経営者基礎コース第8回

                          
経営理念


                            まえがき

 経営者基礎コース第8回は「経営理念」です。
現在の経営学は2つの潮流で成り立っています。一方は、学者などが科学的な実験や分析をして理論を構築するという流れです。他方は、実際の経営者などがその実務体験などから経営の考え方をまとめていくという流れです。今回の経営理念はどちらかといえば後者の範疇といえます。現在の経営学は、如何に儲けるかのテクニックを中心とした前者が主流といわざるを得ません。ですから、現在の経営学においては、創業者や経営者の人生から生まれた経営哲学に裏付けされた経営理念はあまり取り上げていません。経営者の経営に対する高い志や、熱い思いは科学としては取り上げにのかもしれません。しかし、企業を経営していくうえで経営理念ほど大切なものはありません。今回は、日本を代表的経営者である松下幸之助と、稲盛和夫の経営理念とその基本である経営哲学を中心に学んでいきます。
(経営理念の大切さは、経営学者であるバーナードも、「利益は企業における技術的要因の結果であり、技術的要因は人間的要因の結果である。人間的要因のエッセンスは、組織を構成する人間の貢献の意志と責任感のことで、これが技術的要因を生みます。そして、この二つの要因の複合体としての企業活動が結果として利益を生み出すわけです。人間的要因も組織道徳や企業文化の結果であり、さらに上位に経営理念があるのです。」バーナードは、企業目的や事業目的を明確にしたときに組織の構成員の心に意味と責任感の意識が生まれ、組織の中でそれらが共有されるとき組織道徳がうまれる」と、説いています。)
 

           1.経営理念とは


 経営理念とは、「この企業は何のために存在しているのか。この企業の目的は何か。企業の目的達成をどのようなやり方で行っていくのか。」といった創業者や経営者の、経営に対する基本の考え方をまとめたものです。全ての経営活動の最終的な拠り所になるものです。会社によっては、「綱領」、「社是」、「社訓」といった形で表している会社もあります。企業が永続的に健全な発展するためには、この経営理念の存在は欠かせません。
ただ、ここで注意しなければならないのは、経営理念があればよいというものではありません。その経営理念は「正しい経営理念」(この正しい経営理念の何が正しいのかということについては後述します)でなければなりません。
 では、この正しい経営理念を生み出す正しい経営哲学はどこから生まれてくるのでしょうか。その最も根本には宗教があります。アメリカならばキリスト教、日本ならば仏教、儒教、神道などです。これらに反して成功した企業はないのです。
 では、この経営理念には実際には何が書いてあるのでしょうか。好業績の会社や新たに策定した会社の経営理念を分析して見ますと、大体次のような内容に集約されます。 まず、「会社が事業を通して、社会に積極的に貢献していく経営姿勢」 、次に、「従業員の幸福を実現していく経営姿勢」です。それから、「革新や進歩を目指す経営姿勢」というのもたくさんあります。また、最近は、「環境に優しい経営姿勢」を謳っているものも増えてきました。
 次に、経営理念の効果をみてみましょう。第一は、会社の社会的役割や責任、会社の目的、共通の価値基準などを明確にするので、企業と従業員の一体感を高める効果があります。そして、従業員は自分の仕事の目的や役割などの仕事の意味を理解し、社会貢献意欲や自己実現の欲求、モチベーションなどを高める効果が期待できます。経営理念が従業員に浸透していればいるほど、結束力も増し、強い組織ができるといわれる所以です。第二は、日常の経営活動のなかでなされる意思決定の最終的なよりどころとなります(企業の憲法的役割)。第三は、経営戦略を策定するうえで、その前提となります。経営戦略の上位概念ということになります。ですから経営理念がなければ、経営戦略は立てられません。第四は、経営理念を内外に発表することにより、外部の認知と信頼を高めることができます。(コーポレート・アイデンティティー(CI:企業イメージの統一))


                    2.松下幸之助の経営理念と経営哲学

                       (1) 松下幸之助の経歴

 第1回経営者基礎コースで取り上げていますのでご参照ください。(ここでは割愛させていただきます。)

                 
(2) 松下電器産業の経営理念

 松下幸之助が創業した、松下電器のホーム・ページを開き、「経営理念」をクリックすると、経営理念は「綱領は、松下電器の事業の目的とその存在理由を簡潔に示したものであり、あらゆる経営活動の根幹を成す松下電器の『経営理念』」です。とあります。そこでその綱領を見てみると次のように記載されています。

綱領
 産業人タルノ本分ニ徹シ
 社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ
 世界文化ノ進展ニ
 寄与センコトヲ期ス

 続いて注釈で、「松下電器の使命とは、生産・販売活動を通じて社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与すること」とあります。続けて、「綱領は、松下電器の事業の目的とその存在の理由を簡潔に示したものであり、あらゆる経営活動の根幹をなす松下電器の『経営理念』です。」と、あります。さらに「昭和4年、創業者の松下幸之助が制定して以来、現在に至るまで、松下電器は常にこの考え方を基本に事業を進めてきました。また、海外事業展開にあたっても、その国の発展のお役に立ち、喜んでいただけることを第一義としてまいりました。社会、経済、産業…、あらゆる面で大きな転換期にある今日、“社会の発展のお役に立つ”企業であり続けるために、私どもは常に経営理念に立脚し、『創造と挑戦』の気概で新しい未来を切り拓いてまいります」、と結んでいます。
 続いて、行動基準の項目になり、「『行動基準』は当社の経営理念を、役員も社員も、全員が実践するために、事業活動のそれぞれの局面において順守すべき具体的事項を定めたものです」、としています。
 更に、松下電器のホーム・ページから、社史をクリックし、綱領の制定された1929年をクリックすると、綱領制定の過程が次のように記載されています。
「創業して10年、不況はますます深刻化していたが、松下電器は順調に発展し、配線器具、電熱器とその取扱商品も増え、それにともなって全国の代理店数も増加した。1928年には、月商は10万円を超え、従業員も300人に増えた。代理店の中には将来を見越して松下電器の商品を主力に販売していこうとするところも出てきた。こうなると松下電器の責任もまた重大である。従来は個人の仕事と考えていたが、社会とのつながりを考慮して事業経営をしていかなければならなくなった。
 そこで所主は社会と企業のあり方についていろいろと思いを巡らせたすえ、「松下電器は社会からの預かりものである。従ってその事業を正しく経営して、社会の発展と人々の生活の向上に貢献するのが当然の務めである。事業の利益は、社会に貢献した報酬として与えられるものである」と思い至った。
1929年3月、所主は松下電気器具製作所を「松下電器製作所」と改称し、同時に松下電器の進むべき道を明示した「綱領・信条」を制定した。この綱領は、その後修正が加えられ現在の文言となったが、その精神は、松下電器の「経営基本方針」として受け継がれてきている。また、1933年7月には「松下電器の遵奉すべき5精神」を制定した。その後2精神が加わり、「綱領・信条」とともに全従業員の行動の指針となった」とあります。

 このような松下電器の経営理念である「綱領」を制定した、彼の経営哲学について次の見ていきます。


                       (3)松下幸之助の経営哲学

 彼は、経営理念を「この会社は何のために存在しているのか。この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか」という経営に対する基本的な考え方で、「経営上最も大切なものである。だから経営者はまず経営理念を確立すべきである」と、いっています。
そこで、彼の経営理念の根底にある経営哲学とはどんなものかを見ていきましょう。彼は、「人生から得た、正しい人生観、社会観、世界観に深く根ざした経営理念でなければならない。このような正しい人生観、社会観、世界観から生まれたものであってこそ、真に「正しい経営理念」たりえるのです。ですから、経営者はそのような自らの人生観、社会観、世界観というものを常日頃から涵養していくことがきわめて大切なのです。」と、いっています。
 この、正しい人生観、社会観、世界観は、「社会の理法」や「自然の摂理」というような「真理」にかなったものでなければなりません。もし、真理に反するようであれば、それは真に正しい人生観、社会観、世界観とはいえないし、そこから生まれてくる経営理念も適切さを欠くことになります。結局、ほんとうの経営理念の出発点と言うものは、そうした社会の理法、自然の摂理といった真理にかなったものでなければなりません。
 このように経営理念は、単に経営にとどまらず、広く、そして深く、人生、人間、社会について「いかにあるべきか」「何が正しいか」という哲学や信念にもとづいたものでなくてはならないのです。
 このように真理に立脚した正しい経営理念は普遍です。ここでいう普遍とは、時代や地域が変わろうと通用すると言うことです。ですから、現代で通用する正しい経営理念は、過去でも、将来でも、いつの時代でも通用するし、日本で通用する正しい経営理念は、アメリカでも中国でも万国で通用するということです。
 また、この経営理念は、国家の経営から、大小を問わず企業の経営は勿論、個人の人生にとっても大変大切なものです。国家の運営においても元首の考えがしょっちゅうぶれたのでは国民の理解は得られないでしょうし、個人で言えば自分がどう生きたいかがはっきりしなければ、中途半端生な人生になってしまうでしょう。
 経営者にとって、日々の経営の中において、さまざまな問題が起きてきます。その一つ一つの問題に誤りなく適確に対処していく上で最終的なよりどころとなるのは、その企業のもつ経営理念です。また、経営者と大勢の従業員を結びつけ、その活動の源泉になるのも経営理念です。従って、経営者は、利潤の獲得や事業の拡張などだけを考えるのではなく、根底には「正しい経営理念」がなくてはならないのです。
 また、経営理念の効果として、彼は「一つの経営理念というものを明確にもった結果、私自身、それ以前に比べて非常に信念的に強固のものが出来てきた。そして従業員に対しても、また得意先に対しても、言うべきことをいい、なすべきことをなすという力強い経営が出来るようになった。また、従業員も私の発表を聞いて非常に感激し、いわば使命感に燃えて仕事に取り組むという姿が見えてきた。一言にして言えば、経営に魂が入ったと言ってもいいような状態になったわけである。そして、それからは、われながら驚くほど事業は急速に発展したのである」といっています。
 しかし、彼も創業当初から経営理念の重要性を認識していたわけではありません。妻と義弟と三人で創業した当初は「食わんがため」だったといっています。ただ、商売をするうえで「いいものをつくらなければいけない。勉強しなければいけない。得意先を大切にしなければいけない。仕入先にも感謝しなくてはならない」というような通念的なことを考えている程度だったといっています。しかし、会社がどんどん大きくなり、従業員も増えていくとその限界を感じ、経営に対していろいろ真剣に考えていき、前述した綱領を定めるに至ったのです。

 それでは、彼の経営理念を定める根本となった経営哲学の重要な部分について、いま少し詳しく見ていきましょう。


@ ことごとく生成発展する
 
正しい経営理念は、社会の理法、自然の摂理と言った「真理」に沿ったものでなければならないのですが、ここで言う社会の理法、自然の摂理とはどういうことでしょうか。一言で言えば「ことごとく生成発展する」ということです。さらにいえば、「宇宙の万物は、無限の過去から無限の未来に向かって絶えることなく、新しいものが生まれては消滅することを繰り返しながら生成発展しているのである。これが自然の理法・社会の理法である。」ということです。(この考え方は仏教の諸行無常の教えから来ています。このことでも分かるように彼はかなり仏教の研究もしていました。)その中にあって、人間社会も物心両面にわたって限りなく発展していくものです。企業活動もこの生成発展する中で、自らも生成発展していく存在なのです。例えば、個々の商品はライフ・サイクルがあり消滅していく商品もあるが伸展していく商品もあり、総じて企業全体は発展していくのです。従って、それらのさまざまな変化に対応した経営が求められているのです。だから、新たな商品開発や新たな投資が必要になってくるのであり、常にビジネスチャンスがあるともいえるのです。このように、自然の理法や社会の理法の中で企業の経営や個人の生活が為されているということを、経営者は認識する必要があります。

⇒展開:諸行無常

A人間観を持つ
 経営活動とは、人間が会い寄って、人間の幸せのために行うものです。従って正しい経営理念は、その主体である「人間とはいかなるものか」、「どういう特質を持っているのか」といったことを正しく把握した上になければなりません。
すなわち、人間は万物の王者であり、いわば神と動物の中間に存在します。だから時には、全てを支配し活用する権能を有すると同時に、一方では、慈しみと公正な心を持って一切を生かしていく責務をあわせ負うものです。従って単に自己の欲望や感情などによって恣意的に万物を支配すると言うようなことはしてはならないのです。
 会社において、経営者はその企業の王者です。人、物、金などの経営資源を意のままに動かす権能を与えられています。しかし、同時に経営者はそれらの人、物、金など全てに対して愛情と公平さ、そして十分な配慮を持って、それぞれが最も生かされるような用い方をしなければなりません。そうすることによって会社を限りなく発展させる責務を全うすることができるのです。こうした自覚を経営者が持つことにより、力強い経営が生まれてくるのです。

B 使命を正しく認識すること
 
人間は、いつの世にも、自らの生活を物心ともに、より豊かで快適なものにしたいと願っています。この人間の欲望を満たしてやるのが企業の基本の役割です。また、企業の目的は利益の追求にあるとする見方がありますが、それは重要ではあるが究極の目的ではありません。事業を通じて人間生活の向上を図ることこそ企業のあるべき姿である。また、経営は社会と深くかかわっており、そういう意味では、経営は私事ではなく公事であり、企業は個人のものではなく社会の公器なのです。また、ときどき企業の社会的責任が問われる事例がおきますが、基本的には会社は本来の事業を通じて人間社会の向上に貢献するものでなければないません。従って会社の活動が社会にとってマイナスならば解散すべきでしょう。

C 自然の理法に従う
 
経営はただ天地自然の理法に従ってすればよいだけである。天地自然の理法とは、当たり前のことを当たり前のようにすることである。例えば、雨が降ってきたら傘をさすようなものである。
 これを経営で言えば、90円の原価のものを100円で売るようなものである。これを90円で売れば商売にならない。また社会的に見て110円が適正妥当なら110円で売ればよい、これが天地自然の理法である。また、商品を売ったらば、代金を回収しなければいけない。これも天地自然の理法である。この様に天地自然の理法とは、当然、為すべきを為すことである。だから、経営とは、良い製品を作って、それを適正な利益を取って販売し、集金を間違いなくやる、この要に当たり前の事をその通りにやればよいのである。


D利益は報酬である
 
事業を通じて「適正利益」を上げることによって「社会貢献」するのが会社の使命である。適正利益とは、買い手から見れば、100円の値段のものは110円の価値があると認めるから100円の代金を払っても買うものである。一方、売り手から見れば、110円の価値のものを努力して90円の原価で作り、100円で売ることになる。この売値から原価を引いた10円が企業の利益になる。この10円は、見方を変えれば、会社の奉仕や努力ともいうべきものである。その奉仕や努力に対しての報酬として利益が与えられるのである。
 このように適正利益を上げるのは企業の社会的責任である。企業は事業を通じて社会に貢献する使命があり、そのためには適正利益は欠かせない。それは利益の使途を観てみれば明白なことである。企業の利益の約半分は税金として国や地方に納められます。その税金は、国民の福祉、教育、公共事業などに使われ、国民の生活を支えているのです。その金額は、国の税収の3分の1にも上のぼります。さらに、この税金を引いた20から30%は株主へ配当金として支払われます。この配当金にも数十%の税金がかかり、これも国や地方に収められ国民生活のために利用されています。このようなかたちで企業の利益の凡そ70%が税金として国や地方に納められ、国や自治体の諸施策が実施できることになるのです。世の中には赤字の企業も多数ありますが、もし、全ての企業が赤字であれば国や自治体の税収が減って、国民生活が困ることになります。従って利益のためにはなんでもするような企業は論外ですが、赤字を出している企業は社会的責任を果たしているとはいえないということになります。この様に企業の利益は非常に大切であるから、経営者はどの様な経営環境であろうとも適性利益を上げ、税金を納め、国や社会に還元するようにしなければいけません。適正利益を出すことは企業の責務なのです。
 さらに、企業は生成発展する環境に合わせて、あるいは一歩先んじて、変革していかなければ存続することはできません。従って、企業においては新商品や新規事業などの開発費は欠かすことはできません。この開発費を利益から回すとするとなると、前述の税金や配当金を支払った残り、すなわち利益の20%程度きりありません。だから、会社が生成発展するための開発費2億円が必要ならば、10億円の利益が必要であり、10億円の利益を出すためには利益率が10%とすれば売上高が100億円必要になってくるのです。だからこの程度の利益も確保できないということは企業として生成発展が難しくなってしまうということです。従って、経営者は、税金、配当、蓄積などの観点から適正利益を考えなければなりません。それは適正利益を確保することが企業の社会的責務だからです。

E共存共栄
 
会社は社会の公器です。自分の会社だけが儲かればよいという考え方では会社の永続的な発展は望めません。会社の真の発展は社会の発展とともにあるという考え、すなわち、共存共栄が基本になければいけません。それが自然の理法であり、社会の理法ナのである。
 企業が活動するためには、仕入先、得意先、需要者、株主、銀行、地域社会など多くの相手とかかわりを持つことになります。そのとき、自分の立場、自分の利益を考えるだけでなく、相手の立場、相手の利益をも同時に考えることが必要なのです。一見、相手を利するだけではないかと思われるかも知れませんが、長い目で見れば、結局、自分の利益にもなるものなのです。これが共存共栄の考え方なのです。


⇒展開:
共生

F世間は正しいと考える
 
企業活動は、直接間接に世間・大衆を相手に行われます。このとき、この世間・大衆をどう見るかは、経営上きわめて重要です。現実には世の中にはいろいろな人がいて、中には変な人もいます。しかし、全体として、あるいは長期的に見れば世間・大衆は「神の如く」正しい判断を下すものです。だから経営者は常に「何が正しいか」を考えて行動すべきです。正しい判断は必ず世間が受け入れてくれることになります。
 リンカーンは「全ての人を一時的にだますことはできるし、一部の人をいつまでも騙しておくこともできる。しかし、全ての人をいつまでも騙し続けることはできない」と言っています。政治も経営も同じです。真実をありのままに知ってもらうことが、長い目で見て一番重要なことなのです。

G必ず成功すると考える
 
現実に経営をしていると、景気・不景気の波や、運・不運などの要因で業績が左右されることもあります。しかし、基本的には、経営は外部の環境で、うまくいったり、うまくいかなかったりというものではありません。経営とはいかなるときにもうまくいくものでなければなりません。
 そして、経営がうまくいったとき、「これは運が良かったのだ」と考え、うまくいかなかったときは、「その原因は自分にある」と考えるのです。物事がうまくいったとき、「これは自分の力でやったのだ」と考えると、そこに驕りや油断が生まれ、次のとき失敗を招きやすいものです。また、物事がうまくいかなかったとき、それを運のせいにしたら、失敗の経験が活かされないし、反省もないので、同じ失敗を繰り返すことになります。しかし、自分のやり方に過ちがあったと考えれば、いろいろ反省し、少なくとも同じ過ちは繰り返さないようになります。「失敗は成功の母」なのです。このことが重要なのです。「失敗の原因は自分にある」という考えに徹すれば、そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができます。そうすれば、その分だけ失敗が少なくなって、どういう状況でもうまくいくことになります。 「不景気だから業績が悪くてもしょうがない。」ということを良く聞きます。しかし、同業者の中には不景気でも利益を上げ、業績を伸ばしている会社もあります。このことは経営はやり方しだいと言うことです。業績が悪い原因を不況という外部要因に求めるのか、自分の経営のやり方という内部要因に求めるかは、成功するか失敗するかの分水嶺です。不景気でもそれにあった経営をすれば必ず成果は上がります。経営のやり方は無限にあり、よい経営をやっていれば不景気はむしろチャンスなのです。

⇒展開:幸せになれる人、なれない人
 テレビを見ていたら、またまた大規模なマルチ商法による詐欺事件が発生した様です。画面では、被害者の1人が「善良な市民を騙すとはとんでもない。悪質な加害者は責任を取れ」と憤慨している様子が映し出されていました。尤も加害者は今回が初めてではなく、有名な詐欺の常習犯だそうですから、多分、また新たな手口を考え出して善良な市民を食い物にしようと悪知恵を働かすことでしょう。被害者には「気の毒」ときりもうしあげられませんし、加害者には「ひどいやつだ」と言わざるを得ません。尤も、このように考えるのは日本人だけのようです。例えば、中国人の場合、「騙すやつも悪いが、騙されるやつも悪い」と考え、他の国でも大体同じように考えるのが一般的です。おそらく、この騙された人のうち、加害者が悪いといって、よく考えれば「あるはずの無いような甘い話」に乗った自己を反省しない人の多くが、また詐欺の被害にあうでしょう。特に最近は「国が悪い、社会が悪い、システムが悪い」と他に責任を転嫁する人が増えています。やはり、自分のどこが悪かったのだろうと素直に反省する謙虚さが再発を防止する尤も肝要なことです。


H自主経営を心がける
 
経営の原理原則の一つが自力による自主経営です。一般に、日本の企業は外国の企業に比べて他人資本が多く自己資本が少ないという特徴があります。戦後のように全てのものが破壊されてしまったような状況下では、他力に依存するのは致し方ない面もありまが、現在では、経営は自力・自主経営を目指すべきでしょう。理由は、他力のほうが安易感があり、経営者がその状態に甘えてしまうことと、他力に頼れば、その分だけ経営が外部環境に左右されやすくなってしまうからです。

Iダム経営を心がける
 
言うまでもなくダムとは、水をせきとめ、蓄えることによって、季節や天候に左右されず、常に必要な一定量の水を使えるようにしておくことです。経営でも同じことが言えます。「経営のあらゆる面にダムを持つことにより、外部の状況に影響されず常に安定的な発展を遂げることができる。」と言うのがダム経営の考え方です。設備のダム、資金のダム、人員のダム、在庫のダム、技術のダム、企画開発のダムなど、経営のいろいろな面にダムを持つことです。ダム経営とは言い換えれば、余裕、ゆとりのある経営をすることです。
 例えば、設備面であれば100%の稼動でなければ赤字になると言うのではなく、80%の稼動でも採算が取れるようにすることです。また、資金面であれば、10億円必要な事業の場合、何らかの事情でそれ以上の資金が必要になったときには対応できません。だから10億円必要なときには11億円とか12億円の資金を準備しておくことが肝要です。ただ、勘違いしてはこまりますが、ここで言うダムとは、過剰投資、過剰設備、過剰在庫等とは違うと言うことです。

J適正経営を行う
 
それぞれの企業やそれぞれの経営者には、おのずから能力の限界と言うものがあります。経営はその限度を自覚しつつ、発展していくことが必要です。その時々の自己の能力の範囲内で経営し、社会に貢献していくということが大切です。
 また、会社がどんどん大きくなっていくと、うまくいかなくなるケースがあります。このときは事業を二つに分割して対応することができます。方法は、別会社にしたり、場合によっては事業部制にしたりするのです。そして、一つは自分で見て、もう一つは信頼できる幹部に全面的に任せることです。

K専業に徹する
 経営には多角化・総合化という生き方と、専業化という生き方があります。この場合、専業化に徹するべきです。第一の理由は、会社の経営力、技術力、資金力、などの資源には限りがあります。この限られた資源を一つのことに集中することにより、その分野ではどこにも負けないというようにすべきです。第二の理由は、多角化した場合、ある部門が赤字を出しても他の部門がカバーしてしまい、原因の所在が解らなくなってしまうとともに、責任の所在がわからなくなり無責任な体制になってしまうという危惧があるからです。

L人を作る
 
よく、「事業は人なり」といわれますように、どんな経営でも適切な人を得て初めて発展するものであり、どんな立派な会社でも人材がいなければ衰退していってしまいます。だから事業経営においては、人を求め、人を作っていくことが必要です。彼は従業員に、「お客様のところに行って、『君のところは何を作っているのか』と尋ねられたら、『松下電器は人を作っています。電気製品も作っていますが、その前に人を作っているのです』と答えなさい」と言ったというのは有名な話です。
 良い商品を作るのが会社の使命であっても、人材がいなければ始まらない話です。 いかに良い人材を作るには、「この会社は何のためにあるのか。どのように経営していくのか。」という、正しい経営理念や使命感があるかどうかによります。正しい経営理念や使命感があれば、経営者や管理者は力強く指導ができ、人材も育つが、それがなければ内容も一貫性がなくなり、情勢や感情に流されたりして人材は育ちにくくなります。
 また、人を育てる上で大切なのは、思い切って仕事を任せ、本人の責任と権限で、自主的に仕事が出来るようにしてあげることです。(この考え方で彼が最初の事業部制を作った)
 また、仕事はできるが社会人としては問題があるというのも好ましありません。こうした社会人としての躾とか教育は本来家庭や学校で行うものであるかもしれませんが、そこが機能していない現状では、企業が果たすべき役割は大きくならざるをえません。企業が行う人材育成は職業人としても社会人としても立派な人間を作ることです。(私の近くの小学校では生徒に第三者には挨拶をさせないという教育方針のようである。学校としては物騒な世の中なので防犯対策のつもりだろうが誤った考えです。だから防犯担当のおじさんに「おはようございます」と声を掛けられてもみんな下をむいて通り過ぎていくのです。こういう教育を受けた生徒が入社してくるのだから会社の人づくり教育は大変です。最近は礼儀作法は人間教育の基礎であるだけではなく、最近では防犯上も有効な手段として認識されています。例えば、コンビニのマニュアルには、店に入ってきた客に目を見て大きな声で、「いらっしゃいませ」と挨拶をしなさい、と書いてあります。これは礼儀作法もさることながら防犯対策の一環です。この挨拶により、犯罪をしようとして入店した人の何割かは思いとどまるといわれています。)

M周知を集めること
 「三人寄れば文殊の知恵」ではないが、経営者は周知を集めて全員経営を心がけるようにすべきです。如何に優秀な人間でも神ではないから幅広い経営の弁部をカバーすることはできないからです。こういうと勘違いする人も多いが、会議をしろということではありません。会議は極力すくないに越したことはありません(会議の弊害は経営者基礎コース第○回の「仕事のできる人で着ない人」参照。)要は、経営者の心構えです。日ごろから意見の出しやすい環境を作っておくことが大切なのです。そうすれば、緊急のときに経営者が独断したとしても、みんなの意見が生かされたことになるからです

N対立しつつ調和すること
 
宇宙のものは全て対立しつつ調和しています。これは一つの自然の理法であり、社会のあるべき姿なのです。太陽と月、男と女など、それぞれが自己主張し合っているが全体としては調和しています。企業においては経営者と労働組合の関係がこれです。この労使問題に対する経営者の基本的な考え方としては、労働組合の意義や存在価値を適正に認識し、労働組合があることは好ましいことであるという考え方にたち、その上で共存共栄を目指していくことが大切なのです。企業と労働組合は一つ一つの問題では対立していても、究極の目標は一致するものだからです。すなわち、企業の発展なくしては、従業員の生活向上を実現することはできないし、従業員の生活の向上がなければ、従業員の仕事への意欲や生産性などがあがらず、企業の発展はありえないからです。勿論、労働組合の中には過激な考え方や行動をする場合もありますが、社会全体や会社の発展から見れば、労働者の生活向上は好ましいものであるという認識が必要です。経営者はこれらのことを踏まえて従業員に誠心誠意対応し、好ましい労使関係を築いていくことが大切なのです。
もう一つ重要なのは労使の力関係は同程度が望ましいと言うことです。。労使の関係とは車の両輪のようなもので、一方が強すぎれば独裁的になり、他方は萎縮してしまうからです。会社が強すぎれば、従業員は疲弊し、組合が強ければ会社は倒産してしまい、会社の目的を達成することができなくなってしまうからです。

⇒展開:縁起(因縁生起)

O経営は創造
 一般に、絵画や音楽などの芸術は高尚なものであり、経営ははるか下の俗事であるととらえがちであるが、芸術が一つの創造活動であるとすれば、経営は芸術そのものです。何故なら、経営は一つの事業の構想を考え、計画を立て、それにもとづいて、資金を集め、工場などの施設を作り、人を得て、製品男開発し、それを生産し、人々の用に立てることですが、その過程は画家が絵を描くが如く、創造の連続といえるからです。そして、それらの活動を総合し調整する全体の経営もまた創造です。この様に、経営は、絵画や音楽のように、単独の芸術ではなく、いろいろなものを包含した総合的な芸術であるといえます。 また、経営は、刻々変わる環境の変化に応じて、あるいは、一歩先んじて手を打っていくもので変化していかなければならず、そういう意味では終わりのない芸術であるともいえるのです。また、芸術は失敗しても社会に対しての影響は少ないが、経営という芸術は失敗、例えば倒産などをすれば社会に大きな影響を与えます。そういう意味では経営は失敗を許されない芸術といえるでしょう。

P時代の変化に適応
 正しい経営理念は、前述したように普遍的なものなので、基本的にはいつの時代にも通用します。
しかし、その経営理念を受けて作られた方針や方策は、その時代によって変わっていくことはあります。と言うよりも時代を先取りして変えていくべきものです。企業を取り巻く環境は常に変化しているのですから、その中で発展していくためには、社会の変化を先取りしていかなければならないからです。例えば、立派な経営理念を持った老舗と言われる会社でも、その時々の時代に沿った方針ややり方に改めなければ経営危機におちいってしまいます。例えば、宗教でいえば偉大な宗祖が説いた立派な教えは、本質においてはいつの時代でも通用するものです。しかし、何百年、何千年前の教えを現代でもそのまま教えても、現代の人には受け入れられにくいものです。宗祖の立派な教えを現代にあわせた表現をすることによって多くの人々に受け入れられるものになるのです。経営も同じことが言えます。立派な経営理念があっても、十年一日の如く、同じことをやっていたのでは業績は挙がりません。刻々変わる環境の変化に対応、あるいは先取りした方針ややり方が必要なのです。

Q政治に関心を持つ
 戦前は、経済は経済、政治は政治という風潮で、特に大阪ではその傾向が強かったようです。しかし、現代では政治と経済は密接な関係にあり、政治により経済が左右されることもあるし、経済が政治を動かすこともあります。例えば景気不景気は政府の財政政策、経済政策により影響されるし、経済活動に必要な道路や空港などの公共施設の整備は、政治の仕事です。また「事業は人なり」と言われる人材の育成機関である学校教育も政治が大きくかかわっています。
これらのことから、企業は正しい経営理念を持ち、経営努力を懸命にやらなければいけませんが、それだけでは不十分です。それに政治の適切な政策がなければならなりません。そのため、経営者は政治に関心を持ち、政治に対して要望をしていかなければなりません。誤解されては困まりますが、政治に対して要望と言うと、ともすれば自分の会社や、自分の業界に特別の便宜を図ってもらうためにするということではありません。経済人としての立場から、何が国家や国民のために好ましいかと言うことを要望すると言うことです。


R素直な心
 
 経営者の心構えの最も根本にあるものは「素直な心」である。素直な心とは「とらわれない心」である。とらわれない心とは、「自分の利害とか感情、知識や先入観にとらわれず、ものごとをありのままに見ようとする心」である。なぜ素直な心が必要なのかといえば、「物事の真実の姿」が見えてくるからである。それに基づいて、何をしなくてはいけないか、何をしてはいけないかが分かってくる。しなくてはいけないことをして、してはいけないことをしないという真の勇気がわいてくる。そこから寛容の心や慈悲の心も生まれてくる。だから人や物など一切を生かすような経営ができてくる。またどんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍(一つの考え方にとらわれることなく、どんな自体にも滞りなく対応できること)に順応同化し、日に新たな経営も生み出しやすい。
 一言で言えば素直な心は、その人を正しく、強く、聡明にする。これらの極地は神であるともいえよう。人間は神ではないが、素直な心が高まればそれだけ神に近づくことができるともいえる。従ってなになにをやっても成功するということになる。経営においても然りである。
 ではどうすれば、素直な心を高めていくことができるだろうか。例えば戦国の武将は禅の修業をする人が多かった。禅の修業と言うのは自分の心のとらわれをなくすものであり、それは素直な心に通じるものがあるからである。古の武将たちはできる限りとらわれのない心で、戦いと言う最も真剣な経営に臨むためである。
 例えば、碁は特別に先生について指導を受けたりしなくとも、およそ10,000回打てば、初段くらいの強さにはなれるのだという。だから素直な心になりたいと言うことを強く心に願って、毎日、そういう気持ちで過ごせば、10,000日、すなわち約30年で素直な心の初段にはなれるのではないかと考えるのである。初段ともなれば、一応ことに当たってある程度素直な心が働き、そう大きな過ちを犯すことは避けられるようになるだろう。そう考えて、私自身は日々それを心がけ、また自分に日々それを心がけ、また自分の言動を反省して、少しでも素直な心を養い高めていこうとしているのである。
 そのように方法は自らこれと思われるものを求めたらよいわけだが、素直なこころの涵養、向上ということ自体は、あらゆる経営者、さらには全ての人が心がけていくべき、きわめて大切なものである。それなくして、経営の真の成功も、人生の真の幸せもありえないといっても良い。だから、素直な心に段位をつけられるものであれば、やはり、お互い初段ぐらいはなることを目指したい。そこまで行けば、これまで述べてきたようなことも、おのずと体得され、生かされてくるといってよいであろう。素直な心こそ、あらゆる意味における経営を成功させる基本的な心のあり方なのである。
(松下幸之助の著書「実践経営哲学」の一部(素直な心)を抜粋)
 
このように素直な心は、物事を色眼鏡で見ないということです。そうすることにより物事の真実の姿を見ることができるわけです。素直な心は経営者の心構えの根本に位置するものです。しかし、この素直な心は経営者のみならず、全ての人にいえることです。例えば、スポーツ、特に柔道などでは、ごく自然にたった体の構えを「自然体」といいます。これも素直な心、とらわれない心を体にあらわしたものです。一見、隙だらけのようにも見えますが、この姿勢があらゆる変化に柔軟に対応できる理想の構えなのです。


                   3.稲盛和夫の経営理念と経営哲学


                (1)稲盛和夫経歴


昭和 7年(1932年)、鹿児島県に生まれる。
昭和25年(1955年)、年鹿児島大学工学部卒業する。
昭和34年(1959年)、資本金300万円で京都セラミック株式会社(現京セラ株式会社)を設立する。
              現在同社の売上高は1兆円強の優良企業である。
昭和59年(1984年)、電気通信事業の自由化に即応し、DDI (第二電電株式会社)を設立する。
              国内の長距離電話の低料金化を実現する。
昭和62年(1987年)〜移動体通信事業を行うセルラー電話会社8社を次々に設立し、全国通信ネットワークを作り上げる。
平成12年(2000年)、 KDD、DDI、IDOの合併により株式会社ディーディーアイ(KDDI)設立、名誉会長に就任する。
平成13年(2001年)、最高顧問に就任する。現在同社の売上高は3兆円強。
昭和59年(1984年)、
私財200億円を投じて財団法人稲盛財団を設立し、理事長に就任する。
              「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という自身の理念に基づき設立。
昭和60年(1985年)、国際賞「京都賞」の顕彰と、国内の若手研究者を対象とした助成事業を開始する。
             「京都賞」とは、人類社会の進歩発展に著しく貢献した人々に贈る目的で顕彰する。
昭和58年(1983年)、経営塾「盛和塾」を設立する。


                       (2)京セラの経営理念

 それでは、稲盛和夫が創業した京セラの経営理念を見てみましょう。京セラのホーム・ページを開き経営理念のところを開くと、次のように書いてあります。
 まず、社是“敬天愛人”とあり、「常に公明正大謙虚な心で仕事にあたり天を敬い人を愛し仕事を愛し会社を愛し国を愛する心」と補足しています。
([敬天愛人]は、[天を敬い人を愛す]と読みます。西郷隆盛の好んだ言葉です。南洲翁遺訓に「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天(天地自然を司る道理)は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人(自己を含む人類全てを指すと同時に、人々によって築かれる生活や社会)を愛する也。」とあります。意味は、道理を敬い、人とその営みを愛すということです)。ワタミの渡辺美樹社長は、敬天愛人には「人はなんのために生きるのかといえば、自分以外の人の幸せのために、自分の幸せを重ねるためだと思います。これがこの言葉に集約されているのです。」といっています。)
 次に経営理念とあり,、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」とあります。補足として、稲盛和夫の言葉で「京セラは、資金も信用も実績もない小さな町工場から出発しました。頼れるものはなけなしの技術と、信じあえる仲間だけでした。会社の発展のために一人ひとりが精一杯努力する、経営者も命をかけてみんなの信頼にこたえる、働く仲間のそのような心を信じ、私利私欲のためではない、社員のみんなが本当にこの会社で働いてよかったと思う、すばらしい会社でありたいと考えてやってきたのが京セラの経営です。人の心はうつろいやすく変わりやすいものといわれますが、また同時にこれほど強固なものもないのです。その強い心のつながりをベースにしてきた経営、ここに京セラの原点があります。」と、「心をベースに経営する」という一文が載っています。
 この経営理念を作った背景には、創業して間もないころ彼と従業員とのやり取りがありました。彼は大学を卒業して入社した中小企業でセラミックの研究をしていましたが、上司と合わず退職しました。しかし、彼の人と能力を見込んで同僚たちが彼の夢を実現させるために設立したのが今の京セラです。当初28人で発足しましたが、社業の発展とともに、新入社員が大勢入社してきました。彼らは団体で月給制の履行や将来の保証を要求してきました。三日三晩の話し合いでどうにか妥結しましたが、この体験がそれまでの彼の、「会社は稲盛和夫の技術を世に問うための場」(自己実現の場)という考えを、「会社は全従業員の物心両面の幸福を追求するとともに、人類・社会の進歩発展に貢献する場」(利他の場)へと大きく転換させるきっかけになりました。経営理念はこの考えが反映されたものなのです。

                  (3)稲盛和夫の経営哲学(京セラフィロソフィ)


 京セラの経営理念の背景には、稲盛和夫の体験に基づいた経営哲学があります。
「経営はいかにあるべきか」、と言うテーマを真摯に探求した経営者の一人が稲盛和男です。彼は経営が発展していくためには、しっかりした「経営哲学」に裏づけされた「経営理念」が必要であり、これを社員と共有しなければならないと考えました。この経営理念のベースになる考え方は、彼がこどものころに親や先生から教わった「人間として何が正しいのか」という人間として最も基本的な道徳律でした。彼はこの道徳律に裏づけされた「経営哲学」を練り上げ、日々の経営活動の判断基準にしました。そして、彼はこの経営哲学を元に「京セラ・フィロソフィ」としてまとめました。その大意は次のようなものです。

・われわれは、常に正しいものを追い求める心、理想を追い求める心を求めなければならない。

・われわれは、物事に対処するときは誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持たねばならない。

・誰にも負けない努力・限度のない努力をしなさい。努力こそが偉大なことを成し遂げる原動力なのです。


 このような内容の京セラ・フィロソフィを基に経営に当たった彼は、どんな環境でも、どんな時代でも成功する経営の要諦を見つけ出しました。彼はそれを経営の原点として、次の「経営の12か条」にまとめました。


                       (4)稲盛和男の経営の12か条


@事業の目的・意義を明確にする
 
「何故この事業を行うのか」という企業の目的を明確にしなければなりません。そして、その内容は従業員が心から受け入れてくれる公明正大な「大義名分」(人として守るべき道(理))がなければなりません。そうでなければ従業員はその経営者の下で働きたいと思わないからです。

A必ず具体的な目標を立てる
 
期間(今年度、今月などの)を定めて、あらゆる面で具体的な目標を数値化して、従業員に徹底し、必ず守るようにします。そうすることによって、従業員の経営への参加意識や目標達成への力が高まります。

B事業を成功させたいと言う強烈な願望を心に抱く
 何事も漠然とやっていては気づくことも気づかないし、できることもできません。一生懸命思い続けることによって、成功のひらめきやヒントも得られるものです。

C誰にも負けない努力をする
 
物事を成就させることができるのは目標に向かって誰にも負けない努力をすることが大切です。

D売上を最大限に、経費を最小限に
 
経営の基本は、いかに売上を大きくし、経費を少なくするかです。この日々の努力の結果が利益になり、企業も発展することができるのです。

E値決めは経営
 
値決めは経営そのものです。値段をいくらにするかは経営者の最も重要な仕事です。高すぎれば売れないだろうし、安ければ利益が出なくなります。経営者は自分の製品価値を正しく認識し、販売量×価格の積が最大になるように値決めしなくてはいけません。

F経営は強い意思で決まる
 
予定通りに行かないのが経営です。想定外の課題に直面することも多々あります。その困難を乗り切るためには強い意志が必要です。その強い意志は正しい経営理念から生まれるものです。

G燃える闘魂
 経営は常に真剣勝負です。格闘技と同じようなものです。ですから経営者は困難な状況になればなるほど絶対負けないという強い闘志を燃やさなければなりません。弱気を見せたとき組織は内部から崩れていきます。

H勇気を持って事に当たる
 経営哲学の根本は「何が正しいか」です。しかし、正しいこととは万人から受け入れられるものではありません。そのような場面で、経営者は勇気を持って正しいことを貫きとおさなければいけません。少しでも、卑怯な振る舞いを見せれば従業員との信頼関係は崩れてしまうからです。

I常に創造的に仕事を行う
 ここでいう創造的に仕事を行うということは、偉大な発明発見だけをさしているのではありません。各人が自分の仕事(どんな仕事だろうと)に対して常に改善、改良を心がけることが必要です。なんとなく昨日と同じ仕事をしているようなやり方を避けるべきです。

J思いやりの心で誠実に
 7、8、9で述べたように、経営者は常に強くなければいけない立場です。それだけに、相手の立場を思いやり、優しさを持つことが必要です。自分だけの利益を追求すれば、一時的な利益は得られても永続的な繁栄はできません。

K常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
 
経営者は、常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて、素直な心で経営しなければいけません。
ですから、経営者は次のようなことをしてはいけません。
@)物事を否定的に見ない
A)批判ばかりししない
B)暗い表情をしない
C)不平・不満を部下にしない

                  (5)盛和塾について

 昭和58年(1983年)、「経営者は組織の全責任を負う大変重い立場にいる。その経営者に少しでも正しい考え方を持ってもらい、全従業員や家族などを幸せにし、また地域社会に貢献してもらえたら世の中はますます住みやすくなるだろう」との熱い思いから、全国の若手経営者の育成のため、経営塾「盛和塾」を設立しました。そして、その塾長として、多種多様な企業の若手経営者を対象に、経営および経営者のあり方を伝えていくというボランテイア活動をしています。現在会員は約4000人。


                    4.経営理念と業績の関係

 いまままで、経営理念についていろいろ述べてきましたが、それでも「経営理念が本当に業績上げる効果があるのか」という疑問が残ります。この点を調査したのが産業能率大学の宮田矢八郎教授です。同教授はいろいろな業種やいろいろな規模の企業にアンケート調査をすることによって、経営理念と業績向上は比例するという傾向を見出しました。そのアンケートの質問項目は15項目でしたが、次にその主なものを見ていきましょう。

アンケート1.経営理念の有無
回答:あるが53%でした。

アンケート2.利益額と経営理念の関係
回答:次の表のように、利益の出ている企業ほど経営理念がある企業数の割合が高くなっています。

利益額 経営理念がある企業数
3千万未満 49%
3千万円〜1億円未満 61%
1億円〜3億円未満 69%
30億円〜 79%



アンケート3.売上高と経営理念の関係
回答:次の表のように、売上の多い企業ほど経営理念がある企業数の割合が高くなっています。(アンケート2と3で、若干気になるのは創業して、ある程度の年月がたち、諸条件が揃った、より大きな企業ほど経営理念を持つ余裕ができてきたとも解釈できないこともない)

売上高 経営理念がある企業数
2.5億円未満 47%
2.5億円〜10億円未満 61%
10億円〜30億円未満 69%
30億円〜 79%


アンケート4.経営理念と製品開発の関係
回答:73%という多くの企業が経営理念と製品開発の関係があると答えています。

アンケート 関係あり
経営理念と製品開発の関係の有無
73%

この様に優良企業の経営者は、経営理念の有効性を経営実務の中から認識していることが実証されたわけです。

アンケート5.理念と利益の対立があったときはどちらを選びますか
回答:このアンケート結果からも、大部分の経営者のモラルの正常性が伺えます。(残りの経営者の会社は大丈夫なのかな。)

アンケート: 理念を選ぶ
理念と利益の対立があったときはどちらを選びますか 68%


アンケート6.理念はいつできましたか
回答:次の表のように、経営理念を創業時と答えたのは意外と少なく40%でした。松下電器を創った松下幸之助も、京セラを創った稲盛和夫も、創業してしばらく立ってから、「この企業は何のために存在しているのか。この企業の目的は何か。企業の目的達成をどのようなやり方で行っていくのか」と、いう経営理念の重要性に気がついて、経営理念を作っています。このように、一般的には経営者の成長・成熟とともに経営理念がつくられていく傾向があります。ですからどの企業でも経営理念を持つことは今からでも遅くないと言うこともいえます。

できた時期
創業時 40%
創業5年以内 19%
6年〜10年 12%
11年〜20年 10%
20年超 15%


                                まとめ

 松下幸之助と稲盛和夫という、いわば日本を代表する経営者の経営哲学と経営理念を中心に見てきました。もうお分かりになっている人もたくさんいらっしゃるかと思いますが、この二人の共通点は、経営理念の根本にきちんとした哲学とか宗教とか武士道などの精神があるということです。例えば、松下幸之助の、「生成発展する」という考えは、仏教の諸行無常から、稲盛和夫の、「正しいかどうか」ということは、仏教の八正道という教えによるものです。また、稲盛和夫の「勇気」は、儒教や武士道の精神の一つです。この様に、二人の経営理念の根底には、かつて、われわれ一般の日本人なら誰でも持っていた哲学、宗教、そして、倫理、道徳があるのです。(欧米ではキリスト教がその役割を担っていました。)。これは、なにもこの二人に限ったことではありません。優れた経営者は経営と哲学、宗教をわけて考えることはしませんでした。例えば、明治時代の偉大な経営者である渋沢栄一は、終生「論語」を終生手放さなかったといわれているし、「論語講義」という本まで著しています。
 しかし、最近ではこれらの哲学、宗教に裏づけされた経営者の倫理、道徳が薄れた結果、倫理や道徳どころか、法律さえ踏みにじる経営者が増えてきて、不祥事を多発しているのです。ライブドア、村上フアンド、コムスン、ミート・ホープ、JR西日本など、最近の経営者の倫理・道徳・常識の欠如した経営者の引き起こした事件は枚挙に暇がありません。
 アメリカにおいても2001年のエンロン事件(米でも有数の大企業だったが、巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て破綻に追い込まれた。負債総額400億ドル。)や、2002年のワールドコム事件(大手通信会社で、連邦倒産法(日本の会社更生法に相当する)適用を申請した。負債総額は410億ドル(約4兆7000億円)で、アメリカ史上最大の経営破綻となった。)以降、不正による経営破綻など反社会的な経営者が続出しました
 これらの解決法はいくつかあるでしょうが一番簡単なのは、過去に輩出した渋沢栄一、松下幸之助、本田宗一郎など、偉大な経営者たちや、現代のすばらしい経営者である稲盛和夫などの、足跡や経営理念・経営哲学を学ぶことでしょう。


                               参考図書

                       実践経営哲学 松下幸之助著 PHP文庫
                         心を高める、経営を伸ばす 稲盛和夫著  PHP文庫
                          稲和会会報