「現代と仏教」講義概要




まえがき


 

 今回の「現代と仏教」は平成6年11月に戸田文化会館で開催された、NHKラジオ深夜便リスナーの集いのときの中村勝友元武蔵野女子大教授の講演会「現代と仏教」をラジオで放送したものを記述したものです。
 テーマには「現代と仏教」となっていますが、内容は「現代における仏教の位置付けあるいは状況」とでもいうものです。 本来の仏教は「われわれ一人ひとりがよい人生を送るためには如何に生きるべきか」という「現世」の生き方を説いたお釈迦様の教えです。しかし、現代において仏教は葬式・法事・墓参りなどの死者儀礼、即ち「あの世」のことばかりを扱うようになってしまいました。 死者儀礼も大切でないことはないが、そのためもっと大切なものを失ってしまっているような気がします。
 この講演会は面白、可笑しく,しかも分かりやすく現代における仏教の状況を紹介していて、私が仏教に興味を持つ「きっかけ」を作ってくれた貴重な講演会です。仏教はどうも・・・という方も一度読んでいただき、一人でも多くの方が仏教に関心を持っていただけること祈念します。
 なお、文章はなるべく講演会の言葉を忠実に再現するように心がけましたが、やはり、話し言葉と書き言葉の違いがあり十分に表現できたか自信はありませんが、文章の前後の関係などから筆者が言いたい本旨を汲み取っていただければ幸いです。


本文


ねがはくは 花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃

 これは西行(さいぎょう、1118〜1190.3.23、平安時代〜鎌倉時代の武士、後に出家・歌人)のうたですが、人間は一度は死ななければならないと気がついたとき何とかその最後を良くしたいと思うようです・・・。
例えば、畳の上で死にたいと願う人は多いようですが、現実には真っ白い病院の壁の中で、体中に管を通され蛸入道のような格好で逝かねばならないということが多いようです。また最近は「ポックリ死にたい」ということで、ポックリ寺へお参りする人が増えているとのことです。先日、奈良のあるポックリ寺に若いご婦人が沢山お参りされたので、住職が「あなたたちはえらいですね。今からポックリ死にたいとお参りしているのですか?」と尋ねると「いいえ、姑にポックリ死んでもらいたいから」この話が何処までほんとうか疑わしいですが、本当に恐ろしい世の中になってきたものです。
 あの小野小町と浮名をながしたということで有名な在原業平(825〜880、平安時代の貴族・歌人、平城天皇の孫・阿保親王の五男、六歌仙の一人)は次のように詠っています。

ついに往く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは想わざりしを

我々は自分だけはまだまだ死はやってこないと思っています。
 しかし、二人ともまだまだ気取ったところがあります。私の好きなのは江戸時代の下級武士だったらしいのですが太田蜀山人という人は次のように詠っています。

今迄は 人のことかと想うたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん

旨いですねー。
 新聞の死亡欄には毎日多くの人の名前が載っています。人はどれだけ多くの人が死のうとも、自分と関係ない人ならばびくとのしないものです。
実は「現代と仏教」、現代では仏教が残念ながら葬式、法事、墓参りなどの死者儀礼と結びつけて考えられています。しかし、これだけははっきり言っておきますが、仏教と死者儀礼とはまったく関係ありません。その証拠に、二千五百年前に仏教を開かれたお釈迦様を初めとして、真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・曹洞宗・臨済宗などの日本の各宗派の宗祖といわれる人で、自分の身内や弟子などのために葬式や法事をした人は一人もいません。
それどころか浄土宗の開祖の親鸞は亡くなったあとにこんな言葉を残しています。

それがし閉眼すれば、加茂川に入れて魚に遊ぶべし

「自分が死んだら死体は加茂川に流して魚の餌にしろ」と言っています。もっと凄いのは、神奈川県の藤沢市に遊行寺という寺がありますが、ここは時宗の本山で正式には藤沢山無量光院清浄光寺といいますが、この時宗の開祖である一遍は、

我が宗においては野に捨て獣に施すべし

「我が宗では死体は野原に捨て獣の餌にしろ」とまで言ってるのです。
なのに何故、今のように仏教というと葬式、法事、墓参りといった死者儀礼とばかり結びつけて考えられるようになってしまったのか?
私が過去に何度も言っているのですが「人間の死亡率は100%」。私も人生50年と思っていたのですが、子供が出来てからは「せめてこの子が成人するまで・・・、せめて孫の顔を見てから・・・、ひ孫の顔をみてから・・・」と、人間の欲望には限がありません。逆に言うと自分の問題として死を見つめることはなかなか出来ないということです。有名な言葉が残っています。蓮如(蓮如上人、1415〜1499、室町時代の僧、本願寺中興の祖、本願寺教団の礎を築いた、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を送られる)という人が残した白骨の御文章(蓮如が全国の門徒に発信した法語、本願寺派では「御文章」、大谷派では「御文」、興正派では「御勧章」と呼ぶ)というのがありますが、その中に

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず・・・

とあるが、聞いている人は「人や先々、吾はあと々・・・まだ当分大丈夫」と思っている。
人間にとって死を実感するのは肉親を亡くしたときだと気がついた仏教は、やがて死者儀礼を扱うようになっていったのです。
しかし、残念ながらその後、死後のことばかりを扱う様になっていったのです。しかし、死後の世界はあまりたいしたことではないのです。
仏教が追求しているのは、「一度きりない人生を、必ず死ななければならない人生を、一人ひとりが何をしたら良いのか、どう生きたらよいのか」このことを教えようとしたのが、2500年前のお釈迦様の教えであり、日本の真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗などの宗祖の人達なのです。
 最近は長生きできる世の中になってきました。しかし、その男女の差が大きすぎるのです。夫が死んでから妻は約10年ほど生きることになります。という話しをある会場でしたら、あるご婦人に「何をバカなことを言っているのですか。われわれ女性はその10年を楽しみに生きているのです」何処まで本当かどうかわかりませんがすごい時代になったものだなと思います。
 あるサラリーマンの川柳に言い句がありました。

良い家内 十年たったら おっかない

というのです。これは良いことを聞いたということで家に帰り、早速わが子の母に言うと「十年経っておっかないなら、家みたいに四十年も経っていたらどうなのよ」と言うので夜も寝ずに考えたのが、次の句です。
「良い家内二十年たったらおぼつかない」
「良い家内三十年経ったらおいつかない」
「良い家内 いつまで待ってもまだ来ない」
解りますか?
キリスト教では「死が二人を別つまで・・・」という結婚式の誓いでも分かるように、夫婦のどちらか片方が死んだら夫婦関係はなくなります。しかし、仏教では二世を契るというように、この世で仲の良かった夫婦はあの世に行っても仲がよいということになっています。ある講演会で、「半座を空けて待ってるよ」と、言うように、「仲の良かった夫婦はあの世にいっても極楽の蓮に半座を分けて座ることが出来る」とお経に書いてあるよというと、その講演会が終わり控え室で一服していると、中年のご婦人が入ってきて、「先ほどの先生の話は本当でしょうか?」といわれるので、「私も行った事はないので分りませんがお経にはそう書いてあります」というと、「私は後妻です。後妻の座る蓮はあるのでしょうか?」お釈迦様も手落ちでしたねー!後妻のことは考えていなかったみたいです。そこで「分かりました。お経には書いてありませんが、私が調べてみましょう。三日ほど待ってください」そして、後日電話して「安心してください。蓮には横から一本枝が出ていて、そこに座れます」するとこのご婦人はさめざめと泣くのです。「私は横の葉っぱでは嫌だ、真ん中の蓮に座りたい」無理ないですよね・・・!しかし、そんな事を言っているから仏教がバカにされるのです。はっきり言って、死んでからのことは、どうでもいいと思いませんか。
大切なのは、「縁あってこの世に生まれてきた人間が、死ななければならないその日まで、どうやって生きていったらよい人生を送れるのか」それを教えようとしたのに、何時の間にかあまりにも死者儀礼ばかりを取り扱うようになってしまい、そのため「仏教!」「暗―い」「仏教!」「葬―式!」「仏教!」「法―事!」とろくでもない印象しかない。
 でも、皆さん、良く考えてください。自分で頼んで生まれてきた人はいますか。自分で頼んだわけでもないのに生まれたということから、最近は親に向かって文句をいう子供がいるんですよ。
「なぜ、もっと頭良く生んでくれなかったのよ!」
「なぜ、もっと美人に生んでくれなかったのよ!」
先日、私の教え子が私のところに来て「友達が一円玉ブス、一円玉ブスてバカにするんです」「なんだい、その一円玉ブスって言うのは?」「これ以上崩しようがないブス」だって。今日は一円玉はおられないようですな。何人か五円玉がいらっしゃる。まだ崩れる・・・。
「なぜ、もっと金持ちに生んでくれなかったのよ!」
「なぜ、もっと兄弟を生んでくれなかったのよ!」
「なぜ、もっと都会に生んでくれなかったのよ!」
もっとバカ、「もっと過去に生まれたかった!」などなど。
 同じようなことを今の母親が子供に言ってるんですね「お前はお父ちゃんよりも少しは偉くなれよ。お前の父ちゃんは余り良い学校は出ていないし、一流の企業にも勤めていない。金持ちでもなく、余り偉くもない」「お前は父ちゃんよりも良い学校を出て、一流企業に勤めて、偉くなって、金持ちになるんだよ」無理いうなと言うんです。世の中には遺伝の法則があって、その父ちゃんが貰ってくれたかあちゃんならばボチボチですね、ボチとボチボチの子はボチなんですね・・・」
 今、若い女の子の間でいやな言葉が流行っているんです。三つが高いと書いて「三高」。「私は三高でなければ絶対嫁に行かない」と言っているんです。「なんだいその三高ていうのは」と聞くと「背が高くて、学歴が高くて、収入が高い人」「はあ・・・!えらいもんだね」そこで私は何人かの三高に聞いたんですよ。「今の女の子たちは三高で無ければ嫁に行かないといっているんだけど、君たちはどう思う」といったら、サラッと答えてくれたのが「三高はたぶんあなたを選ばない」旨いですねー!だいたい三高じゃなければ嫁に行かないなんていうのを三高が選ぶわけないでしょう。それよりも一番大切なことは、この世に人として生まれさせてもらったわれわれが、死ななければならないその日まで、人間として生まれてきてよかったなと思えるそんな人生を送ってくれよという願いが、若し、仏教という宗教にに有るとするならば、何故、それを今問わないんだ。それが一番大きな疑問でしょうがないのです。
 話しは変わりますが、最近「私は貝になりたい」というテレビドラマが放送されました。36年前にも、フランキー堺の主演で映画化されましたので、ご存知の方も多いとは思いますが、ここで言っているのは、「先の大戦のとき、赤紙一枚で招集された若者が上官の命令は天皇の命令、天皇の命令は神の命令ということで行った戦争中の行為について、敗戦後に行われた裁判によって、絞首刑になった、このとき青年が「何だよ、何だよ、戦争中には日本人なら誰でもやったことなのに、何故自分だけが死刑にならなければいけないんだ。あー嫌だ、嫌だ、輪廻転生、どうしても生まれ変われるとしても、人間にだけは生まれたくない。どうしても生まれ変わるとしたら、貝になって深い深い海の底で一生平安に過ごしたい」といって死んでいった、というお話しです。皆、そう思ったでしょうな。
実は人間はまことに矛盾に満ちた社会を歩んでいるのです。何故あの人が殺され、あの人が平気な顔で生きているのだろうなどということも、時々みなさんも感じられることがあるのではないでしょうか。ましてや戦争中にやったことによって、殺されていった人達はどんなにかつらかったことかと思ったのは仕方ないことです。
 実は今日みなさんにお話したいのは、あの大戦の後で東京裁判というのが行われました。皆さんも名前だけは覚えているでしょう。東京国際軍事裁判とも言います。
この裁判において、日本人がABCの三つのクラスに分けられて、絞首刑又は銃殺刑によって殺されていったのです。その亡くなった方々は一人残らず決して恨みを抱いて死んでは逝っていないと言う事実だけは申し上げておきたい。実はABCの三つクラスで殺される人達を最後の最後まで見送ることが出来た日本人はたった一人きりおりません。それが私の父である花山真勝という名前の人間でした。その真勝が、あらかじめ遺体は渡さない、遺骨は渡さないといわれましたので遺髪や爪をお受け取りしたのですが、そのとき、例外なく家族に遺書を書いて、家族に渡すというようなことをしていたのです。その遺書を読んだのですが、何処にも私は貝になりたいというような不満が書いてないのです。たった一つだけ例を申し上げます。ある一人の青年はこんなうたを遺して亡くなっています。

おかげさま 今日も一日生かされたぞ ああもったいないありがたい南無

「南無」とは日本の仏教で唱えられている全ての言葉の上についている二字が南無です。即ち、天台宗・日蓮宗などは南無妙法蓮華経。浄土宗・浄土真宗・時宗などの浄土教は南無阿弥陀仏。真言宗は南無大師遍照金剛。臨済宗・曹洞宗などの禅宗は南無釈迦牟尼仏。観音信仰は南無観世音菩薩です。
 現在でもインドでは最初に会った人に対して「尊敬します」「帰依します」「「信頼します」「うやまいます」という意味をこめてあいさつに使います。このように南無は「尊敬します」「帰依します」という意味がありますので、南無妙法蓮華経とは、妙法蓮華経というお経を「うやまいます」、「帰依します」、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀様を「うやまいます」、「帰依します」、南無遍照金剛とは、遍照金剛、即ち弘法大師を「うやまいます」、「帰依します」、南無釈迦牟尼仏とは、お釈迦様を「うやまいます」、「帰依します」、南無観世音菩薩とは、観音様を「うやまいます」、「帰依します」ということになります。
 南無を現代の言葉にしたら、おそらく、最初の「おかげさま」だろうと思います。日本人は良く使うんですよねー。久しぶりに知人に会ったとき「お元気そうで何よりです」「おかげさまで」しかし、この知人がおかげさまの対象ではないですね。今朝、食べたご飯のおかげでもなさそうですし。そうです、おかげさまには対象がないのです。強いて言えば、ご先祖様のおかげということになるでしょうな。
 一人の人間が生まれてくるには、父と母、即ち二人の親がいります。その父と母にもそれぞれ父と母がいますので、4人のおじいさんとおばあさんがいます。こうやって遡ると10代前には1042人、20代前には約10万人、30代前には約10億人の先祖がいたことになります。一代が30年とすると、30代前は900年前、そうです、平安時代になります。30代前には10億人の先祖がいることに気がつけば自分の命がいかに大切かがわかるはずです。しかも、この先祖の組合せが一組でも違えば今のあなたはいないのです。いや、もっとはっきり言えば、この全ての先祖のDNAが自分の身体に凝縮されているのです。このように過去のDNAを頂いて現在の自分がいるのです。さきほど言った、たった一度の人生、二度と繰り返すことのない人生、他の誰もがかわることが出来ない人生、それを歩いているのがわれわれ一人一人ではないでしょうか。
 私、偉そうなことを言ってますが、今から9年前、昭和60年8月12日まで、飛行機に乗るのが怖いと思ったことは一度もありませんでした。この日、ジャンボ日航機が墜落して520人の命がなくなったのです。私はたまたま運の悪いことに、その翌日の13日に飛行機で九州へ行かねばならない仕事を抱えていました。前の日はなんともなく飛行機に乗ったのです。ところが昨日飛行機が落ちたということを聞いてから腰が抜けて立てないんですよ。まあ、それでも私は「人間の死亡率は100%である」といっている以上、今日飛行機が落ちましたから止めますとも行かない。しぶしぶ飛行機に乗ってやっと九州にたどり着いたのですが、後で分かったのですが、あの日航機に乗っていた人が何人も遺書を残していたのです。ほとんどの人が「怖い、怖い」とか「二度と飛行機には乗りたくない」とか、あるいは残していく人に一言残しているだけでしたが、未だに私が忘れないのは、殆ど私と同年代であったカワグチヒロツグという方が、こんな言葉を残しておられるのです。たしかに前の方には「神様助けて」とか「絶対飛行機には乗りたくない」と書いてあるのですが、最後に、「今までの人生は幸せだったと感謝している」私はびっくりしました。もし私が乗っている飛行機がダッチロールを繰り返しながら落ちそうになっているときに「今までの人生は幸せだったと感謝している」と私自身が書けるであろうか。絶対に書けない。そうかといって人に説教している人間が何も残さないのは恥ずかしいということで、その次に飛行機に乗る前に遺書を書き始めたのです。
 「今までの人生は幸せだったと感謝している」たまたまそれを書いているときにわが子の母がやってまいりまして「あなた、何をやっているの?」というので、「実は遺書を書いている」というと、ひょいと見て「日付と名前がないじゃありませんか」「実は、これはいよいよ飛行機が落ちそうになったときに日付と名前を入れようと思う」というと「あなた、バカじゃない。飛行機というのはアッというまに落ちるんですよ。あんなに30分もの間ダッチロールしながら飛んでいたのは、よほどあのパイロットが沈着冷静に操縦していたからですよ。だったらそれは出来るかも知れないけれども、普通は「アッ」という間に落ちてしまうのに遺書を書いている暇なんかないでしょ。万が一書く暇があっても遺書だけがきちんと書いてあって日付と氏名がグチャグチャになっていたらかえってみっともないじゃありませんか」といわれて「はいっ」
そこで、どうしたかというと飛行場から電話を入れたんです。「今までの人生は幸せだったと感謝している・・・」というと「ちょっと、待ってください」「もう一度言ってください」というんです。「どうしてだ」と聞くと、「今から録音します」というんです。冗談じゃない、帰るたびに録音機を「ガシャ」「今までの人生は・・・」いよいよ頭があがらなくなりますのでそれはやめましたがね。実はこれは冗談ででいっているのではないんです。人間というのはいざとなったときに、今までの人生は幸せだったと言い切れるだろうか。
そのとき「ハッ」と思い出したのが、先ほどの戦争犯罪者が亡くなるときにつくったうた「おかげさま 今日も一日生かされたぞああもったいないありがたい南無」といううたであったわけですね。
お釈迦様が残されたこんな言葉があります。法句経(お釈迦様の言葉を集めた原始仏典の一つ、)の182番に次の言葉があります。

人として生をう来るは難く やがて死すべきものの 今命あるはありがたし

素晴らしい言葉です。
 実は私は今でも忘れられないのですが、NHKラジオ歌謡で何十年か前「手のひらを太陽に」という歌だったのですが、最初に発表されたときの歌詞は、「♪手のひらを太陽に透かして見れば、真っ赤に流れる僕の血潮」そのあとですよ、「♪ミミズだってモグラだってナメクジだって・・・」と発表されたのです。そのあと全国から投書が来て、「ナメクジだけは気持ち悪いからやめてくれ」というんです。なぜかというと、その後の歌詞なんです。「♪みんなみんな生きているんだ友達なんだ」ナメクジを見て友達だと思えます?恐らくそれが気持ち悪かったのでしょうな。但し、これだけは言っておきます。ナメクジは人間に塩を掛けられて、溶けるために生まれてきたんではないですよ。ナメクジにはナメクジとしての生きる権利はあるんです。ナメクジになりたいとはわれわれ思わないですよね。特に、ゴキブリなんてのには生まれたいとは思わないでしょう。どういう訳か、日本の主婦はゴキブリを見ると目の敵のように新聞紙を丸めて「ベシャッ」「ベシャッ」って、やってますがね、時々見てやってください「ジーッ」と懐かしそうにこちらを見ている姿は、ひょっとすると三代前の親子か兄弟だったのではないだろうかと思えませんか。ただ大切なことはあらゆる生きものに生まれる可能性があったにもかかわらず、人間として生まれた喜びが分からない人間にどんな教育をしたって何の役にもたたないということは覚えておいてください。即ち、「頼みもしないのに勝手に生みやがって」というような子供を教育するのではなくて「頼みもしないのにようこそ生んで下さった」私はこの考え方を植え付けるのが仏教という宗教だったのではないだろうかと思います。現在仏教というと、さっき言ったように暗い面、暗い面、暗い面というものを見勝ちですけれども間違いのないことは、お釈迦様の時代から2500年という長い年月が経っても絶対に変わらないものは、あの有名な四苦八苦です。お釈迦様の作った四苦八苦という言葉、殆どの日本人は使っているんですよ。日常生活で。「昨日は四苦八苦したよ」というから「どんな苦しみ」というと「何か有るんですか」なければ四苦八苦とは言いません。四苦とは生、老、病、死のことです。誰でも生まれて、年をとり、病気になって、死んでいく苦しみを持っています。しかし、人間ておかしなものですね。若い頃は成長と呼び、ある程度の年になると老化と呼んでいるんですが不思議でなりません。何処まで行っても同じなんです。成長と思ってください。
「這えばたてたてばあゆめの親心といいますが、考えてみてください。皆さんだって昔からクシャクシャだったわけではないでしょう。皮膚を押せば「ババーン」とはねかえかえったのが、今じゃこうやって押すと「ズブズブッ」と入ってしまうでしょうが。人間というのは死ぬまでが成長すると思ってください。
だから、あの一休さん(一休禅師、1394〜1481、大徳寺第47世、)が、正月になって皆が「おめでとうございます」「おめでとうございます」と言ってるときにシャレコウベをつけた杖を持ちながら、

元日は 冥土への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

と言ったという有名なエピソードがあります。
 考えてみれば、正月が来るたびに「おめでとうございます」「おめでとうございます」と言っているが、正月が来るたびにたとえいつ死ぬにしても、一日だけ死ぬ日が近づいただけではないか。私がもっと腹が立つのは戦後の日本の風習で、アメリカの真似をしたんでしょうな。誕生日にケーキを買ってきて、歳の数だけ蝋燭をたてて、みなさんの場合は、立たなくなるくらいまで立てなければならないと思いますがー。よせば良いのに英語で歌を歌うんです。それが正しく歌ってくれれば良いんですがthの発音が出来ていませんからそこら辺を走っているバスの歌になってしまう。だからよくアメリカ人に「なぜ、日本人はバスの歌を歌っているんだ」と言われ困ることがあります。

誕生日 冥土への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

じゃないですか。即ち、私どもは日一日と死に向かって歩いている、その歩いている今日と言う日が素晴らしい日でなかったらどうしたら良いんですか。

子供叱るな来た道じゃ 年寄り嫌(きら)うな往く道じゃ

 「嫌(きら)う」でなく、「笑うな」という場合もありますが、どっちでも良いでしょう。
「子供叱るな来た道じゃ」
 「ダメじゃないの、テレビばかり観て遊んでばかりいて、もっと勉強しなさい」と言っているおかあさん。あなたは、親に言われる前に勉強したかって言うんですよ。また事実、あなたのお子さんやお孫さんが「ご馳走様―。僕これから勉強してくるよ」といったら気持ち悪いと思いませんか。「お前、熱でもあるんじゃない」大体子供なんて遊ぶのが専門ですよ。勉強するわけがない。
「年寄り嫌うな往く道じゃ」
 私、若い頃、年寄りと住んでいて嫌だなーと思ったことがあるんですよ。あの入れ歯、まだ皆が食べている間に入れ歯出すんです。何するんかと思うと、上からお茶を掛けて洗うんです。洗ったお茶をどうするか、「ガラガラッ」とうがいするんです。そして最後には「ウッ」といって飲み込んじゃうんです。ああいう姿を見ておりますと、年寄りにはなりたくないなと若い頃は思っていましたが、最近、似たようなことを私自身するんですね。「ガラガラッ」「ウッ」「これはいけないな」
考えてみると、「子供叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな往く道じゃ」そう考えたときに、お互いに対する思いやりが出来るんじゃないか。仏教と言うと、難しそうに思うかも知れませんが、なーに、仏教を一言でいえば、思いやりのこころ、即ち、苦しんでいる人と手を取り合って一緒に泣いてあげる。これが法事であり葬式なのです。
喜んでいる人と一緒に手を取り合って喜んであげる。これが大切なんです。いつの間にかこちらのほうが、仏教から亡くなってしまった。不幸な面ばかり強調されてしまったので仏教と言うものが現代からマッチしないようにみられるようになったのではないだろうか。分かち合う喜びは二倍になり三倍になり、分かち合う悲しみは半分になり三分の一になるんです。だから家族や近親者を失って悲しんでいる人をせめてこの花で慰めてあげたいと言うから花をあげるんですよ。それを知らないとですね・・・、何のためにお墓の前の花がこちらを向いているのかお分かりになりますか。
お彼岸。日頃殆ど興味のない人でも、お彼岸になると墓参りに出かけるでしょう。ところが出かけた時に何をやってますか。上から水をぶっ掛ける者、線香でいぶしたてる者、おまけに花をあげてくれるのはありがたいですが、どっちに綺麗なほうを向けるかと言えば自分の方へ向けて帰ってくる。かわいそうなのはご先祖様。いつも裏側の汚いほうばかり見せられているんです。何故、このことに気がついたかというと、私のようにこういう所で講演いたしていますと、裏側の汚いほうばかりを見ながら話さなければならない。
あーあ、ご先祖様も裏側の汚いほうばかりを見ているんだろうなと気がついたわけです。
みなさん、お笑いになっていますがね、なぜそうするかという意味が分かっていますか。実は私が花をあげるんじゃないですよ。亡くなったご先祖が仏となって私を見守ってくださる。私が泣いているときは一緒に泣いてくださる。喜んでいるときは一緒に喜んでくださる。それを象徴するのが花なんですよ。だから向こうに向けないでこちらに向けるというように、それぞれ意味があるのに何にも考えないでわれわれはやってきたのではないでしょうか。一つみなさんせっかく今日深夜便の集いに集まってくださった方々は、自分がやっている一年間の宗教行事がどんな意味があるのか一度考えてもらいたいのです。
 しかも、日本人はよく「苦しいときの神頼み」をします。しかし、このときも神様と仏様を区別しているかというと区別していないでしょう。その証拠に頼んでも頼んでも聞いてもらえないときの捨て台詞「この世には神も身も仏もあるものか」かわいそうなのは仏様です。「俺は頼まれた覚えがない」と言いたくなる。仏と神は違うんです。
かの有名なモーゼの十戒の第一条に「私以外の神を持ってはならない」ユダヤ教は一神教ですからね。それを知らないで・・・
そして最後にもう一つ。死んだらみんな天国へ生まれ変われるものと錯覚しています。みなさん誰も天国へはいけません。何故か。天国へいけるのはユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った一神教の信者だけです。われわれ日本人が行けるのは極楽、そして地獄です。
いつの間にか、極楽という言葉が日本の中から消えてしまいました。何故なのかな・・・と私は一生懸命調べたんですよ。そうしたら映画監督の黒沢明という人に責任があったのですね。あの人が「天国と地獄」という映画を発表してからです。それまでは日本人はみんな地獄極楽と言っていたのが、その後、天国と地獄になっちゃったんです。
そんな事はどうでも良いんですけれども、一つだけ覚えておいていただきたいのは、仏教という宗教が目的としたものは決して死者を弔うための宗教ではなく、一番大切なことは、「われわれ一人ひとりがよい人生を送るためには如何に生きるべきか」というお釈迦様の教えです。それではもう一度お釈迦様の次の言葉をかみしめながら私の話を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

人として生をう来るは難く やがて死すべきものの 今命ある葉ありがたし





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