず」(上に立つ人の言動が正しければ、厳命しなくとも部下は上にたつ人を信頼し正しい言動をする)としている。
孫子は将軍の資質として「謙虚」と「責任感」を挙げたのである。
卒(そつ)を視(み)ること嬰児(えいじ)のごとし、故(ゆえ)にこれと深谿(しんけい)に赴(おもむく)くべし。 卒(そつ)を視(み)ること愛子(あいし)の如(ごと)し、故(ゆえ)にこれとともに死(し)すべし。 |
【要旨】将軍が兵士を赤ん坊のように大切にすれば、兵士は将軍を慕い、危険を冒しても深い谷底に行く。将軍が兵士を可愛いわが子のように大切にすれば、兵士は将軍のために命がけで戦う。
・・・そして孫子は次のように続ける。「将軍が兵士を大事にしても命令が出来ず、兵士が軍紀を乱してもそれを止めることが出来なければ、それはわがままな子供のようなものであり、何の役に立たない」、と。
【補足】強い軍隊は将軍と兵士の信頼関係が強い。こういう軍隊では日ごろから将軍が兵士に愛情を以って接し、しかも教育を厳格に行っている。
兵法書の尉繚子(うつりょうし)(尉繚子(うつりょうし)は魏の恵王の時代の人。尉は性、繚は名子は尊称。尉繚子(うつりょうし)の書いた兵法書)にも「善く将たる者は、愛と威とのみ」(将軍を心から慕っている部下で無ければ役には立たない。将軍を恐れている部下でなければ手足のように動かすことは出来ない。部下を命令に従わせるのは温情であり、将軍の地位を確立するのは威信である。恩情と威信によって部下は喜んで命令に従い、将軍は統率力があると言われる)
【第十一章 九地編】
敢(あ)えて問(と)う、敵(てき)衆(しゅう)にして整(ととの)いて将(まさ)に来(き)たらんとす。これを待(ま)つこと如何(いかん)。 曰(いわ)く、先(ま)ずその愛(あい)する所(ところ)を奪(うば)わば、則(すなわ)ち聴(き)かん。兵(へい)の情(じょう)は速(すみ)やかなるを主(しゅ)とし、人(ひと)に及(およ)ばざるに乗(じょう)じ、不虞(ふぐ)の道(みち)に由(よ)り、その戒(いまし)めざるところを攻(せ)むるなり。 |
【要旨】敢えてお尋ねします。敵の大軍が整然と攻撃してきたときは、どの様に備えたら良いか。答えて言う。最初に敵の最も重要視している所(急所、泣き所、ウイーク・ポイント)を奪い取れば、戦いを有利に展開できる。戦いに於いては迅速な行動が重要で、敵の遅れに乗じ、敵の予想できない道を通り、敵の警戒していないところを攻撃するのである。
善(よ)く兵(へい)を用(もち)うる者(もの)は、たとえば率然(そつぜん)のごとし。・・・ 呉人(ごじん)と越人(えつじん)と相悪(あいにく)むも、その船(ふね)を同じくして済(わた)り風(かぜ)に遇(あ)うに当(あ)たりては、その相救(あいすく)うや左右(さゆう)の手(て)のごとし |
【要旨】戦い上手な将軍の戦い方は、例えば率然(そつぜん)のようなものである。(率然(そつぜん)とは常山(じょうざん)という山にいる蛇のことで、その蛇は頭を打つと尾が助に来て、尾を打つと首が助けに来て、その腰を打つと頭と尾が助けに来る)。
・・・敵国同士である呉国と越国の人が、たまたま同じ船に乗り合わせ、その船が暴風にあって船が危ないとなれば、敵国同士である呉国と越国の人は左右の手のように一致協力して助け合う。このように戦い上手な将軍の戦い方は卒然のように出来る。戦う場所には9つあるが「死地」のように絶体絶命の場面になれば仲の悪い者同士もピンチを脱するように協力し合う。
【補足】卒然のように柔軟なものは強い。老子に「天下(てんか)の至柔(しじゅう)は、天下(てんか)の至(し)堅(けん)を馳騁(ちてい)す」(最も柔らかいものは、最も硬いものを意のままに動かすことが出来る)、と。
後段は、呉越同舟の語源。具体例としては日中戦争時に強力な日本軍に対抗するため水と油の蒋介石(国民党軍)と毛沢東(共産軍)が協力して戦った事例がある。
軍(ぐん)に将(しょう)たるのことは、静(せい)にして以(も)って幽(ふか)く、正(せい)にして以(も)って冶(ち)なり。・・ |
【要旨】将軍は、心を静かにし、感情、才能、知恵、本心、などを内に秘め、表面は平静を装いつつ、正しく適切に進められなければいけない。
・・・そして孫子は次の様に続ける。「だから兵から見ると将軍がこれから何をしようとしているのか解らない。また攻撃するときは高いところへ上らせてはしごを外すようにして兵に必死の覚悟をさせる。このように将軍はあらゆる状況の変化、利害、人間の心理などをよく考察しながら進められる」、と。
【補足】将軍の心得を述べたもので、史書(ししょ)野中に「喜怒(きど)を色(いろ)に形(あら)わさず」とある。また、老子(ろうし)には「素晴らしい明知にめぐまれながらも、敢えて暗愚に徹すれば、天下の師表となることが出来る」。とある。そして、荘子(そうし)(2300年前、戦国時代の道家の思想家荘周の著書)の木鶏(もっけい)の話は良くこのことをあらわした有名な寓話である。(昔、紀(き)省子(せいし)という闘鶏飼いの名人が、王様から1羽の闘鶏の訓練をおおせつかった。十日後、王が様子を尋ねると「殺気だっていてダメです」20日後、王が様子を尋ねると他の鳥の声を聴くとみなぎらせるのでダメです)30日後、王が様子を尋ねると「他の鳥の姿を見るとにらみつけるからダメです」40日後、王が様子を尋ねると「もう、大丈夫です。傍で他の鳥が鳴いて挑んでも動ずる気配がありません。まるで木彫りの鶏のようです。これこそ徳が充満している証拠。こうなったらどんな鶏でも勝てません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう」と。)
始(はじ)めは処女(しょじょ)のごとくにして、敵人(てきじん)戸(と)を開(ひら)き、後(のち)には脱兎(だっと)のごとくにして、敵(てき)、拒(ふせ)ぐにおよばず。 |
【要旨】始めは処女のように物静かに振舞い、敵軍が油断したところを、すかさず脱兎のような勢いで攻撃すれば、敵軍は防ぎようがない。軍隊が強いだけでは戦争には勝てない。いかに敵軍を油断させ、その敵軍の油断に乗じて一気に攻撃できるかが重要である。
【第十二章 火攻編】
戦勝(せんしょう)攻取(こうしゅ)してその功(こう)を修(おさ)めざるは凶(きょう)なり。命(な)づけて費留(ひりゅう)と曰(い)う。 |
【要旨】敵軍を攻め破り敵軍の城を奮取しても、戦争目的を達成できなければ、結果は失敗であり、これを費留(無駄骨)という。だから優れた将軍はこれを避ける。
主(しゅ)は怒(いか)りを以(も)って師(し)を興(おこ)すべからず、将(しょう)はチ(いきどお)りを以(も)って戦(たたか)いを致(いた)すべからず。・・・ |
【要旨】君主たるもの、将軍たるものは、怒りにまかせて戦争を起こしてはならない。・・・続けて孫子はいう。「怒りはやがて納まるが、滅びた国は元に戻らず、死んだ人は生き返らない。だから賢明な君主は戦争については慎重だし、優れた将軍は安易な戦いを戒める。これが国家を安泰にし、軍隊を保全する方法なのである」と。
【補足】リーダーの心構えについては尉繚子(うつりょうし)でも「一時の感情にまかせて戦争に突っ走ることは、厳に慎まなければならない。冷静に状況を判断して、勝算ありと見極めれば立ち、利あらずと見れば退く心構えが必要である」、と言っている。
【第十三章 用間編】
明君(めいくん)賢将(けんしょう)は動(うご)きて人(ひと)に勝(かち)ち、成功(せいこう)、衆(しゅう)に出(い)づる所以(ゆえん)の者(もの)は、先知(せんち)なり。・・・ |
【要旨】名君賢将は、戦えば必ず敵を破り、成功を収めるのは、敵軍に先んじて敵軍の情報を探り出すからである。・・・続けて孫子はいう「その情報は、祈り、占い、経験、天体などではなく、人間(スパイ)によるものである」と。
【補足】今も昔も情報は第一。しかも孫子はその情報はスパイによるとしている。
間(かん)を用(もち)いるに五あり。因間(いんかん)あり、内間(ないかん)あり、反間(はんかん)あり、死間(しかん)あり、生間(せいかん)あり。五間(ごかん)倶(とも)に起(お)こりて、その道(みち)を知(し)ること莫(な)く、是(これ)を神紀(しんき)といい、人君(じんくん)の宝(たから)なり。・・・ |
【要旨】スパイには次の5種類が有る。
スパイ種類 | 意 味 | |
一 | 因間 | 敵国の民間人を利用したスパイ |
二 | 内間 | 敵国の官吏を利用したスパイ |
三 | 反間 | 敵国のスパイを利用したスパイ |
四 | 死間 | 味方のスパイに偽情報を敵国に与えさせ、偽情報が暴露したときには敵に殺されるスパイ |
五 | 生間 | 敵国に潜入しては生還し、こちらに情報をもたらすスパイ |
【要旨】国際的には日本、特に東京はスパイ天国と言われている。現に日本の元首相の愛人は中国のスパイというのは有名な話だし、上海の日本領事館員の自殺などは記憶に新しい話である。どこの国も自国の存亡をかけて裏では凄まじい情報合戦を展開しているのである。
まとめ
ここでは、経営戦略上必要と思われる部分、あるいは参考になる部分を抜粋して編集しました。しかし、あれもこれもと欲をかいたため膨大な量になってしまいました。
2500年前の文献ですが、現代でも通用する合理的思考や柔軟な思考など普遍的な考え方が凝縮されています。そのため、過去にも世界中で、軍人を始め、政治家、外交官などに愛読されてきました。歴史上、孫子に影響を受けた有名な人物として、諸葛孔明、毛沢東、ナポレオン、ドイツ皇帝ウイルヘルム2世、日本では八幡太郎義家、武田信玄、山鹿素行、吉田松陰など枚挙に暇がありません(松蔭は松下村塾で孫子の兵法も教えていました)。
しかし、一般的に日本人は直線的発想や戦術(how to、手段、やり方)、戦闘は得意だが、柔軟な考え方や、戦略(what
目的、考え方)的発想は不得手であるといわれています。それだけに孫子の兵法を学ぶ意義は大きいと言えるでしょう。
最近では、経営者が経営戦略の参考書として盛んに読まれるようになりました。
また、一般の方々も自分の人生や社会生活を考えるときに孫子的発想は大いに参考になるということで読まれる方が増えてきたようです。
昨今、グローバル化の時代と言われ、あらゆる面で外国との関係は切り離せないものとなってきました。これからは、一人でも多くの方が戦略的思考を必須のものとして是非身に付けて頂きたいものです。
孫子の兵法には戦略随所に網羅されていますが、物足りない方は全文を読まれたり、他にも文中で紹介したような文献が沢山ありますので一読されるのも良いと思います。
参考文献
孫子の兵法 重沢俊郎著 日中出版
経営戦略 西村克己 日本実業出版社
孫子の兵法を身につける本 是本信義著 中経出版
孫子の兵法がわかる本 守屋洋著 知的生きかた文庫
孫子の兵法 ハイブロー武蔵著 綜合法令
戦国兵法のすべて 武村鏡村著 PHP文庫