経営者基礎コース第4回

アメリカ経営史

まえがき

 経営者基礎コース第4回のテーマは、「アメリカ経営史」です。
ご存知のように、アメリカは建国以来非常に短期間で様々な分野に於いて超大国になった国です。経済面に於いても、現在では日本を含む世界経済はアメリカの強力な経済力の影響下にあります。そのアメリカの発展を支えた企業の経営を見てみると、経営現場での問題点を専門家が現場に入り科学的に解明するという極めて合理的な方法で発展してきました。そのため、アメリカの経営の発展史は経営理論(経営学)の歴史でもあります。また、その内容も「人的資本の活用」や「経済効率追求」など経営(学)の普遍のテーマを追求しています。そういう点では現代の日本の経営者にも多いに参考になるものと思います。今回は紙面の都合上、近代管理論までとしてあります。現代の経営理論である経営戦略論などは後日個別に発刊を予定していますので、その予備知識としても一読されることをお勧めいたします。

T.アメリカ経営(学)の特徴

 18から19世紀に起こった産業革命は、大量生産を可能にし、企業の規模を飛躍的に拡大させました。その結果、それまでの手工業時代の「経験」や「勘」に頼った経営ではこの環境の変化に対応できなくなってきたのです。
 この様な時代の要請にこたえようと、ドイツやアメリカでは経営の研究が開発され、発展しました。特にアメリカでは、1900年代、後に「経営学の父」と呼ばれるテーラーが登場し、工場作業の生産性向上運動に端を発して以来、組織全般の管理技術を研究対象とする組織の管理学として発展していきました。
 アメリカの経営(学)の特徴は、@現場の実証データに基づいた理論である。A経営者(特に大規模経営者やプロフェッショナル・マネージャー)のための実践科学である。B基本的考え方は経済的効率追求であるなどの思想などです。研究のための研究ではなく、実践と理論が一体化している点に特徴があります。
 日本においては、従来ドイツ経営学の影響を受けていました。しかし、戦後日本生産性本部や古川栄一一橋大学名誉教授(19004-1985)などの働きなどもあり、アメリカ経営(学)が大いに普及していきました。

U.経営史と経営理論史

          1.古典経営理論

               (1)背景

 アメリカは、1776年(230年前)に東部アメリカ13州がイギリスからの独立を宣言(このころの人口は約250万人)。その後、武力や買収により西進し国土を広げていき、ついには太平洋に至り、最終的には51の州まで発展し、現在のアメリカ合衆国になりました(現在の人口約2億8千万人、面積は日本の25倍)。
アメリカに最初に移民したのはイングランド、スコットランドの人々でした。彼らはボストンを中心に住み着きました。次にやってきたのはドイツ人、この中にはユダヤ人が多く含まれていました。ドイツ人はシカゴに、ユダヤ人はニュー・ヨークに多く住み着きました。彼らは東部の大都市で家族を中心とした町工場経営などをしていました。このころのアメリカの経営は、「オーナー・マネージャーの時代」と言われる様に、親父の胸三寸で何事も決められていた「手工業の時代」です。その内部組織は、絶対的な権限を持っていたフォアマン(職長というより親方)といわれる熟練工が経営者から内部請負をしていました。
 一方、このころからイギリスに遅れてアメリカでも産業革命が起こりました(1807年から1870年までと言われている)。木綿などの繊維工業やレールなどの製鉄工業などを中心に大型機械による大量生産が可能になったのです。その結果企業規模が急激に拡大していきました。多くの会社で従業員が100人、1000人と増えていったのです。そのため人手が多いに不足しました。この需要を埋めたのが次にやってきたアイルランド、ポーランド、バルカン諸国、そしてイタリアなどラテンアメリカからの移民たちでした。これらの人々は、ほとんどが英語も話せない人々でした。そのため、彼らは東部の工場の労働者として就職していき、大量生産の現場を担って行くことになりました。そのため、何処の工場もどこの誰だか分からない、しかも言葉もろくに通じない従業員が大勢働いているという状況になったのです。
 このころの賃金体系は前述した請負制です。単価いくらという決め方をしていました。ところが機械が入ってくると大量生産をすればするほど単価が下ることになります。働けば働くほど実入りが減ってしまったのです。そのため、フォアマンの労働組合は機械導入による合理化反対運動をシステマテック・ソルダニング(組織的怠業)として展開したため、経営者は大いに困惑したのです。

               (2)テーラーの科学的管理法

                     (@)科学的管理法

 このような時代背景に登場したのがテーラー(F.W.Taylor,1856-1915)です。テーラーは機械工を振り出しに1901年技師長を最後に実業界を引退し、能率向上運動に専念した人です。彼は前述のような状況を見て、経営者の希望する「低コスト」と、労働者の要求する「高賃金」の両方を満足するにはどうしたらよいかを考えました。彼はこの相反する条件を満足させるのは「高能率」であると考えました。そして考えだされたのが「科学的管理法」です。
 科学的管理法では、先ず、第一にいままで経験と勘で決めていた単価をどう決めるかであると考えました。彼は動作研究、時間研究をして、この製品一つ作るのにどういう動作をし、一つの動作当りどのくらいの時間をかければよいかという標準動作、標準工数を設定しました。これは今まで経験と感によっていたものを、標準的な能力を持っている従業員を訓練して、標準動作をしたならば当然達成しうるべき課業(標準量、ノルマ)を設定することにしたのです。(このように客観的な方法を使うということで科学的管理法と言われることになりました)。
第二に、課業以上に達成した場合はボーナスを払い、課業に達しない者は、最初は注意、次に、訓告、戒告、そして最終的には解雇をするというものでした。つまり、「飴と鞭」の評価方法です。
第三は、今まで経験と勘でやっていた職長の仕事も、作業計画する仕事、作業を指揮する仕事、作業を監督する仕事と、それぞれ職能別、専門別に分けました。その結果としてフォアマン(職長)の地位が解体されたのです。

                    (A)その後の科学的管理法

  フォアマンたちは猛烈な反対運動を展開しました。一方、この科学的管理法は東部鉄道料金値上げ事件をきっかけに資本家も敵に回すことになりました。当時の鉄道会社の管理は杜撰でムリ、ムラ、ムダ、が多くをまだまだ値下げの余地がありました。そこで、テーラーは値上げに反対をしたところ、鉄道会社や銀行から攻撃されたのです。しかも、1911年には国会にまで呼び出されました。そのときのテーラーの発言速記録が「科学的管理法」となり、これが科学的管理法の普及の元になったのです。
 この科学的管理法の普及を決定的にしたのが、1914年から1917年までの第一次世界大戦でした。近代戦争は消耗戦です。そのためには生産拡充が急務です。アメリカは連合国側の工場の役割をしたわけですが、ここでテーラーの科学的管理法が大きく貢献したのです。

                    (B)テーラー理論への批判

 テーラー理論の考え方は、現在の職能組織の基本になるほど、強い影響力を持っています。
テーラーの考え方の基本は人間を一つの「平均値」で捉えました。そして、標準作業能力を持っている労働者に標準作業動作を教え、経済的な報酬を払えば働くと言う「経済人」を前提にしています。ところがこの「経済人」であるという前提にたいして、疑問が生じてきました。
 また、テーラーは「人間は何故ムダなことをするのか」という疑問に「愚か者」だからと答え、「ムラを起こす」と言うことについては、「怠け者」であると考える。人間はもともと「悪人」であるからお互いにけん制し合わなければならないという人間観の上に成り立っているのですが、この点に対しても批判が出てきました。(これらの点については後年明らかになる)。

                     (C)その後の科学的管理法

 能率向上の点は、その後産業心理学や人間工学にひきつがれ、休憩時間の与え方や、作業時間をどうしたらよいかなどという作業条件の研究に発展していきました。
 そして、1960年代になるともう一度テーラーに帰れという議論が盛んになり、OR(オペレーションズ・リサーチ:経営を合理的におこない経営者の意思決定の助をするための方法)、LP(リニアー・プログラミング:ある条件の下で利益を最大に、コストを最小にする管理手法で線型計画法とも)、VA(バリュー・アナリシス:製造過程での分析・改善で価格の引き下げを図る価値分析手法)などが起こってきましたが、これらはテーラー理論の現代版です。 

               (3)フォードのフォード・システムとフオーディズム

 テーラーの科学的管理法を組織全体に展開させ成功したのが、「自動車王」といわれたフオード自動車の創業者である、ヘンリー・フォード(HenryFord1863-1947)です。

                      (@)経歴

 簡単に彼の足跡を辿ってみますと、
1903年、フォード・モーター社を設立。
1908年、モデルT型フォード(色は黒だけ、形は箱型のみ単品種)の生産開始。
1914年、ハイランド・パーク工場が稼動し、ベルト・コンベヤーによる流れ作業を開始。
更にリバー・ルージュ工場を立上げ、ここでは素材の鋼材やガラスまで自製した垂直統合生産方式を完成。組み立て時間を12.5時間から1.5時間に短縮。労働時間を9時間から8時間に短縮。熟練工の賃金を5ドル/日とし、世間相場の2倍に。販売価格を850ドルから440ドルまで引き下げ。
1921年、国内シェアーで55.5%を達成。
1925年、累計生産台数で1200万台を達成し、一家に一台を実現。
 後年、石油王ロックフエラー(1839-1937)、鉄鋼王カーネギー(1835-1919)、鉄道王ヴァンダービルト、金融王J.Pモルガン、などと共に「キャプテン・オブ・ザ・インダストーリー」として、アメリカを代表する経営者の一人と言われています。

                      (A)フォード・システムの特徴

 フォード・システムは次のような特徴が有ります。
@単一製品(T型フォード)に絞り込み専業化による規模の経済を図った。
A部品の規格化など標準化を進めた。
B作業の細分化を徹底し(18工程を500工程へ)、作業を単純化し、未熟練工でも可能とした。
C作業全ての時間研究、動作研究により標準化し、ムダが排除され作業効率が上がった。
Dベルト・コンベヤーを使用した移動組み立て法(従来の人間が仕事のところへ行くやり方から、仕事が人間の所に来るようにした。その結果作業速度はコンベアが決めることになる。今日の大量生産方式の原型)
 概ね以上のような生産管理システムがフォード・システムの特徴です。このようなフォード・システムによりコストは抑えられ、生産性が非常に上がりました。
 フォード・システムの問題点として、ベルト・コンベアー方式などによる人間性阻害が指摘されました。解り易く言えば、人間を機械の歯車の一つにしか見ない点があり(チャプリンのモダンタイムスなどでお馴染み)、そのため離職率が上昇しました。また、単一車種政策では消費者ニーズの多様化に対応できず、後年GMに首位の座を譲ることになったのです。

                      (B)フォーディズム

フォードは「フォーディズム」と呼ばれる独自の経営理念でも知られています。フォーディズムとは「企業は利益を追求するものではなく、社会に奉仕するものである(フォードは多額の寄付をしていることでも知られています)。消費者に対しては良い製品を低価格で供給し、労働者には可能な限り高賃金を支払い、利潤は内部に留保し外部からの支配を避ける」というものです。

               (4)ファヨールの管理過程論

 アメリカ経営史のテーマからは多少外れてしまいますが、古典経営理論の中では重要なため、ここでフランスのアンリ・ファヨール(H. fayol,1841-1925)の管理過程論を簡単に紹介しておきます。理由はその後アメリカや日本の経営に大きな影響を与えたからです。彼はテーラーと違い組織全体の管理に感心を向けました。
彼の考え方の要点は「管理活動を5種類」に分類したうえで、「管理サイクル」と、「14の管理原則」を提唱したことです。

                     (@)企業活動を5種類に分類


@技術活動、A商業活動、B財務活動、C保全活動、D会計活動

                       (A)管理サイクルを提唱

 管理は予測→組織→命令→調整→統制→(予測へ戻る)の管理サイクルをまわすことである。(管理活動は→の方向で行われる。この→の活動を管理活動と呼ぶ)。

                       (B)14の管理原則を提唱

 管理を実行するに当り守るべき次の14の管理原則を提唱しました。@分離の原則、A権限と責任(両者は一致すべきである)、B規律、C命令の一元性(単独者から命令を受けるべき)、D指揮の一元性、E全体の利益よりも個人の利益優先、F従業員の報酬、G権限の集中、H階層組織、I秩序、J@公正、KA従業員の安定、L創意、M従業員の団結

                       (C)管理過程論のその後

 ファヨールの管理過程論は、その後世界の経営界に大きな影響を与えました。そして、今でもスタッフ制度、予算制度、管理サイクル(PDCの管理サイクル)などは多くの企業で採用されています。

              2.ヒューマン・リレーションズ論

                  (1)背 景

 テーラーのアメとムチの科学的管理法は、移民出身の労働者には大変有効でした。またアメリカ経済も大いに発展しました。しかし、1920年ころから都市化現象が始まりました。農村から大量の労働者が都市に入って来たのです。彼らは移民2世のため、英語が解り多少の教養もある人達でした。そのため労働環境も大きく変わり始めました。そして、1920年代から30年代にかけて労働者は「猛烈な労働運動」が「陰湿な抵抗運動」を行いました。彼らは出来るだけ「ノルマ」を切下げようとしたのです。誰が下げさせたかと言うと、仲間と仲間の掟でした。そこへ、第一線の管理者が同調したのです。(スパン・オブ・コントロールで管理の限度は5人だから自分の所は勘弁してくれというわけです)。
 このように、公式の職制よりも仲間の掟や義理によるつながり、つまりインフォーマル・グループの締め付けのほうが強くなってしまったわけです。そこで、経営者は労働者が何を考えているのか、インフォーマル・グループとは何かが研究されだしました。

                 (2)メーヨーのホーソン工場実験

 1924年、ハーバート大学のエルトン・メーヨー教授(Elton Mayo1880-1949)は、ウエスタン・エレクトリック社の依頼をうけ、同社のシカゴにあるホーソン工場で実態調査をしました。テーマは経済報酬だけが人間の労働意欲を刺激するものではないと言うことは分かるが、それではそれに変わるものとして何があるのかと言うことでした。
 彼が最初に調査したのは「照明実験」でした。照明の明るさという外的条件と作業効率の関係を調査したのです。その結果、照明という外的条件と因果関係はないことがわかりました。
 次に調査をしたのが「作業研究」でした。例えば休憩時間の変化と作業効率の関係を調査したのです。これも因果関係は有りませんでした。
 三番目に従業員の「意識」の調査をしました。その結果、生産性が上がる理由が解りました。
第一の理由は、260人の中から6人の女工を選んだが、そのときメーヨーは平均の人を選んでくれと言ったので、工場長がそういう条件の6人の女工を呼んで「今度、ハーバート大学のメーヨー教授が実験をすることになったので協力してくれ」と言ったのです。ところが6人は、自分たちは1番から6番までだと勘違いをしてしまい「自分たちは特別認められた」、「いいところを見せなければ」、「自分たちにホーソン工場の未来がかかっている」と考え大いにハッスルし、作業効率が上がったのです。
 第二に、メーヨーは作業条件などいろいろ6人の言うことを聞きました。いままで彼女たちは、監督者に命令されてやっていただけであり、作業条件など改善点を監督者に言ってもほとんど実現しませんでした。しかし、メーヨーは彼女たちの意見をみんな聞いてくれるのです。そうすると彼女たちは自分たちが「ああしてくれ、こうしてくれ」といって、作業効率が下がっては、自分たちの責任であると思いハッスルし作業効率が上がったのです。
 第三に、チームワークの精神が生まれたのです。6人は運命共同体の気持ちになっていきました。誕生日には花束を贈ったりするようになったのです。
 このようなことから、メーヨーは「この三つがあれば外的条件や作業条件が悪くとも従業員は働くものである」。「従来インフォーマル・グループは悪いものだと考えられていたが、そうではない」ということが解ったのです。したがって、今後はインフォーマル・グループの動向を無視して管理は出来ないという結論になったのです。
以上3点のため、経営者は@従業員を大切な存在として認めてやる。A従業員が自分のやる作業について発言権を認めてやる。B従業員が自分たちの仕事に誇りをもって、チームワークの精神を持てるようにしてやる、が必要であると提言したのです。
 このように職場の人間関係が良好であれば、従業員のモラルも上がり、モラルがあがるほど生産性も高くなると言うのがヒューマン・・リレーションズ論(人間関係論)です。テーラーの科学的管理法にはこの辺の関係がかけていたのではないか,という結論に達しました。この論文が出たのが1929年で、これ以降ヒューマン・リレーションズ派が台頭してくるのです

          3.リーダー・シップ論

               (1)背景

 一方1929年は、それまでのキャプテン・オブ・インダストーリーたちの過剰設備投資によるバブルが弾けて世界大恐慌に見舞われた年です。そのため、これらの多くの会社が倒産し、経営者は引退していきました、そして次に登場してくる経営者が、プロフェショナル・マネージャーと言われる人達です。彼らはサラリーマン上がりや、銀行から派遣されたが人々で経営の専門化とでも言うべき人達でした。(このことにより経営と所有の分離が実現したと言われています)。
 一方アメリカ政府は、1932年にルーズベルト大統領が、ニュー・デール政策を始めました。これはケインズ理論による巨大な公共投資を伴うものです。これらの政策もありアメリカ経済は1936年には不況から脱却することになります。
 さてヒューマン・リレーションズは多くの企業で採用され、企業はいろいろな作業環境作りに努力しました。しかし、1940年代になると軍需工場を中心に「集団欠勤」が多発するようになりました。

                  (2)リッカートのリーダー・シップ理論

 これを重視したアメリカ陸軍省は、ミシガン大学のリッカート教授(Rensis Likert,1961-)(社会学)に委嘱して、その実態を調査しました。彼は各種企業の管理者2万人、労働者20万人を対象に調査をしました。

                     (@)リーダー・シップ論

 リッカートは実態調査の結果、原因は第一線の管理・監督者の「管理スタイル」であることを発見したのです。このことは、従来の科学的管理法やヒューマン・リレーション理論は生産性の責任をすべて従業員に負わせているのに対して、管理者に着目した点で画期的なことでした。そもそも従業員はいずれの管理方法の元でも無力なものです。ここをいじくりまわしてもモチベーションは起こりません。
彼は、従業員の仕事の能率の鍵を握っているのは、彼らの上司の管理・監督者の管理スタイルであるとしたのです。彼はこの管理スタイルを生産性と組織特性に基づいて4つに分類しました。管理システムの業績の低い順に次の4つです。
 @独善的専制型リーダー・シップ
 A温情的専制型リーダー・シップ
 B相談・協議型リーダー・シップ
 C集団参加型リーダー・シップ
 この4つのリーダー・シップのグループ間の特徴は、第一にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「生産性が高い」。第二にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「原価が低い」。第三にCにより近い管理スタイルは、@寄りの管理スタイルよりも「好意的態度」や「労使関係が良好」。このようにCの集団参加型リーダー・シップの管理型の好ましい結果が見られたのです。当然、@独善的専制型リーダー・シップの管理型にはこの逆の傾向が見られました。

                   (A)その後のリーダー・シップ論

「集団参加型リーダー・シップの管理」スタイルは長期的に従業員の意欲を高め、生産性を向上させるものであるということで、集団欠勤に悩む経営者に大変受け入れられました。そして、その後、「集団参加型リーダー・シップ」のスタイルを全ての管理監督者に教えようと言うことで、管理者訓練、監督者訓練がもてはやされました。日本へも、戦後、占領軍によってヒューマン・リレーションズと共に持込まれ、日本の家族主義的な伝統や戦後の民主化の風潮とマッチして、企業内訓練は大流行をしていったのです。

              4.モチベーション論

                 (1)背景

 テーラーの科学的管理法では、人間は経済的な利益の下に働く「経済人」として捉えました。次のメーヨーたちのヒューマン・リレーションズでは、人間は同じ職場の仲間と仲良くやって行きたいという欲求を第一に考える「社会人」として捉えました。そして、これから述べるハーズ・バーグ、マズロー、そしてマグレガーたちは、人間は欲求の動物である「欲求人」と見ています。このように従業員の欲求の面から、「いかにしたらやる気を起こさせるのか(motivation)」と言うテーマについて研究を進めていったのがモチベーション理論(動機付け理論)です。(このモチベーション理論のように、人間行動に影響を与えたり、これを決定したりする要因に関する知識を体系化しようとする学問分野を「行動科学」と言います。いま少し詳しく行動科学を定義づけるとすれば、人間の行動に関する一般法則を、心理学、人類学、精神医学、経済学などの諸科学の連携の下に体系的、総合的に究明しようとする学問領域ということになります)

                 (2)ハーズ・バークの動機付け衛生理論

(@)ハーズ・バークのリーダー・シッ

 集団参加型リーダー・シップは大流行しました。しかし、この傾向に異論を唱えたのがハーズ・バーグ教授(Frederick Herzberg,1966-)でした。彼は集団参加型リーダー・シップの管理を採用している企業の実態調査をしたところ、次のようなことを発見しました。集団参加型リーダー・シップの管理は確かに生産性を挙げているが、専制型リーダー・シップでも生産性を挙げているケースもありました。しかしこのどちらともつかない、言い換えれば主体性を喪失した管理・監督者の管理者に率いられた職場が最も非効率でした。このことは、集団参加型リーダー・シップの管理でも、専制型リーダー・シップでも、それぞれの管理・監督者にマッチした管理スタイルを持っていると言うことがよいリーダー・シップを発揮しているのではないかと言うのです。

                    (A)従業員の二つの欲求(満足要因と不満足要因)

 更に彼は、リーダー・シップといっても単にリーダーだけの資質ややり方に責めを帰す問題ではなく、実は部下の勤労に対する意欲、労働に対する考え方、あるいは欲求によるものではないかと指摘しました。そして、彼は、従業員の欲求を「満足要因」と「不満足要因」に分けました。
 「満足要因」とは、仕事の性質とその仕事の達成により得られる報酬に関係付けられる次のようなものです。自分の業績を認められること、責任、成長、他人を支配したいという意識などであり、こういったものはなかなか実現は出来なが、実現するチャンスを与えるならば、従業員は精一杯働くものであり、「満足要因」として「動機付け要因」になると言うものです。
 「不満足要因」とは、職務の環境に関する要因で次のようなものです。会社政策、不適任な監督、対人関係、作業条件、雇用の保障、福利厚生施設、定期昇給などであり、それがなければ仕事をする気が起きないが、その欲求の充足にばかり終始しているといつの間にか飽きが来てかえって「不平不満へ導くことになる要因」で、これを「衛生要因」とよびました。
 このように、彼は従業員の欲求にはいろいろな種類があり、その欲求を満たしてあげるやりかた、特に、満足要因を満たしてやるようなやり方がリーダー・シップの基本的スタイルでなければならないと提言したのです。

                 (3)マズローの段階的欲求説

 人間は、寝たり、食事をしたり、勉強したり、仕事をしたり、そのほかいろいろな行動をします。この様な人間の行動は何故おきるのでしょうか。このような行動を駆り立てるものを一般には「動機」(モチベーション)と言っています。そしてこの動機はその人間の欲求と、その人間のおかれた環境の関係から成立するものと言われます。そして欲求とは行動を生ぜしめ持続させる力であると言われています。この人間の欲求について研究したのがマズロー(AbrahamH.Maslow,1954-)です。そこで、ここでは彼の欲求理論である段階的欲求説について簡単に触れておきます(行動科学やマズローについては、後日、単独で発刊を予定しています)マズローは人間行動について次のような仮説を立てています。
 @人間は欲求の動物である 
 A満たされた欲求は、もう行動の動機にはなりえない。
 B人間の欲求には下図のような段階(階層)があり、一つの欲求が満たされると、次の次元(段階)の欲求が   生まれる。
 先ず、最低の欲求として「生理的欲求」があります。生命維持のための欲求で他の欲求に優先します。空気、食物、休息、排泄などがあります。
 次が「安全・保証の欲求」で危険から自分の身を守る欲求をいいます。革新よりも保守(環境が変わることよりも現状に甘んじる)、保護を好む、安定雇用を望むなどです。三番目が「社会的欲求」です。人間は仲間をつくり、交際し、他人に認められたいと望むなどというものです。公式的組織でこれが達成できないと非公式組織でもこれを達成しようと働きます。四番目が「自我の欲求」です。他人から尊敬されたい、認めてもらいたい、地位を得たいと言う欲求です。また、自信を持ちたい、業績を上げたい、意識を得たい、自尊心を持ちたい、自由になりたいという欲求です。五番目は「自己実現の欲求」です。自分の能力を十分発揮したい、自分をもっと成長させたい、創造的独創的でありたいという欲求です。いわば自己自身に対する満足感です。これがマズローの段階的欲求説の概略です。その後多くの学者により修正が加えられ今日に至っています。(私は六番目の欲求があるという考え方です)

                  (4)マグレガーのX理論・Y理論

 マサチュセッツ工科大学のマグレガー教授(DouglasMcgregor,1906-)は、マズローの段階的欲求説をそのまま引用したうえで、ハーズ・バーグの「満足要因の充実が従業員のやる気を起こさせる」という考え方を深めていきます。その結果、X理論とY理論に至りました。
 X理論とは、従来の理論では「従業員は本来バカで、怠け者で、悪人であり、生まれながらにして仕事が嫌いである。この人間を働かせるためには、なんらかの強制(強制的マネジメント)が必要である(例えば経済的給付)。しかし、この人間に対する見方では、本当の従業員のやる気は引き出せない。従ってこのような人間観は改めなければならないとして提唱したのが、次のY理論です。
 Y理論とは「人間は生まれながらにして仕事をする気を持っているものであり、たまたまやる気を起こさないとしても、それは管理者のやり方がまずいのである」。「本気で従業員を信頼し、従業員の自己実現の欲求に力を貸してあげれば、従業員は意外なほど生産性を発揮する」というものでした。そのためこの場合の経営スタイルは「目標管理方式」や「参加型管理方式」が有効になるというものでした。このように、人間観をX理論からY理論へ転換させたことは画期的なことでした。

          5.近代管理論

               (1)背景

 1914年から1918年までの第一次世界大戦は、アメリカの軍需産業を始とした企業規模を飛躍的に拡大していきました。しかし、それに伴って組織の官僚化、硬直化が指摘されだしました。また、個人の忠誠心が薄れてくると共に、個人や個人の創意が生かされなくなってきたのです。そして、このような状況を改善するためにはどうしたらよいか盛んに研究されました。しかし、従来のような仕事、人間、あるいはインフォーマル・グループという切り口では解決できなくなってきていたのです。
 そこで、これらの問題の解決には、仕事と人間の関係から「組織」が重要なのではないかという点に着目したのが、元電話会社社長のバーナード(ChesterT.Barnard)でした。この仕事と人間を統合的に観察すると言う新しい視点のためバーナード革命と言われています。以後、近代的管理論へなっていきました。近代管理論とは管理の条件である組織の仕組み、システムを先ず分析し、その構成員の意思決定のメカニズムを明らかにすることによって組織を考えるというものです。

                  (2)バーナードの理論

                    (@)バーナードの組織論

@組織とは:協働
  人間の能力には一定の限界があり、その限界以上の目的を達成するためには、2人以上の人々と助け合っ て協働(協力して働く=一緒に働く一緒に行動する)しているのが、組織の本質であるとしています。

A組織成立の3要素
  組織が成立するためには次の三つの要素が必要であると言っています。第一に、組織を構成する各個人が  、「共通目的」を持っていること。第二に、組織を構成する各個人が、その組織に対して「貢献意欲(協働意欲 )」を持っていること。第三に、組織の共通目的を組織構成員に知らせる「コミュニュケーション」があること。そし  て、この組織の三つの要素を能率的に、的確に、働かせるのが、「管理」であると言っています。

B組織存続のための2つの必要条件:有効性(外部環境)と能率(内部環境)
  組織をつくるのも大変ですが、それを存続させるのはもっと大変だと言われています。組織を存続するために は組織成立の3要素のほか「組織の有効性」と「組織の能率」の二つの条件が必要であるとしています。
 「組織の有効性」とは、組織を取り巻く外部環境と組織の関係です。組織を取り巻く外部環境が組織に求めて  いることと、組織の目的が一致しないと組織は存続できなくなります(例えば顧客ニーズの変化に対応できず  に倒産した会社はたくさんある通りです)。
 「組織の能率」とは、組織と組織を構成する構成員(役員、従業員、株主、資本家、顧客、供給者など)の関係  です。組織が構成員に与える物的、社会的、心理的諸「誘因」が、構成員が組織に対して行う「貢献」と同じか 、大きい場合に個人は組織に参加することになり、組織も存続することになります(例えば労働と給料の関係な  ど)。

C権威とは:受容説
  何故社長は部下に「この仕事をやりなさい」といえるのでしょうか。従来の権限論では法定説(例えば、社長  は法律により全ての権限を持っている。だから社長には従わなければならないという考え方を採っていたわけ である。この権限の淵源は株主の所有権に帰すもので、「株主の所有権は完璧なもので絶対的なものであり 、その株主により選任された社長は会社経営の権限を持っている」と言うものでした。
  しかし、バーナードは、そういった権限の正当性は決して上から来るものではなく、それを受け入れるところの 部下が決定権を持っていると言ったのです。権威は必ず受け入れ側の同意が必要だと言っています。このよう な考え方を「受容説」といいます。このことは従来の管理論を180度転換させる画期的なものでした。
  そして、権威を受容するためには次の4つの要因が必要だとしています。(a)命令が理解できる内容であるこ と。(b)命令が組織の目的と一致していること。(c)命令が個人の目的と両立すると信じられること。(d)命令が精 神的・肉体的に実行できること。

D無関心圏
  一方、バーナードは、権威を論じるとき「無関心圏」という概念を用いています。命令が下ったとき、個々のメ  ンバーは無条件あるいは無意識のうちに受け入れる場合と、逆に、納得いかなければそれに従わない場合が あります。前の方を無関心圏といいます。よく管理されているとは無関心圏を広げることであるとし、そのために 管理者は教育などによって個人の貢献意欲を高め、かつ、できるだけ目的を細分化し、部門化することによっ  て、命令を具体的にわかりやすくすべきであるとしています。

D経営者の役割:
  バーナードは、経営者の役割は「組織を形成」し、「存続させる」ことであると言っています。そのため、管理者 の役割は次の3項目のためにされる「意思決定」と「行動」ということになります。

(a)コミュニケーション・システムを維持すること(このためには管理職位の規定をして、指揮・命令系統を明確にす  る必要がある。一方、管理者の選抜を適切に行い節目節目に適切な人材を配置)。(b)メンバーに必要な活  動を確保すること(メンバーに適切な動機付けを行いメンバーの組織への貢献活動を確保) (c)目的を定型化す ること(組織の意思決定をし、全社目的が部門目的に連携し、齟齬がないようにする)

                    (A)バーナードの意思決定論

 従来の組織論では先ず組織ありきで個人を無視していました。しかし、バーナードは組織の本質を人間の協働同体系に求め、その組織の構成員は「自由な意思決定者」であるとした点に大きな特徴があります(従って組織への参加も離脱も個人の自由意志によるものということになります)。その「意思決定」は彼によれば、解決すべき問題(目的)が発生したときに、それに対する解決策(手段)を模索し、熟考・計算・思考の結果行われるとしています。そして、意思決定は識別・分析・選択と言う論理的過程で行われるとしています。

           (3)サイモン理論

 バーナードの理論を更に深めたのがカーネギー工科大学のサイモン教授(Herbert.A.Simon,)です。特に彼は企業組織の意思決定理論を発展させました(彼はその研究成果によって1978年ノーベル賞を受賞しています)。 

                     (@)サイモンの意思決定論

 特にサイモンはそれまでの管理論では「行為」そのものに注目していたが、「決定する」ことも同様に重要であるとして、「意思決定」にスポットをあてた考えを展開しています。
意思決定とは、目的達成のために情報、価値、判断基準などによっていくつかの選択肢から一つのものを選ぶことを言います。
 人がその意思決定をするために持っている知識や情報を「決定前提」と言います。そして意思決定とはこの決定前提から引き出された結論ということになります。
彼はこういう意思決定をする場合の決定前提として、次の二つの前提条件があると言っています。@その人の生まれながら、あるいは生い立ちのなかで、それぞれ一定の世界観、社会観、判断基準を持っている。これを彼は「価値前提」と言っています。A意思決定をするときのいろいろな制約、例えば、景気、金融情勢、労働運動などの企業の外部条件、あるいは、その会社の資金調達力、研究開発力、従業員の技術能力、などの企業の内部条件などを前提に判断せざるをえません。これを彼は「事実前提」と言っています。
 そして彼は、この意思決定には次の4つの局面があるといっています。第一局面は「情報活動」といわれ、意思決定に必要な情報を収集すること。第二局面は「設計活動」といわれ、いくつかの選択肢を発見し、開発し、分析すること。第三局面は「選択活動」といわれ、検討可能な選択肢から、ある特定の選択肢を選ぶ活動。第四局面は「再検討活動」といわれ、過去の選択の結果を再検討すること。
 サイモンはこのような意思決定活動が経営・管理活動の典型であると見ています。
(A)経済人と管理人:最善と最適、最大化と最適化
目的と手段の関係から最も正しい意思決定がなされたとき、その意思決定は客観的合理性の意思決定と呼ばれ、その意思決定は正しいとされます。このように理想の意思決定ができる人を「経済人」といいます。しかし現実にはこのような合理的意思決定モデルは存在しないと言われています。それは、その合理的意思決定の前提として、@全ての選択肢が把握できること。A全選択肢の結果が把握できること。B全選択肢の中から一つの選択肢を選択する場合の基準となる価値体系を持っていることの三条件が満たされなければならないからです。(現実にはそれは不可能だからです)
そこでサイモンは、現実の不完全な条件下で限られた合理性しか達成できない現実の人間を「管理人」と呼んでそれまでの経済人と区別し、その違いを次のように言っています。@経済人は全ての選択肢の中から「最善」を選択しようとするが、管理人は、ある程度(最適)のところで満足する。A経済人は複雑な現実の世界と取組もうとするが、管理人はそういうものは扱いきれないと言うことを知っている。そのため複雑な現実を単純化したモデルとして捉え、枝葉末節な部分はそぎ落として選択し意思決定する。このように管理人は最善化ではなく最適化を求める。従ってサイモンの意思決定理論は最善の理論でなく、最適の理論であると言えます。(この差は創業社長型とサラリーマン社長の差とも言えます)

                   (A)サイモンの組織均衡論

 サイモンは、先ず人は何故組織に入るのかを研究。そして、バーナードと同じように、組織が人に対して提供する「誘因」と、人が組織に入ってなす「貢献」との相関によって決まるとしています。即ち、貢献と誘因が等しいか誘引の方が大きい場合、人は組織のメンバーになると言うのです。この場合次の3つがあるといっています。
@従業員(組織から直接何かを得ようとする人達)。A企業家(組織が大きくなれば自分に対する誘引も大きくなるから)。B顧客(組織の規模や成長とは関係ないが何か得られるものがあるから)サイモンの理論の特徴は、メンバーの中にBの顧客という外部の人間までを入れて組織を考えたことにあります。人は常にこういう誘因と貢献の均衡をねらった意思決定をして行くわけです。
 一方、彼は企業に於ける管理者は、利益と存続を志向するといっています。そして、管理者は次の二つの方法によって貢献と誘因を均衡させるように努力するとしています。
@顧客の要求に応じて目的を変更することによって均衡させる。A資源、金銭的貢献、従業員の時間と努力を、従業員に対して最大の誘因を与え、これらの資源を利用して組織目的を最高に達成するような方法で均衡させる。Aの場合の「能率」という概念が管理者の意思決定の基本的な価値基準となります。
 ここで、彼の言う、能率基準とは「目標達成のため、最短で、最も安い方法」を意味します。また「費用が同じならばより目的を達成するものが選ばれる」。そして「達成度合いが同程度ならば、よりコストの低い方が選ばれる」「またコストが同じで二つの結果が得られた場合は、より大きな結果を選ぶ」。このように、組織の資源の量と組織の目的が一定の場合、能率は管理上の選択を決定する支配的要素となるとしています。

まとめ

 以上アメリカの経営史を近代管理論まで掻い摘んで紹介してきました。解り難い点があったかも知れませんので参考までに次に一覧表にしました。

分  類 時 期 代表的人物 理 論 趣  旨
古典理論 1900年代〜 テイラー
フオードファヨール
科学的管理法
フォード・システム
管理過程論 経営の「効率」を如何に上げるか
ヒューマン・リレーションズ理論 1930年代〜 メーヨー ヒューマン・リレーションズ理論 職場の「人間関係」が生産能率には大きな影響がある
リーダー・シップ論 1940年代〜 リカート リーダー・シップ論 生産能率を上げるためには管理者の「リーダー・シップ」が重要
モチベーション理論

1950年代〜 ハーズ・バーグ
マズロー
マグレガー
動機付け衛生理論
欲求段階説
X理論・Y理論
働く人の感情に注目し、特に「動機付け」を如何にするか
近代管理論 1930年代〜 バーナード
サイモン
組織論他
意思決定論他
「組織」と「人」を統合的に観察し、その構成員の「意思決定」のメカニズムを解明

 その後、アメリカの経営は、経営環境が複雑で不透明になっていきました。そして1960年代にアンゾフ、ボストン・コンサルティング・グループ、ポーター等により「分析型戦略論」と言われる考え方が出てきました。これは「経営環境と自社の資源分析をもとに、将来の戦略を決めていくという戦略論」や、「顧客満足を実現するためのマーケテイングはどうするのか」というマーケテイング論です。
 1980年代になると、より一層経営環境の複雑性や不確実性が増していきました。そして、分析型戦略論では対応しきれなくなりました。そこで「戦略はその場の状況に応じて柔軟に作り上げていくべきである」という「プロセス型戦略論」がミンツバーグ、ピータース&ウォーターマン等によって提唱されだしました。
 最近では、「コア・コンピタンス経営」、「ビジナリー・カンパニー」、「リレーション・マーケテイング」など「将来の進路をきちんと決めておくのではなく、大まかなアウトラインを示して、その方向に向かって現場の創意工夫で戦略を練る」という方向に展開しています。
(今回は、これら現代の経営論については紙面の都合で割愛させて頂きました。後日個々に発刊する予定です)


参考文献:
アメリカ経営学の再吟味 岡本英嗣著 白桃書房
管理者の役割 高橋達男著 産業能率短期大学
経営史 阿部悦生著 日経文庫
経営学要論 吉永雄毅著 税務経理協会