経営者基礎コース第6回

リーダーの条件

はじめに

 第6回のテーマは「リーダーの条件」としました。iいろいろな組織にいろいろなリーダーがいますが、今回は企業の経営者・管理者に焦点を当てて進めさせて頂きます。毎回述べているように経営者は、責任ある重要な立場です。しかし、経営者には特に定められた試験があるわけではありません。と言うことは誰でもなれるということです。現在日本には200万以上の企業がありそれだけの経営者がいるわけです。その中には不適格な経営者が紛れ込んでくることも大いにありえるということです。現に、毎日のように経営者にまつわる不祥事、事件、事故などが発生しています。この事実からも現に経営者の資質や能力などのその条件面で問題がある経営者も多いと言うことの証です。ではリーダーには何が求められていているのか。逆に言えば何が不足していて問題がおきているのか。そこに焦点をあて、リーダーに求められる資質や能力などをまとめて「リーダーの条件」というテーマとしました。
(なお、今回は、某社で行った幹部講習会の原稿を手直しして発刊することにしたもので、若干編集、表現などが違う部分もありますがご了承願います。)

                        1.前提

 先ず、本論を語る前提として、組織、リーダー・シップ、管理者、管理者のスキル、人間の能力、リーダーの能力、モチベーションなどについて若干説明します。

                           (1)組織

 会社は個人では出来ないような大きな仕事、あるいは長期的な仕事をするために出来た組織であるといわれています。それでは組織とは何でしょうか。
一般的に組織の定義は次の3点です。

複数の人間の集まり
一定の目的のもと
マネジメント(経営・管理・人に一定の仕事をさせること)が行われている

                          (2)リーダー・シップ

 組織の目的を達成するためマネジメントを行おうとするとき、メンバーに影響を与える人をリーダー、そういう能力をリーダー・シップといいます。
このリーダーのメンバーに影響を与える力(パワー)の源泉について、過去にいろいろ研究された結果次の5つであると言われています。

パワー源泉の種類 内    容
強制的 給与や配属などで差別するなど、恐怖に基づいたパワー
報償的 昇進、昇給、高評価、栄転など、報償に基づいたパワー
正当的 上司が部下に命令するなど、地位に基づくパワー
専門的 専門知識や特殊技能などに基づくパワー
同一的 尊敬する人に同化したいという欲求に基づくパワー

                          (3)管理者の活動

 経営者(一般には社長)や、管理者(取締役、部長、課長、係長)などの活動にはどんなものがあるのか。いろいろな考え方がありますが、ここではそのなかから代表的な2つの考え方を紹介します。

ひとつは古典的な考えで、管理者の活動は次の4つの管理者行動サイクルを回す(1から2、2から3へと)ことであるとしています。

管理行動サイクル 内    容
計画 目標を設定し、基本戦略を立てるなど
組織 仕事の内容をきめ、担当者を決めるなど
指揮 目標にむけて従業員の活動を調整するなど
統制 活動が設定目標に沿っているか評価し、調整するなど

最近のもうひとつの考え方は、管理者の役割は次の3つであるとしています。

管理者の役割 内    容
対人関係 メンバーを方向付けし、内外の人との関係の処理をする
情報管理 情報を収集し、解析し、公開するなど
意思決定 新事業を始めたり、トラブルの解決したり、資源配分を決めるなど

                          (4)管理者のスキル

 それでは、経営者や管理者などのリーダーにはどういうスキル(能力)が求められるのでしょうか。いろいろな考え方がありますが、アメリカの心理学者カッツ(Katz.1974−)は、次のように階層により管理者に異なるスキルが必要であるとしています。

管理者の階層 内    容
トップ・マネジメント 社長など コンセプチュアル・スキル(総合的判断力)
ミドル・マネジメント 部長など ヒューマン・スキル(人間関係能力)
ロアー・マネジメント 係長など テクニカル・スキル(専門知識能力)

 「テクニカル・スキル」は、専門知識能力と訳されています。ロアー・マネジメントで重要です。例えば経理係長は簿記、会計、税務などの業務の知識が無ければ業務遂行も部下の指導も出来ないでしょう。
 「ヒューマン・スキル」は、人間関係能力と訳されています。ミドル・マネジメントで重要です。例えば、ゼネコンの営業部長ならば、部下が受注した仕事について、上司に報告し、管理部門に発注者に信用があるかないかの調査を、設計部門に図面作成を、積算部門に見積作成を、工事部門に工事予定について、経理には入出金予定を、それぞれ連絡・調整・管理しなくてはなりません。このように特にミドル・マネジメントでは仕事を迅速かつ円滑に進めるためには上司、部下、他部門との調整が大変重要になります。このとき重要なスキルとしてコミュニケーション・スキル(意思疎通能力)があげられます。
 「コンセプチュアル・スキル」は、総合的判断力とか問題解決能力といわれています。トップ・マネジメントで重要です。例えば新規分野へ進出するのかしないのかとか、需要が増大している商品の対応に、新工場を建設して対応するのか、既存の工場を増設して対応するのか、はたまた、アウト・ソーシングで対応するのかなどの問題に、社長はあらゆる知識、経験、人脈、情報などの能力を結集し、最終的な決断をしなければなりません。

(参考)

               ※ 人間の能力について

 人間の能力について、アメリカの心理学者スーパーは、職業適合性の中で「スキル」と「パーソナリティ」であるといっています。
 スキルとは、「学識」、「技能」などと訳されています。読んだり、書いたり、記憶したりということですが、もっと広くは「見識」、「才覚」なども入るでしょう。
またパーソナリティとは、「人間性」と訳していますが、「性格」、「性分」、もっと広くは「心」「品格」などです。
 「スキル」のレベルは、数値化しやすく判定しやすいという側面があります。ですから、国家資格や、入学試験、就職試験の筆記試験などでこのスキルを試しているわけです。そのため、戦後の学校教育は「知育」中心の教育が行われてきたわけです。戦後はまさにスキル全盛の時代といっていいでしょう。特に最近はグローバル化の時代を反映して、英語などの語学教育も大切なスキルとして大いに流行っている状況です。一方企業でもここ十数年は一芸(ある特別なスキル)に秀でたスペシャリストの時代が続いてきました。
 それに対して、「パーソナリティ」というのは、「全人格」の問題です。数値化しにくい面や、それを判定する人材がいないなどの点があり、戦後忘れ去られていました。かろうじて、就職時の面接試験にそのかけらを見出す程度です。
 このように人間の能力は、スキルとパーソナリテイから成り立っているわけですが、もう一つ重要なのはこの両者の「バランス」であるということです。他の人に影響力を与えるリーダーは、一般人以上に高いレベルのスキルとパーソナリテイが求められることに為ります。(教育の基本は、知育、徳育、体育であると言われますが、バランスよく成長することは立派な社会人や、立派なリーダーを育成する上で大変重要なことなのです)。


                          

(参考)                          
                      ※ 人間の欲望について

 組織の成果は、メンバー一人一人の能力の総和という見方もあります。メンバー一人一人が自分の持っている能力をフルに発揮するためには、高いモチベーション(動機・やる気)が必要です。そのモチベーションを高めるエネルギー源はニーズ(欲求、欲望、煩悩)であると言われています。
 このニーズについて、アメリカの心理学者のマズロー(A.Maslow)は、段階的欲求説を唱え人間の欲求は5段階あると言っています。第一は生理的欲求、第二は安全の欲求、第三は社会的欲求、第四は自我の欲求、第五の最上の欲求は自己実現であるという説です。(第4回 アメリカ経営史参照)
 そのため、リーダーはメンバーの一人一人の異なったニーズを満足させて、モチベーションを高めてやることが必要です。
(私は以前からそれ以上の欲求が存在しているのではないかと考えています。それは「人のために尽くす生き方、世の中のために尽くす生き方」です。各人が自分の幸せに満足せず「他者を思う」考えです。宗教の様でもあり、ボランテイア活動の様でもありますが、経営者の中にも松下電器の創業者である松下幸之助や、京セラや第二電電の創業者である稲盛和夫はこういう思想をベースに経営に当りました)

 

                       2.歴史上の偉人たちにみるリーダー像

 昔から、リーダーの条件についてはいろいろな人達が言及しています。表現は違っても今も昔もその内容は殆ど変わっていません。そこで、まず、過去の偉人たちが、リーダーの条件についてどんなことを言っているかをみてみましょう。「学ぶ」の最初の段階は、論語にもあるように「まねる」です。過去の優れたリーダーの言動を真似ることから始めるのも意義のあることです。

                           (1)孔子にみるリーダー像

 孔子(こうし)は、(紀元前551年‐紀元前479年)中国の思想家・教育家です。、彼は古(いにしえ)のさまざまな教えを研究して儒教を大成させた人です。ソクラテス、釈迦、キリストとともに、世界4大聖人と言われています。孔子の教えを後の弟子たちが語り伝え、書き伝え、そして編集、記録した一連の書籍を「論語」と言います。論語は、学而、為政、里仁、公冶長、雍也、述而、子路等の二十の篇に分かれています。
 
彼の思想の原点は、リーダーに限らず人として最も重要なのは「仁」であるといっています。そして仁とは忠恕(ちゅうじょ)、すなわち、忠とは「真心」であり、恕とは「他者への思いやり」です。例えば、孔子は子貢という弟子が「ただ一字で終生行うべきものは何ですか」とたずねたとき、「それは恕である。自分がいやなことは、相手も嫌なはず、自分が欲しくないことは人にもするな」(顔淵第十二)と答えたといわれています。(参考までに、キリストは「汝の欲するところを他者に与えよ」といっています。また自動車王といわれたF・フォードは成功の秘訣を問われて、「もし、成功の秘訣があるとすれば、それは、他人の立場を理解できるという能力である」とこたえています。(孔子や孟子については社会人基礎コースで後日まとめる予定です) 
それでは次に孔子のリーダー像を論語からいくつか選んでみましょう。

顔淵(がんえん)仁(じん)を問(と)う。子曰く、「己に克(かち禮(れい)に復(かえ)るを仁と為す。一日己に克ち禮に復らば、天下仁に帰せん。仁を為すことは己に由(よ)る。人に由らんや」。

 意味は、弟子の顔淵が仁について質問しました。孔子はいうには、「自分の欲にうち勝って、道理を秩序付けた礼に変えることが仁である。たとえ一日でも自分に打ち勝って礼に返ったならば天下の人々はその人の仁になびくだろう。そしてその仁を行うのは自分の力でするものであって、他人に頼るものではない」。

子曰く、「政(まつりごと)を為(な)すに徳を持ってすれば、たとえば北辰(ほくしん)のその所にいて、衆星(しゅうせい)の之にむかうが如し (論語)

 意味は孔子がいうには、「徳をもって政治をしたならば、例えていえば、北極星が自分の場所にいて動かないのに、他の星がこの周りを回るように、皆この君主に心服するが如くである」と。ここでいう徳とは、道を行って心に得た立派な内容で、仁、義、礼、智、信などを言います。仁とは思いやりの心であり、義とは正しい道理であり、礼とは理にかなった形や規範であり、知とは正しい学問によって得られた知恵であり、信とは真実を行うことによって得られる信頼を言います。

子曰く、「富(とみ)と貴(き)とは、これ人の欲するところなり。
その道を以ってせざればこれを得とも、あらざるなり。
貧(まず)しさと賎(いや)しきとは、これ人の悪(にく)むところなり。
その道を以ってせざればこれを得とも去らざるなり。
君子は仁を去りて、悪(いずく)にか名をなさん。
君子は終食の間も仁に違(たがうことなく、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、聴沛(てんぱい)にも必ず是(ここ)に於いてす。 (論語)【里仁】

 意味は、孔子がいうには、「金持ちになることと、身分が高くなることは誰でも望むものである。
しかし、この二つを獲るためにはそれなりの方法(それは学問を修めて、功をたて、身をつつしみ、徳を備えることである。)によらねばならない。でなければ、その立場にいない。
また貧しいことと身分の賎しいことは誰でも嫌らうものである。
けれども当然貧賎になるような悪いことをしてなったのでなければ、その地位を離れようとはしない。
君子が仁を離れたならば、どこに君子の名が成り立つだろうか。
君子は食事を終わる短い時間でも仁を外れることはなく、あわただしく忙しいときでも必ず仁の道を離れることがなく、聴沛(てんぱい)(国が滅び、一族がバラバラになってさすらうような場合)でも、必ず仁の道を離れることがなく行動するものである」と。

子曰く、「千乗(せんじょう)の国を道(おさ)めるに、事を敬(けい)して信あり。
用を節して人(ひと)を愛し、民(たみ)を使(つか)うに時(とき)を以(も)ってす。」(論語)【学而】

意味は、孔子がいうには、「戦車千台を持つような大きな国を治めるには、為政者は何事も謹んで民に信用されるようにし、無駄な費用を節約し、民を慈しみ、民を労役に使う場合には農閑期のようなときにして彼らの仕事(農業)を妨げては為らない」」と。

子曰く、「君子の天下に於(お)けるや、適(てき)なく、莫(ばく)なし、義(ぎ)と之(これ)共(とも)に比()う。」(論語)

 意味は、「君子(人格者であり世の道理を知り、道理に従って行動できる人)は天下を治めていくのに、こうしようと決めることもなければ、こうすまいと決めることも無い。ただ「義」を判断基準にして、義に従うのみである。」(ここでいう「義」とは、正しい道理、正義などです)。 

君子(くんし)は義(ぎ)に喩(さと)る。小人(しょうじん)は利(り)にさとる喩(さと)る。」

 意味は、「君子は、正しい道理(義)について深く知る。徳の低い者は、利益について深く知る」、と。
また孔子は別なところで、「完成された人とは」という質問に対し、「目の前に利をぶら下げられても義を見失わない人」と答えています。このように、君子は義が一番大切だとしています。

「その身(み)正(ただ)しければ令(れい)せずして行(おこな)わる。 その身(み)正(ただ)しからざれば、令(れい)すと雖(いえど)も従(したが)わず.」(論語)(子路)

 意味は、「上に立つ人の言行が正しければ厳しく命令しなくても下の者は正しい行いをする。逆に、上に立つ人の言行が正しくなければ、厳しく命令しても、下の者は正しい行いをしない。」(要は、リーダーは背中で下の者を導かなければならないということ)。

 孔子の思想の後継者とでもいうべき孟子の言葉を「孟子」の中から一つ選んでみました。(孟子は、孔子の唱えた「仁」に「義」を加えて、「仁義」を説きました。彼の思想は、「性善」、「仁義」による「王道政治」にあります。彼の考え方は、先ず民に生活の出来る生業を与え、租税を軽くし、民の生活を豊かにしてやり、次にこれらの民に教育を施し、仁義孝悌の道を知らせるというものです)。
 孟子は、どの国も自分の国の富国強兵を第一に考えていた時代に、梁(りょう)の恵王の「国を治めるのに一番重要なのは」の質問に次の様に答えています。

・・・王何ぞ必ずしも利といわん。また仁義あるのみ・・・」。(孟子)

 意味は、「王が国を治めるのに最も大切なことは仁義である。之を忘れて自分の利益にのみ目がくらむと、国を滅ぼす元になる」と。

 このように義とか、正しい道理とか、正義とかたくさん出てきました。この「正しいかどうか」の判断基準について、孔子は「仁(じん)」によりなさいとしています。 我々の日常生活や経営の中でも「正しいかどうか」は頻繁に出てきますが、その判断は時には非常に難しく大いに迷うところです。そこで、ここでは参考に「仏教の八正道」と、「稲盛和夫の正しい判断を行う基準」について紹介します。

(参考)
                       ※八正道(仏道・中道)

 八正道について簡単に説明します。仏教の教えに四諦が有ります。四つの真理の意で、苦諦(人生は苦しみであるという真理)、集諦(苦の原因は渇愛であるという真理)、滅諦(苦の原因である渇愛が完全に消えた状態が理想であるという真理)、道諦(涅槃に到達するための具体的な実践方法は、「八正道」という修行を行うことであるという真理)、の四つを言います。
 八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精、正念、正定(簡単に言えば、正しく見、正しく考え、正しく話し、正しく仕事をし、正しく生活し、正しく努力し、正しく心に留め、正しく禅を行うということ)の八つの修行をすることです。八正道での「正しい」とは「優れている」「善い」の他、「極端にならない」「度を越さない」「的に適う」「偏らない」「バランスの取れた」と言う「中(ちゅう)」の意味があり、「中道」とも言います。また、仏への道と言う意味で「仏道」とも言います。(仏教については社会人基礎コースで別途発刊を予定しています)



(参考)                                                                   

※ 稲盛和夫の正しい判断を行う基準

 京セラや第二電電お立ち上げ4兆円の企業に成長させた現代経営のカリスマ稲盛和夫は自分の行動を常に「正しいかどうか」を考えて経営していると言っています。そして彼は、「正しいかどうか」について次のような判断基準を唱えています。

「正しいかどうか」についての判断基準
ものごとに筋が通っているか。すなわち道理に適っているかどうかを判断するためには、単に論理的に矛盾がないかということだけでなく、それが人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないかという確認が必要である
常に原理原則に基づいて判断し、行動しなければならない。原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいものを正しいままに貫いていこうということ。人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においても受け入れられる
新しい事業を始める際に、もっとも重要なこと、それは自らに「動機善なりや、私心なかりしか」と問うことだ。動機が善であり、実行過程が善であれば、結果を心配する必要はない
経営における判断は、世間でいう筋の通ったもの、つまり「原理原則」に基づいたものでなければならない。我々が一般に持っている倫理観、モラルに反するようなものでは、うまくいくはずがない
私はすべての判断の基準を「人間として何が正しいか」ということに置いている
人間として普遍的に正しい判断基準とは、簡単に言えば公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、誠実というような言葉で表現できるものである。自分の心の中に、こうした人間として普遍的に正しい判断基準を確立し、それに従い行動することが成功への王道であ
先入観に基づいて経営を行ってはならない。枠にとらわれない「心の自由人」でなければ、クリエイティブな発想も高い利益率も達成できるはずがない


                          

                          (3)孫子にみるリーダーの資質(五徳)

  孫子は、中国の2300年前の兵法家です。彼はその著書「孫子の兵法」の中で、戦争の重大性に触れたうえ、リーダーについて述べています。

 「兵(戦争)は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せらるべからず。
これを経(はか)るに五事(ごじ)を以(も)ってし、これを校(くら)ぶるに計(はかる)を以(も)ってして、その情(じょう)を索(もと)もとむ。
一(いち)に曰(いわ)く道(みち)、二(に)に曰(いわ)く天(てん)、三(さん)に曰(いわ)く地(ち)、四(し)に曰(いわ)く将(しょう)、五(ご)に曰(いわ)く法(ほう)」
「之(これ)を校(くら)ぶるに計(けい)を以(も)ってして、その情(じょう)を索(もと)む。曰(いわ)く、主(しゅ)はたれか道(みち)あるや。将(しょう)はたれか能(のう)あるや。天地(てんち)はたれか得(え)たるや。法令(ほうれい)はたれか行(おこな)わるるや。兵(へい)衆(しゅう)はたれか強(つよ)きや。士卒(しそつ)はたれか練(きた)えるや。賞罰(しょうばつ)はたれかあきらかなるや。われ、これを以(も)って勝負(しょうぶ)を知(し)る」、と。

 意味は、戦争は国の重大事である。国民が死んだり、国家の存亡がかかっている。だから、慎重に検討しなくてはいけない。検討項目は次の五つの項目である。この五つの項目の情報を収集し勝算を算出しなければならない。そして勝算が確実でない限り戦争をすべきではない。
 一、道:挙国一致の目標。君主と国民を一体化させるもの。大義名分。上から下まで納得できるもの。出来れば他国からも理解が得られるもの、無ければ侵略になる。侵略は結果として失敗する。二、天:天の時(天候、季節、寒暖などの自然現象)。三、地:地の利(遠近、広狭、地形などの要因)。「地の利」に二の「天の時」、それに「人の和」を加えて成功の3条件という。孟子(もうし) (紀元前372年〜289)は、「天(てん)の時(とき)は地(ち)の利(り)にしかず。地(ち)の利(り)は人(ひと)の和(わ)にしかず」と重要度に順番をつけ、人心の一致は最も重要としている。四、将:将軍(リーダー)の能力。五、法:軍隊の編成、規律、装備である。この5つは将軍なら誰でも知っているが、これをよく理解し実践できるものが勝ち、出来ない者が負ける。

 そして次に孫子は、次のように将軍の備えるべき資質について述べています。

将は、智(ち)、信(しん)、仁(じん)、勇(ゆう)、厳(げん)なり

意味は将(ここでは「将軍」などの現場の責任者である指揮官の意)には、智(ち)、信(しん)、仁(じん)、勇(ゆう)、厳(げん)の五つの資質が必要であるとし、将にこの五つの資質がないと、現場(戦場)で部隊を指揮し、勝利(目的達成)することは出来ないと断言しています。後年、三国志時代の曹操(そうそう)(魏の始祖。(155〜220))はこれを「五徳(ごとく)」と呼び、将軍はこの五徳がなければならないとしています。 またこの五徳は「バランス」が重要であるとし、智が大きくなると賊となり、仁が大きくなると弱者になり、信が大きくなると愚か者になり、勇が大きくなると暴徒となり、命令が厳しすぎると軍隊の収拾がつかなくなる。従って、五徳を適切に用いなければならないとも言っています。(詳細は経営者基礎コース第5回の経営戦略を参照ください)

将軍の資質
(五徳)
内   容 強すぎると
勝算を見分ける力、これを智という。知識→見識→胆識。情報分析力・先見力。智と明。「人を知る者は智なり、己を知る者は明なり」(老子)。とりあえず将には智が必要 賊になる
賞罰などで約束を守るなどの高い道徳性。地位のある者(リーダー)は責任ある発言をしなければいけない。「綸言(りんげん)(天子の言葉)汗の如し」(一度出したら元に戻せない。だからこそ信頼関係が生まれる) 弱者になる

部下などへの深い思いやりのような高い道徳性 愚か者になる
正義を愛し不義を憎む心、勇気、決断力、胆力(前進するだけでなく、勝算がないときには後退する勇気も必要である。老子も「敢えてせざるに勇なれば即ち活く」と猪突猛進や玉砕戦法を避け、敢えて退却し、次の機会に賭ける考えをとっている。これが中国人一般の考え方である 暴徒になる
厳(げん):信賞必罰などの軍紀などを守る厳しい態度(他人だけではなく自己に対しても) 乱になる

 

                          (4)呂新吾の呻吟語(しんぎんご)

 中国明代の儒学者呂新吾は、その著『呻吟語』の中で「人物」(すぐれた人物、人材)についていろいろ述べています。大変含蓄のある見方をしていますので、その中からいくつかを紹介します。
 まず、彼は人物を次の様に3段階にランク付けしています。

人物の等級 内  容
第一等の資質 深沈厚重(しんちんこうじゅう) どっしりと深く沈潜して厚み、重みがある
第二等の資質 磊落豪雄(らいらくごうゆう) 物事にこだわらず、器量がある
第三等の資質 聡明才弁(そうめいべんさい) 頭が良くて才があり、弁が立つ

彼は、「支配者」についても次の様に3段階にランク付けしています。

人物の等級 内  容
自分の健康、栄達などを省みず、社会のため尽くそうとする徳のあるタイプ
自分の金儲けや出世ばかりを考えて社会のために尽くそうとする徳のない人
災いが生じたとき、自分の身を守ることだけ考えている人

彼は、「愚かな指導者」が恥じる三つを次のように掲げています。

人物の等級 恥じ入る項目 内   容
その人に備わる好ましい様子。風格、品格、気品、上品
身分が低いこと。卑しい身分。貴賎
年を取ること。年をとった人

「君子」が恥じるのは、次の三つである。

内   容
親孝行をしない
優秀な部下を活用しない
人に尽くす徳がない

「立派な指導者」が持っている八つの風貌。

内   容
山のようにどっしりとした姿と言動
何事も包み込む包容力
温かく、ゆったりとした風貌(ふうぼう)
輝く目
ふっくらとした手
大地にしっかりと立つ足
思慮深い
清くすんだ骨格

                       3.リッカートのリーダー・シップ論

 アメリカの経営史の中から、ミシガン大学のリッカート教授(Rensis Likert,1961-社会学)のリーダー・シップ理論について見てみましょう。
 アメリカでは、1929年にそれまでのキャプテン・オブ・インダストーリーたちの過剰設備投資によるバブルが弾けて世界大恐慌に見舞われました。そのため、多くの会社が倒産し、それまでのキャプテン・オブ・インダストーリーと言われる経営者は引退していきました。そして次に登場してくる経営者は、プロフェショナル・マネージャーと言われる人達で、彼らはサラリーマン上がりや、銀行から派遣されたが人々で経営の専門化とでも言うべき人達でした。(このことにより経営と所有の分離が実現したと言われています)。
一方アメリカ政府は、1932年にルーズベルト大統領が、ニュー・デール政策を始めました。これはケインズ理論による巨大な公共投資を伴うものです。これらの政策もありアメリカ経済は1936年には不況から脱却することになります。
 このころ企業は科学的管理法の次に登場したヒューマン・リレーションズ理論が全盛の時代でした。ヒューマン・リレーションズ理論は多くの企業で採用され、企業はいろいろな作業環境作りに努力しました。しかし、1940年代になると軍需工場を中心に「集団欠勤」が多発するようになりました。
 これを重視したアメリカ陸軍省は、リッカートに委嘱して、その実態を調査しました。彼は各種企業の管理者2万人、労働者20万人を対象に実態調査をしました。その結果、原因は第一線の管理・監督者の「管理スタイル」であることを発見したのです。このことは、従来の科学的管理法やヒューマン・リレーション理論は生産性の責任をすべて従業員に負わせているのに対して、管理者に着目した点で画期的なことでした。そもそも従業員はいずれの管理方法の元でも無力なものです。ここをいじくりまわしてもモチベーションは起こりません。
 彼は、従業員の仕事の能率の鍵を握っているのは、彼らの上司の管理・監督者の管理スタイルであるとしたのです。彼はこの管理スタイルを生産性と組織特性に基づいて4つに分類しました。管理システムの業績の低い順に次の4つです。

リーダー・シップの型
独善的専制型リーダー・シップ
温情的専制型リーダー・シップ
相談・協議型リーダー・シップ
集団参加型リーダー・シップ

 この4つのリーダー・シップのグループ間の特徴は、第一にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「生産性が高い」。第二にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「原価が低い」。第三にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「好意的態度」や「労使関係が良好」。このようにCの集団参加型リーダー・シップの管理型の好ましい結果が見られたのです。当然、@独善的専制型リーダー・シップの管理型にはこの逆の傾向が見られました。
 その後「集団参加型リーダー・シップの管理」スタイルは長期的に従業員の意欲を高め、生産性を向上させるものであるということで、集団欠勤に悩む経営者に大変受け入れられました。そして、その後、「集団参加型リーダー・シップ」のスタイルを全ての管理監督者に教えようと言うことで、管理者訓練、監督者訓練がもてはやされました。日本へも、戦後、占領軍によってヒューマン・リレーションズと共に持込まれ、日本の家族主義的な伝統や戦後の民主化の風潮とマッチして、企業内訓練は大流行をしていったのです。(詳細は経営者基礎コース第4回のアメリカ経営史を参照ください)

(参考)
                     ※ 星野佳路の事例

 参加型のリーダー・シップの事例として、星野リゾートの社長星野佳路の事例を紹介します。
彼は、昭和35年に軽井沢のホテル経営者の息子として生まれ、大学卒業後アメリカへホテル経営を学ぶため留学。帰国後、経営の傾いていた実家のホテルの再建を手がけ試行錯誤のすえ再建。以後その経験を元に、ホテル・トマム、白金屋など全国の経営に喘ぐ7箇所のホテルを再建し、「ホテル再生人」と呼ばれています。

 彼の経営の基本は若い時の苦い体験から、「ホテル(企業)が倒産すると社員が残される。社員は客を楽しませようと言う意識はあるが、経営者にそういう意識がなかっただけである。企業再生はこれらの社員にかかっている。この社員が企業の財産である。」と言うものです。
 ですから、彼の経営哲学は、「従業員が主役」です。例えば、彼の会社では会議には従業員は誰でも出席でき発言できます。そのときの彼の口癖は「それでどうしますか」です。(似た事例としてはトヨタ自動車の何故を5回繰り返すというのがあります)例えば、「単価を値上げするのか」の問いに意思決定・結論を社員に委ねるのです。(ここでは、社長は偉くないのである。例えば社長室がないのである。)
 また、彼は従来のピラミット型の組織を廃止して、職務ごとの10人程度のグループに分け、グループごとにリーダーに任せました。そしてリーダーには誰でも立候補できるようにしたのです。従業員の不平不満の原因は、@なぜあの人が上司なの(自分の方が仕事が出来るのに)A何故あの人のほうが給料がいいの(自分の方が仕事が出来るのに)が大半なのですが、彼のこのやり方はこの不満を解消したのです。
 人は何故働くのかと言う問いに、彼は「人は嬉しがり喜ぶことについて働くものである」と答えています。 (この ことについては脳科学者の茂木健一郎も「社員は信じ、任せれば、楽しみ、働く」と同様のコメントを出している)
彼がこの経営スタイルにたどり着いたのは、当時の経営不振の会社には、従業員を満足させる労働条件を提示できるものはなかったという切実な問題があったのです。(例えば、給料をそんなに払えないなど、もっとも、給料は従業員の継続的なインセンティブにはなりえない、という一面もあります。)

 ここで彼の伊豆の某旅館再生事例を紹介します。
先ず、彼は従業員にどんな客をタ−ゲットにし、どんな経営をするのかを考えさせました。
そこで、従業員が過去の顧客調査をしたところ、中高年リピーターが多く、キーパーソン(決定権)は熟年女性が持っているという傾向がわかりました。
 (彼はこのことを共感するため次のクイズ方式をしました。@(質問)最も満足している人は誰・・・(答)女性。A(質問)食事で評価を下しているのは誰・・・(答)A女性など)
この様に現状を分析し、問題点を経営者も従業員も共感することが重要で、従業員一人一人が自覚することにより、旅館が変われるというのが彼の基本的考え方なのです。
その結果、経営コンセプトを「熟年女性のマルチ・オケージョン(どんな場合にも満足できる。機会、好機、〜ための)」としたのです。
この作業で本当の顧客の絞込みをしたうえ、顧客満足を実戦するのです。

 この時の彼の再生キーワードを幾つか紹介します。
@名前を覚えるきめ細かい接客
Aプロとは完璧を目指す人
B人はなかなか変われない
C経営者と従業員の共感

                          

                       4.現代の経営者にみるリーダー像

 それではここで日本を代表する経営者3人の経営者を見てみましょう。

                           (1)渋沢栄一

 渋沢栄一は、その著書「論語講義」の中で経営者としての心構えについて次のように述べています。

 「私は、いかなる事業を起こすに当たっても、利益を本位には考えていません。この事業を盛んにしなければいけないと思えば、これを起こし、これに関与し、その株式を持ちます。私は何時でも事業に対するときはこれを利に喩(さと)らず、義に喩るようにしています。まず道義上から起こすべき事業であるか否かを考え、利損を第二位に考えています」と。


                          (2)松下幸之助にみるリーダー像

 松下幸之助の経営哲学の特徴のひとつは共存共栄です。そのきっかけになったのは、次のような丁稚時代の有名なエピソードです。

 11歳のとき幸之助は自転車屋の丁稚奉公をしていた。当時の自転車屋では、修理に来た客が、修理が終わるまでの待ち時間に、よく丁稚に用事を言いつけた。一番多かったのは「タバコを買ってきてくれ」であった。幸之助もよく言いつけられた。何度も言いつけられているうちに、言われる度に汚れた手を洗いタバコを買いにいくのは、自分も客も不便である。そこで、タバコを買い置きしておけば、すぐ客に渡せて便利であり、しかも、20箱まとめ買いをすれば、1箱おまけがついてきてこれが幸之助の利益になり、一挙両得である。しかし、一人だけ儲ける幸之助を妬(ねた)んだ同僚の丁稚が、店主に告げ口をした。そのため幸之助は店主から、「店の客を相手に商売するとは何事だ」と大目玉を食うことになった。この体験が幸之助に大きな教訓を与えた。「もし、自分が他の丁稚に事前に相談し、儲けを分け合っていたらこんな目に合わなかっただろう。商売で自分だけが儲けるのはよくない。場合によってはとんだしっぺ返しにあう。仕事をやろうとすれば、利益を多くの人と共有しなければならない」
 

 幸之助のこの考え方は、その後の松下電器産業を貫く経営理念となっています。
孔子も、「子曰く、利によりて行えば怨(うら)み多し」(論語里仁)第四)と言っています。

 経営理念には創業者の哲学が反映されます。次に示したのは松下電器産業の事業目的とその存在理由をあらわした綱領です。昭和4年に松下幸之助が制定したもので、今日に至るまで松下電器産業の、あらゆる経営活動の根幹をなしています。(松下幸之助の詳細については経営者基礎コース第1回「松下幸之助を学ぶ」を参照してください)

(参考)         
            綱  領

         産業人ノ本文ニ徹シ 
         社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ、 
         世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス
 

 最近、よく「共生」と言う言葉が聞かれます。共生については、三陸の牡蠣を養殖している漁師畠山重篤氏の「漁師が山に木を植える」事例を紹介しましょう。

(参考)
                     ※漁師が山に木を植える

 
 三陸では近年不漁が続きました。彼はいろいろ原因を調べたところ、海に注ぐ川の上流で樹木の伐採が続き山が荒れ、保水力が落ち、土砂が直接海に注ぐため、プランクトンは死に、海が荒廃し、当然魚介類は減少し、不漁になったことを突き止めたのです。そこで彼は地元の人々に呼びかけ山にブナやナラの植林を始めました。その後、彼が植えた樹木は15年間でおよそ10ヘクタール、樹種は50種3万本になりました。山が生き返ると、その結果「海」が活性化し、漁獲量も増えたのです。
(畠山重篤氏は昭和19年生まれ。高校を卒業した後、家業のカキ・ホタテの養殖業に従事し、1989年に「牡蠣の森を慕う会」を仲間とともに立ち上げ、「牡蠣の森を慕う会」代表として、気仙沼湾の海を守るため室根山で植林運動を進めている。その活動は高く評価され、1999年「みどりの日」自然環境功労者環境庁長官表彰、2000年環境水俣賞受賞、2003年緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰を受けている。著書に「森は海の恋人」、「リアスの海辺から」、「日本<汽水>紀行」などがある。)

                          

                          (3)稲盛和夫にみるリーダーの条件

 稲盛和夫は,盛和会会員からの質問状に次の様に答えています。(稲盛和夫は京セラを創業し1兆円企業に、後に第二電電を創業し3兆円企業にした現代の経営のカリスマ。私費で京都賞をつくる。後に仏門に入る。また、彼を心酔する中小企業や若手経営者などを会員とした稲和塾を主宰)

 「会社は、トップの器以上には大きくはなりません。・・・人を治めるには経理、会計を治めると同時に、あなたの魅力、即ち人間性・人格を以ってしなければなりません。では人格で部下を引きつける経営者とはどういう人なのでしょうか。それは「仁」「義」「誠実」「公平・公正」「勇気」の五つです。くだいて言えば、つまり、思いやりがあり、義理人情に厚い人で、陰日向なく努力する人、そして人事では私情を挟まず、ことにいたっては卑怯な振る舞いをしない人です。・・・(これって,殆ど、「武士道」そのものです)
 そこで私は、「人のために尽くす」ということを経営に基本におき、人格を磨かれたら良いと思います。たった一回の人生です。その人生を二十数店舗、売上僅か数十億円で終えるより、「同じ一生ならもっと多くの人から喜ばれるような経営をしてみよう」と思い経営することです。
 実は、人間が一番強くなるのは、執着から解脱したときなのです。「儲けたい」「偉くなりたい」、これはみな欲望です。勿論、この執着・欲望から完全に抜け出すのはムリですが、「人を喜ばすために」と考えれば、その分我欲が引っ込みます。心が高まっていくのは実はここからなのです。(これって,殆ど、「仏教」そのものです)
本当にこんなことで経営が伸びるのかとあなたは思うかも知れません。しかし、京セラの発展も、私が会社を創って二年目、大変悩んだ末に「全従業員に物心両面の幸せの追求」と言うことを経営の基本に置いてから始まりました。「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」(人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に用いることがある。)という言葉もございます。この「利他」(仏教の亡己利他)の精神を心に抱いて経営にあたられますように。( 盛和会会報より引用)


                                まとめ

 以上、リーダー、特に企業の経営者を中心にその条件をお話してきました。営利法人である企業の目的は利潤の追求ですので、そのリーダーである経営者には当然利益獲得のスキルが要求されます。しかし、企業はゴーイング・コンサーン(企業の永続性)により、始めてその目的を達成が可能です。企業を長く存続させるためには、従業員は勿論、顧客やステーク・ホルダー、強いては社会の信用、信頼、支持なしにはなしえません。そのリーダーである、経営者や管理者はスキルは勿論、高いパーソナリテイが求められています。正にリーダーの品格が問われているのです。前述したように人間の能力はスキルとパーソナリティですが。高いパーソナリティがあってこその利潤追求のスキルの有無が問われているのであって、スキルの上にパーソナリティがあるわけではありません。
 経営に成功しただけでは、せいぜい「成り上り者」「守銭奴」などと言われるのがオチでしょう。 しかし、日本の歴代の経営者の中には渋沢栄一、松下幸之助、本田宗一郎、井深大など経営者としても偉大な業績を挙げましたが、一人の人間としても大変尊敬され歴史にその名を残している人もたくさんいます。
(尊敬と言えば、日本人が一番好きで、しかも尊敬しているのは誰でしょう。その一人は赤穂四十七士です。この侍達はひたすら武士の最も高い徳目である「義」とつらぬいた人達です。そのため人々は「義士」の称号お送って賛辞し、300年経ち、これだけ社会情勢が変わっても、彼らが眠る泉岳寺には線香の煙が絶えた事はありません。 この「義」を中心とした武士道精神は、フエアープレーの精神として新渡戸稲造によって世界に知られる存在となりました。武士道は仏教、神道、儒教により醸成されたもので、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義を重んじています。こういう崇高な魂を持ったかつての日本人は、アインシュタインの言を待つまでも無く世界中の人々の尊敬を集めました)。
 リーダーには、企業家としてのスキルをアップさせると同時に、パーソナリティを磨かれ、尊敬される人物をめざしていただきたいと思います。 最後に現代経営のカリスマ、稲盛和夫氏が好んで使う「利を求むるに道あり」の言葉を皆さんにお贈り致します。

参考文献
論語・孟子・大学・中庸 中西清著 学燈社
孔子 渋沢栄一著・竹内均編 三笠書房
孟子 安岡正篤著 PHP文庫
論語 井上宏生著 河出書房
日本人の品格 岬隆一郎著 PHP文庫
武士道 新渡戸稲造著 PHP文庫
盛和塾会報 盛和塾
仏教の世界 田上太秀著 三修社
国家の品格 藤原正彦著 新潮新書