仏教基礎コース

八正道(中道、仏道、三学)


1.中道としての八正道

 お釈迦様の最初の説法は、「人間は際限の無い割愛のため、苦に際悩まされている。この苦を克服して、涅槃に至るためには、苦と楽の両極端に走らないで、中道の生き方をすべきである。そのためには中道の実践修行である八正道による生き方をすべきである」と説かれたのです。
 中道、すなわち八正道とは、苦と楽の極端に偏らないことです。だからといって、足して2で割る「両極端の間のちょうど真ん中」という意味ではありません。「真理にあっている」とか、「調和が取れている」と言うような意味です。 なぜ中が良いのか。それは、宇宙は「縁起(えんぎ)」によって成り立っているからです。

⇒展開:中道について
「ソーナよ。そなたはどう思うか? もしもそなたの琴の弦が張すぎていたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
「尊い方よ。そうではありません。」
「そなたはどう思うか?もしもそなたの琴の弦が緩やかすぎたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
「そうではありません。」
「そなたはどう思うか?もしもそなたの琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いを保っているならば、そのとき琴は音声をこころゆく、妙なるひびきを発するであろうか?]
[さようでございます。」
「それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。それ故にそなたは釣合いのとれた努力をせよ。諸の器官の平等なありさまに達せよ。」
(律蔵・マハーヴァッガ五・一・一二・一五〜一七)
このように、お釈迦様は、中道の意義を弦の張り方がちょうど調和していることが、比喩として示されています。中道はの思想はこの調和に対応しているものといえます。

⇒展開:苦と楽の両極端:
お釈迦様の人生

⇒展開:縁起(えんぎ)
「縁起(えんぎ)」とは、宇宙のものは全て縁りかかりながら関連しあって存在している。そのため、世の中のものごとは自分の欲望通りにはならない。だから全てのものは苦であるということです。このように縁起を知らないことを「無明」と言います。無明だから苦が生じるのです。「縁起を見るものは法(ダルマ、真理)を見る」といわれるように、縁起が解れば苦から開放され悟りを得ることができるのです。

2.八正道とは

 八正道の「正」」とは、「優れている」、「善い」、「人間の生き方として極端に走らない」、「的にかなった」とか、「バランスの取れた」と言うような意味です。ですから、八正道とは、「正語、正業、正命正念、正定、正精進、正見、正思惟の八つのバランスの取れた修行方法」ということです。最近では「人間が正しい生き方をするための八つの修行方法」という意味で使用されています。
八正道では、まず、物事の真実の姿を見ること(正見)が大切です。(仏教ではこれを「智慧」と言います)この智慧を得るためには、正しい精神統一(正定)が必要です。正しい精神統一をするためには、正しい生活(正命)が必要です。では正しい生活は何かというと、正しい行いをすること(正業)、正しい言葉を使うこと(正語)、正しく考えること(正思惟)です。(仏教ではこの身・口、意の三つを三業(さんごう)と言います)、三業を正し、正命を高める努力をし(正精進)、最後に、このことを常に忘れないようにすること(正念)です。

⇒展開:六波羅蜜との関連

⇒展開:身・口・意の三業
仏教では、身体、言葉、心、の三つで行為が成り立っていると考えます。身は正業、口は正語、意は正思惟になります。この三つを正すことで正しい生活(正命)が成り立ちます。

⇒展開:中道と中庸の違い
中道と儒教の中庸との違いは、中庸の「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないことを意味するので、抽象的・思想的側面が強いが、中道の「中」とは偏らないことを意味し、「道」は修行の意味ですから実践的な側面が強いとされます。

3−1.正見       

 正見とは、「物事を正しく見る」ということです。正しく見るとは「真実をありのままの姿」で見ると言うことです。真実ありのままの姿とは、「縁起をみる」ということです。われわれが苦から開放されるためには、まず、縁起を知り、無我を知り、無常を知り、世の中のことは自分の思うようにはならないことを自覚する必要があります。そして、人間のあるべき姿を見、知ることは仏陀を見、お釈迦様を見、悟りを得たということになります。仏教では正見を智慧と読んで最も大切な教えの一つとしています。

⇒展開:縁起(如実知見、無明、無我、無常)
縁起とは、「因縁生起」の略語で仏教の根本的な概念です。「茶柱が立つと演技がよい」とか「仏滅に結婚式を挙げるなんて縁起でもない」などと使われることもありますがこれらは誤用で、仏教では「宇宙のあらゆるものは因と縁によって生起する」と言う意味です。ここで言う因とは結果を招いた直接の原因であり、縁とは結果を招いた間接の条件を言います。ですから、私がこの世に生まれてきたのは父と母が結婚したことが直接の原因である「因」です。そして、その父と母がいるのはそれぞれの両親がいたからで、これが間接の条件である「縁」です。ですから世の中のもの全てはさまざまな因と縁の組み合わせの結果であるわけです。「世の中の全てのものはすべて寄り添い、助け合って縁りかかりながら生きている。」と言うことです。このように世の中の全てのもの(諸法)はありのままのすがたが真実の姿である(実相)であると言うことです。これを「諸法実相」といいます。この諸法実相を見ることを「如実知見」といいます。
世の中の全てのものは縁起していると言うことは、世の中には自立自存のものは何もないと言うことです。これは、例えば、あいだの一つを取れば全体が崩れてしまう積木細工のようなものではないでしょうか。

ひきよせて
むすべば柴(雑木の小枝)の庵にて
とくればもとの
野はらなりけり

(慈円1155-1225)

 また、「死にたくない」とだれでも思うでしょうが誰にでも死は平等に訪れます。このように、世の中は自分の思うようにはならないのです。しかし、人間はついつい自分中心に、自分の物差しでものごとを見てしまいます。ところが自分の思うようにならないから悩み苦しむのです。
この様に世の中の真実の姿を見たり知ったりしないことを「無明」と言います。この無明が人の苦(悩みや迷い)をおこさせる根本的な原因となるのです。
では、世の中のものは何故縁起しているのでしょうか。それは、全てのものは「無我」だからです。無我とは、この世のものは全て、仮の姿で存在しているのであって、永遠に不滅のものはないと言うことです。(諸法無我)
また、全てのものは刻一刻と生成と死滅を繰り返しています。このことを「無常」と言います。
このように一切のものは無我であり、無常であり、そして、縁起をして生きていることになります。この縁起を見ることが「正見」です。

⇒展開:おかげさま:
「おかげさま」と言う言葉があります。これは旅人が暑さを凌ぐために木陰で涼を取って休むさまを言います。縁起を良くあらわしている言葉です。世の中のものは全ておかげを与えたり、受けたりして成り立っているのです。知らず知らずのところで。

⇒展開:松下幸之助の生成発展の哲学


3−2.正語      

 正語とは、「正しい言葉を使う」ということです。
正しいかどうかの判断基準は「人のためになる言葉かどうか、それと、平和で調和のとれる生活が出来る言葉かどうか」です。真実を伝える言葉が基本ですが、真実を言うことは時には相手を傷つけることがありますので、相手を幸せにするという認識が必要になってきます。
従って、嘘、陰口、噂話などを慎み、親切で寛大な態度で話す必要があります。大声で話したり、感情的に話したり、独断的に話したりしてはいけません。
正しい言葉を使うためには、まず、心が「正直」であると言うことが必要です。しかし、「正直者はバカを見る」と言われるように、正直を貫くと損をすることが多くなることも事実でしょう。しかし、後で、人生を振り返ったとき後悔することは無いでしょう。正しい言葉の反対の言葉が、正しくない言葉で、これは例えば「うそ」があります。うそはつかないに越したことはありません。しかし、「うそ」も例外としてついてしまうこともあります。(例えば、医者が癌患者に「癌ではありません」などという「相手のために良かれと思ってつくうそ」?であり、もう一つは罪のないうそです。
この様にうそには、人を悲しませないためにつくうそや、人を喜ばせるためにつくうそは場合には許されるが、人を騙すためにつくうそは許されません。

⇒展開:コメデアンの萩本欽一氏の子供時代のエピソードに次のようなものがあります。
欽一氏が中学生のとき、父親の事業が失敗しました。父親は殆ど家に帰らない日々がつづいていました。ある日母親と欽一少年が留守番をしていると借金取りがやってきました。母親は欽一少年に「留守だといってくれ」といって家の奥にかくれました。欣一少年が玄関に出て「だれもいません」と言うと、借金取りは「坊や、うそをついているな」「ほんとうはいるんだろう」といわれ、欣一少年はこまってしまいました。欣一少年は母親から日頃「うそをつかないように」と教育されていたからです。その様子を奥で聞いていた母親はたまりかねて飛び出してきて、借金取りにぺこぺこ頭を下げました。すると頭を下げるたびに頭が床にあたりコツン、コツンと音を立てました。その音を聞いていたら欣一氏は涙があふれて止まらなかったと言うことでした。うそをつくって難しいものだなー。

⇒展開:詐欺に対する日本人と中国人の違い:

3−3.正業    

 正業とは、「正しい行いをする」ことです。その判断基準は、「人の迷惑にならない、人の命の妨げになることはしない」です。

⇒展開:仏教の教え
諸悪魔草
衆善奉行

⇒展開:五戒:
仏教での五つの戒めです。
一、不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物を殺してはならない。
二、不楡盗戒(ふちゅうとうかい):他人のものを盗んではならない
三、不邪淫戒(ふじゃいんかい):みだらな事をしてはならない
四、不妄語戒(ふもうごかい):嘘をついてはならない
五、不飲酒戒(ふおんじゅかい):酒を飲んではならない

3−4.正命 

 正命とは、「寿命を全うする」とか、「正しい生活をすること」です。
仏教では人間の行為は全て身体、言葉、心の三つで成り立つとしています。これを「三業」と言います。この三業を正しく行うことです。ですから、正しい行いをすること(正業)、正しい言葉を使うこと(正語)、正しく考えること(正思惟)ということになります。

3−5.正精進

 正精進とは、「より良い人間になるための努力」と言うことです。仏教の最も大切な徳といわれています。陰日向なくコツコツとひたすれ努力することです。

次のような良い性質を養い、良くない性質を矯正する努力をすることです。
一、今、自分が持っている悪いところを、無くす努力
二、未だ、やったことの無い悪いことを、これからも絶対しないための努力。
三、やっていけないことは、これからもしない努力
四、今、自分が持っている良いところを、これからも伸ばしていく努力
五、未だ、やったことの無い良いことを、これからは積極的にやっていこうという努力。

3−6.正思惟 


 正思惟とは、「正しく考える(勉強や研究)こと」です。正思惟には、無害心(むがいしん)、無瞋恚(むしんい)、無貪欲(むどんよく)の三つがあります

           (1) 無害心(むがいしん)


無害心とは、何かを考えるとき、その目的が、「自然を害さず、命あるものはその命を守るなど、相手に慈しみを持って接しているか」と言うことです。

           (2) 無瞋恚(むしんい)

 瞋も恚も怒りを意味します。ですから、無瞋恚とは、「怒りの無い心のこと」です。誰でも「怒り」は悪いことだと言うことは分かっています。しかし、人は、時には怒りで喧嘩したりしてしまう事があります。この怒りの元は「自分のしたいこと、自分の欲望の邪魔になるため」ということです。

                 (3) 無貪欲(むどんよく)


 無貪欲とは、「欲深にならない」ということです。人間の欲望は際限なく増大し、苦や悩みを生じます。欲望はある意味ではやる気の基になりますが、度を越した欲深は大きな苦労や悩みを背負い込みます。例えば、もっと金が欲しい、収入以上の車が欲しい、能力以上の学校に入りたい、などです。欲望はコントロールする必要があります。

⇒展開:孫氏

⇒展開:マズロー

⇒展開:モチベーション理論

  3−7.正念    

 正念とは、原語でsamma-sati です。サティ とは「気づく」「専念」「心の中で思うこと」などという意味です。ですから、正念とは「いまの自分に気がつく」ということです。瞬間瞬間の自分に気づくことなのですが、自分に気がつくためには精神統一をしなければなりません。気づき、悟り、解脱、涅槃に続く実践の道なのです。
後年、大乗仏教になるとさらに、仏が衆生を救済しようとする真実の思いに心をめぐらすという意味が発生し、真実をあらわす姿である仏を念ずることが「正念」であるとされるようになります。すなわち常に仏を念じて、間違いなく浄土に往生すると信ずる心そのものを、「正念」と呼ぶのです。

3−8.正定  

 正定とは、心を集中することです。人間の能力はそう違わないが、できる人はいざと言うときの集中力が優れている人です。勉強でも、仕事でもだらだら長時間やったから良いということではありません。

4.三学      

  この八正道は後年、「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学」として次のようにまとめられました。まず「戒」によって身を修め、正しく戒を保つことによって正しい「定」に入ることができ、正しい定によって正しい「智慧」を得ることができるというものです。仏道の修行というと、つい苦しい修行を思いおこしてしまいます。しかし、お釈迦様の言っている修行は、日常的に正しい戒を守り、心を落ち着けて智慧を得るという、いわば誰にでもできるものなのです。

三   学 八正道
戒律(規則)を守ること 正語、正業、正命
精神を集中すること 正念、正定、正精進
智慧を磨くこと 正見、正思惟

           
5.八正道と六波羅蜜

八正道 六波羅蜜 (三学)
正見
正思惟
正語 (三業)
正命 (三業)
.正業 (三業)
正精進 精進
正念
正定 禅定
布施
持戒
忍辱
智慧