仏教基礎コース


六波羅蜜(ろくはらみつ)


1.六波羅蜜とは

 「波羅蜜」とは、インドのサンスクリット語のパーラミーターの音訳です。パーラミーターとは、「向こうの岸に渡った」という意味です。「到彼岸」とか、「渡」、あるいは「減度」と言われています。度とは、「彼岸に至る」とか「悟りを得る」とか「完成」という意味です。これは、この世(苦しみの世界=娑婆=忍土)から彼岸(悟りの世界)に至ったという意味です。ですから六波羅蜜とは在家信者が彼岸へ行くために行う、布施(ほどこすこと)・持戒(つつしむこと)・忍辱(しのぶこと)・精進(はげむこと)・禅定(精神を集中すること)・智慧(真理をみきわめる力)の六つの修行徳目と言うことになります。

2.布施波羅蜜(ふせはらみつ)

 布施とは、施(ほどこ)すことです。現代の寄付行為というところでしょうか。布施の語源は、昔、暑いインドで体に巻く布を施したことから布施という言葉になったと言われています。修行が生活の全てであった出家者は、生産活動ができませんし、蓄えを持つこともできません。ですから、彼らの命は在家の人のお金や農作物などの財産の布施により成り立っていたのです。ですから仏教では布施は大変重要な修行になります。また、布施は寄付ですから、当然見返りを要求しない行為です。

⇒展開:布施波羅蜜は、別名、檀那波羅蜜(だんなはらみつ)ともいいます。お寺でつかっている「檀家」という言葉は檀那波羅蜜の壇那(だんな)からきています。元々布施の意味ですから、経済的な援助(布施)をする人を世間一般に「檀那」とか「檀那様」といいます。この檀那の人達の家族を「檀家」と呼んでいるのです。

 さて、布施行には、次の三つがあります。



 (1) 財施波羅蜜(ざいせはらみつ)

 財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を出家者や寺に施す物質的な布施のことをいいます。しかし、この方法では財産のない在家の人は彼岸にいけないことになり「金持ち、優遇」となり差別になってしまいます。しかし、仏教の教えの大きな特徴は「平等」の思想です。ですから財施ができない財産のない人には別の方法を用意してあります。それが次の法施、無畏施です。

 ⇒展開:地震や水害時などの衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金などもこの財施にあたります。

 (2) 法施波羅蜜(ほうせはらみつ)    

 法施(ほうせ)は、仏様の教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。もともとは在家の人が出家者に財施をして、かわりに出家者が在家の人に仏様教えを説くことでした。しかし、在家の人が在家の人にお釈迦様の教えを伝えることはとても大事なことです。これらの行為を「やってあげている」という意識ではなく、「やらせてもらっている」という意識が肝心です。彼岸へ渡れるのはあなたなのですから。それと、法施も布施の一種ですから見返りを求めてはいけません。

⇒展開: 実生活の中で、暮らしの知識を教えることも広い意味で法施に当たります。例えば、
・ 道に迷った人に道順を教える。
・ 仕事のできる先輩が後輩に仕事を教える。
・ パソコンのできる人ができない人に使い方などを教える、などです。
人それぞれ得意なことをおこない、人の役に立つことです。

 (3) 無畏施波羅蜜(むいせはらみつ)

 一般には、「布施」と聞くと「財施」を思い浮かべてしまい、「仏教ってお金がかかるし、金持ち優遇の宗教ではないか」ではないかと言う印象を持ってしまいます。しかし、お金や財産がなくともできる修行がこの無畏施という修行です。無畏施というのは、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施をいいます。お金がない人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言葉をかけたり、優しさのある微笑で人と接したりすることは出来るものです。心がけ次第で、困っている人達のために、「布施の心」は持てるはずです。 
お釈迦様は、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中で、財力もなく知恵も無いという人の為に、次に掲げる「無財の七施」をお説きになったのです。

@)眼施(がんせ):優しい眼差しで人に接すること。

A)和顔施(わがんせ):柔和な顔、明るい顔で人に接すること。

B)言辞施(ごんじせ):優しい言葉をかけること。

C)身施(しんせ):労働など身をもって布施すること。

D)心施(しんせ): 心の底から人を思いやる慈悲心を施すこと。

E)牀座施(しょうざせ): 譲ること。例えば、電車の中で体の不自由な人に自分の席を譲ることなどや、人に道を譲ること。

F)房舎施(ぼうじゃせ): 例えば、困っている旅人に我が家を一夜の宿に提供したり、休憩の場を提供したりすることなど。もてなしの心。

    3.持戒波羅蜜(じかいはらみつ)

 持戒(じかい)とは、戒(いましめ=ルール=○○をしてはいけない)を守ると言うことです。「戒」は自分を制する誓いで、「律」は集団が円滑に活動するルールです。戒は自発的なものですから、守れなくとも罰則はありません。律には罰則があります。
仏教の目的は、欲望の炎を消すことによって悟りを得ることにあります。お釈迦様はその為の方法として、三種類の実践を勧めました。そのひとつが戒律です。まずは規則正しい生活からということです。戒律は集団のルールを含みますから、弟子が多くなるにつれ少しずつ増え、出家者用と在家者用とができました。お釈迦様の時代、出家者用は二百数十から三百数十ありました。いろいろな説があり数は定かではありません。在家者用は日々の生活で守るべきものとして、五つだけでした。これを五戒といいます。戒律は、自分の修行の妨げになるような行為を排除する為、そして他人の修行を妨げない為にも、守るべき事としてお釈迦様が定められたのです。戒律は当たり前のことを、当たり前のごとく守って生活していく、よりどころとも言えます。

      (1)五戒律   

@不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物をみだりに殺してはならない。

 ⇒展開:キリスト教との違い
キリスト教でも「汝殺すなかれ」という教えがあります。これは「人間」を対象にしています。これに対して、仏教では「殺生」といいます。殺生とは、「全ての命のあるもの」という意味で、人間に限らず「いきとしいけるもの」全てが対象です。キリスト教との大きな違いです。

A不偸盗戒(ふちゅうとうかい): 盗みを犯してはならない。

B不邪淫戒(ふじゃいんかい): 道ならぬ邪淫を犯してはならない。

 ⇒展開:出家者の妻帯

 ⇒展開:親鸞

 ⇒展開:大黒様

C不妄語戒(ふもうごかい): 嘘をついてはならない。

 ⇒展開:八正道の正語

D不飲酒戒(ふおんじゅかい): 酒を飲んではならない。

 ⇒展開:八正道の正業

 ⇒展開:出家者の飲酒

 ⇒展開:「般若湯」

 以上が五戒律といわれるものです。この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。


            
(2)十戒律(五戒律含む)

E不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい): 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。

⇒展開:八正道の正語

F不自賛毀他戒(ふじさんきたかい): 自分を誉め、他人をくだしてはならない。

G不慳貪戒(ふけんどんかい): 物おしみしてはならない。

H不瞋恚戒(ふしんにかい): 怒ってはならない。

I不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい): お釈迦様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

以上が十戒です。これらの戒を守ることにより心の安定や落ち着きを得ることができ、やがて真理を見る力が生じてくるでしょう。


        4. 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)

 忍辱(にんにく)とは、耐え忍ぶということです。 「辱」は「辱(はずか)しめられたつらさ」と言う意味ですから、「忍辱」は辱しめを耐え忍ぶという意味です。
 元、釈迦族の王子だったお釈迦様は、出家してからは托鉢をして生きていました。托鉢は人に物を恵んでもらうわけですから、分かりやすく言えば乞食をしていたわけです。後にお釈迦様は「遺教経」のなかで、「忍の徳たること、苦行も及ばず」と説かれ、よく耐えた者こそ「心身共に力量のある、偉大な人」だとお示しになっています。
「耐える」ということは、自分を殺すことではなく、それによって自分を磨き、自分を育てるということです。忍耐はその人の人間としての能力を高めてくれるのです。
また、お釈迦様は一度も怒ったことがないといわれています。忍辱とは、別な見方をすれば「寛大で、人をゆるし、受け入れ、咎めだてしない」という寛容な心を涵養することになるということではないでしょうか。

⇒展開:自殺

⇒展開:切れる

        5. 精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)

 精進(しょうじん)は、努力すること。(これは八正道の正精進と同じ事です。)
「精」という言葉は「雑念をまじえず、それ一筋であること=まじりけのないこと」という意味ですから「目標に向かって、ただ一筋に進んでいくこと」ということになります。
 結果がうまくいった、いかなかった、あるいは成功した、失敗したということは問題ではありません。ひたすら努力することが重要なのです。
怠けの心に打ち勝ち、一生懸命他の五波羅蜜を修行することです。ですから、悪いことを一生懸命やることは昇進とはいいません(例えば泥棒に精進するとは言いません) 目標に向かって、ただ一筋に進んでいくことこそ精進なのです。

        6. 禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)

 禅定(ぜんじょう)は、心の動揺・散乱を対冶して、心を集中し安定させ、真理を思惟(しゆ)することです。「禅」とは「静かな心」、「不動の心」という意味です。「定」というのは「心が落ち着いて動揺しない状態」です。 一生懸命に精進し、静かな落ち着いた心で思惟することにより物事の真理が見えてくることになります。

仏教では禅定の方法として、坐禅(座禅)があります。「禅」とは、「瞑想」の意で、それを「坐」して行われるため坐禅(座禅)といいます。

     7. 智慧波羅蜜(ちえはらみつ)

 智慧波羅蜜(ちえはらみつ)は、別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)といいます。
しいて言えば、「正しい判断力」ということ。「自分が何をすればよいのか」「相手に何をしてあげればよいのか」そうした事柄を適切に考える力ということです。この智慧波羅蜜が他の波羅蜜と違うところは、いままで述べてきた、布施・持戒・忍辱・精進・禅定をつねに心がけることにより自然と自分のものとなると言うことです。