社会人基礎コース

第2回

「江戸しぐさ」に学ぶ

1.江戸しぐさとは


 「江戸しぐさ」は、今風に言えば江戸町民の「公衆マナー」であり、かつ「コミュニケーション・スキル」とでも言うべきものです。狭い江戸の町で「江戸っ子」といわれていた町民が使っていた世間との付き合い方や他人とのかかわり方などの所作全般を言います。この江戸しぐさの根底には、日本特有の「相手を思いやる心」を形にしたものといえます。

 例えば江戸しぐさの一つに、「うかつあやまり」というのがあります。うかつ(迂闊)とは、うっかりしているさま、注意がたりないさまをいいます。例えば、往来などで足を踏まれたとき、踏んだほうが「ごめんなさい」と謝るのは当たり前の話ですが、この時、踏まれたほうも「いえいえ、私がうっかりしていたものですから」と、謝るのです。この場合、足を踏んだ側の人間は「とんでもないことをしてしまった、申し訳ない」と恐縮しているはずです。このような相手の過失を「どこに目を付けているんだ」と、せめるのでは無く、「私も注意が足りませんでした」と謝ることにより、踏んだ人間の心の負担は軽くなり、その場が和みます。このようにどの江戸しぐさも、「相手を思いやる心」に裏付けされています。これは、「お金や物よりも人間を大切にする」、「皆が仲良く平和に暮らせるためにはどうしたらよいか」、「差別なく皆が共生するためにはどうしたらよいか」という江戸時代の日本人特有の思想に裏づけされています。

 ではつぎに、何故このような「江戸しぐさ」が生まれ発展していったのかを見てみましょう。徳川家康が江戸に幕府を開いてから、それまでの寒村だった江戸は、全国から、文化や習慣の違う人々が集まってきて、徳川幕府中期には百万人を超す世界最大級の文化都市に発展していったのです。しかも、江戸の町の特長は武家屋敷が大半を占め、町民や職人などの一般町民は限られた狭い地域(例えば、現在の神田や深川など)で生活をせざるを得ませんでした。そのため人間関係はたいへん難しいことになります。見かねた幕府はこの町の自治や治安などを「町衆」という大店の商人達に任せました。

 町衆が最初に考えたのは、このような全国から集まったさまざまな人たちが仲良く平和に日常生活が送れるためにはどうしたらよいかということでした。
そこで町衆たちは、それまでの自分達の経営哲学を具現化した、「商人しぐさ」(繁盛しぐさとも言う)、に着目しました。商人しぐさは、それまでの商人道、処世術、倫理観、道徳律、約束事などを包含し、高めたものです。この商人しぐさの背景には、仏教、神道、儒教などに影響を受けた日本人独自の哲学があります。(例えば「お天道様に申し訳ないことをしない」、「おかげさま」、「世間に対してはづかしいことはしない」、「因縁生起」などの考え方です。)
 この商人しぐさを原型として一般の町民にも広げたものが[江戸しぐさ]といわれています。この「商人しぐさ」を江戸の町民全般に広げる役割を担ったのは「寺子屋」や「講」による初等教育でした。


 寺子屋や講の教育の基本的考え方をあらわすこんな言葉があります。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものです。意味は、「三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)を理解することが人間教育の基本であり、これらのことを如何に理解し、実践出来るかによって、その子の将来は決定する」、というような意味です。読み、書き、算盤などの知育教育はもちろん、それ以上に人間教育に重点をおいていたわけです。今では死語になってしまった、躾教育とか修身教育とか道徳教育に重点をおいた教育をしていたわけです。

 江戸しぐさは口伝(くでん)で行われていたためその文献はありません。しかも江戸しぐさという名称も、近年になって芝三光(しばみつあきら、本名は小林和雄)という人が命名したものといわれています。現在はその弟子とも言える越川禮子氏が江戸しぐさを全国に広める活動をしています。

 この江戸しぐさは、公衆マナーですから法律のように「何々をしてはならない」というようなものでは有りませんし、罰則があるわけでもありません。
江戸しぐさは、一見自分に不利益な行為に見えるかも知れませんが、大局的、あるいは長期的に見れば、相手も自分も、そして世間全体も、人間関係がよくなるとか、共生するとか、平和になるなどメリットは多いのです。
 ところで、江戸時代にこの江戸しぐさが出来ないと、「野暮」とか「田舎物」とバカにされるばかりか、すりや悪い人に狙われたりしたようです。逆に、この江戸しぐさができてかっこいい江戸っ子を「粋(いき)な人」といいみんなの憧れの的でした。

⇒展開:「粋な人」とは、一般的には江戸しぐさが出来るほかこざっぱりとしている、垢抜けている、美しい色気がある、人情味がある、物事の道理をわきまえている、金があってもある振りおしない、照れ屋である、金のことには無頓着、気持ちがさっぱりしているなどの要素が必要のようです。

⇒展開:類似の概念:江戸しぐさと類似の概念を広辞苑で引いてみますと
しぐさ:
「しぐさ(仕草・仕種)」は、ある物事をするときの動作や表情、所作のこととし、『少女のようなしぐさ」と例文が載っています。
但し、江戸しぐさのしぐさは「思草」と書いて一般のしぐさと区別しています。これは、それまで養われてきた思考が、その場面で本能的、反射的に行動になって現れたものによるもので、一般的なしぐさよりももっと深い意味合いがあるものとしています。
 マナー:行儀、作法、態度とありますので、しぐさはマナーよりは、すこし緩やかなもの、あるいは行動のもっと基本的なものというべきかもしれません。
礼儀:社会生活の秩序を守るために保つために人が守るべき行動様式。特に敬意を表す作法。
作法:起居・動作の正しい方式

 では次に主な江戸しぐさを見ていきます。

2.主なしぐさ

 江戸しぐさは、たくさんありますが、その中で主なものを次に紹介します。(項目の後ろにある○印は進めたいしぐさ、×印はしてはもらいたくないしぐさです)

                                (1)往来しぐさ

 往来しぐさは、社会人として最低限の基本なので、「お初しぐさ」「稚児しぐさ」、と言われ、幼いうちから寺子屋などで習得させました。ここでは、主なものを紹介います。

@肩引きしぐさ

 江戸の横丁は大変狭い。その狭い道路で対向者とすれちがうときに、道路中央側の肩を引けば相手とぶつかることも無くすれちがえます。そのとき、お互いが軽く会釈し、軽く微笑めば、狭い道路も気持ちよく通行でき、トラブル防止にもなります。相手を思いやる優しさと、ちょっとした譲り合いの心があれば誰でも出来るしぐさです。
 現代では、どんな道路でも「道路」と名前が付けば、最低4mはあります。肩引きなどは必要ないと思われるかも知れませんが、ビルの廊下や電車内など、狭い通路はいくらでもあり、肩引きの出番はいくらでもあります。
 また、自分だけが肩引きをしても相手がしなければ、ぶつかってしまいます。みんなが肩引きの優しさと譲り合いの精神を持っていなければ江戸しぐさは成り立ちません。

A蟹歩きしぐさ

 横丁などの狭い道ですれ違う際は、肩引きしぐさをするのですが、もっと狭い道で人とすれちがうときのしぐさです。お互いが道路の内側を向いて横向きになって顔と顔と合せる格好ですれちがいます。これを「蟹歩きしぐさ」といいます。

B傘かしげしぐさ

 雨降りのとき、狭い横丁を傘をさして通行していたら、前方からも傘をさした人が来て、すれちがうとき、お互いが傘を道路の外側にかしげ、相手に雫がかからないようにします。こうすれば、お互い雨にかからず、トラブルをさけ、そして気持ちよくすれ違うことが出来ます。ほんのちょっと相手を思いやる優しさと譲り合いの心と気配りがあれば誰でも出来ることです。この傘かしげも肩引きと同様、自分だけでなく相手も同じ気持ちと行動をすることが必要です。しぐさはみんなが同じ気持ちと行動を取らなくては成立しないのです。

Cこぶし腰浮かせしぐさ

 「こぶし腰浮かせ」は、もともとは渡し舟に先客として乗り込み座っている何人かが、後から乗り込んで来た客のために、座っている先客が、阿吽の呼吸で連鎖的に一人ひとりがこぶし一個分席ををつめて、後から来た乗客に席を作る動作をいいます。後から乗り込んできた客は先客に礼を言って座ります。
 現代でも、こぶし腰浮かせの状況は、電車やバスなどの乗り物ではいくらでもあります。ポイントは先客が皆いっせいにこの動作をすることです。一人でもこの空気が読めないで動かない客が居ると、このこぶし腰浮かせはうまくいきません。

D七三歩きしぐさ

 「七三歩き」は、「七三の道」とも言います。道路を歩くとき真ん中をのっしのっしと歩くのではなく、道路の三割を使って歩き、残りの七割は急用の人など他の人のために空けておくということです。
特に現代は車社会です。右側を七三歩きすることによって、交通事故を回避するという効果もあります。人の為のはずの行為が自分のためにもなっていることになります。

E片目だししぐさ

 「片目出し」とは、狭い路地から大通りに出るときのしぐさで、右を見て、左を見て安全を確認してから進みましょう、ということです。
 現代の自動車社会では、昔以上に片目出しの重要性は増しています。

F束の間付き合いしぐさ

 「束の間」とは、ほんの一寸した間という意味です。ですから「束の間付き合い」とは、道でたまたま出会いった人や、乗り物でたまたま隣同士になった人とのしぐさです。知らないからといって、仏頂面(無愛想な顔、不機嫌な顔)をしているのではなく、知らない人でも軽く会釈したり挨拶することによって、その場の雰囲気が和んでくることは良くあることです。
 自分が好意をもって相手に接すれば、相手も好意で返すという効果が発生することが医学的に確認されています。(これをミラー細胞効果といいます)。

G階段では昇って行く人が譲るしぐさ

 江戸時代の階段は今と比較しても狭くて急勾配で危険です。そんな階段の途中で昇る人と降るひとがすれちがうときのしぐさです。江戸しぐさではこのとき、昇る人はその場で待機し、降りの人が同じ目線になったとき、軽く会釈をしてすれちがいます。そのとき、降りてきた人は感謝の気持ちをこめて会釈をします。
 以前私は多少山登りをしていましたが、登山のときは江戸しぐさと逆です。降りてくる人がその場で山側の道の脇に寄って昇りの人を待ちます。そしてすれちがうとき昇りの人が「こんにちは、どうもすみません、ありがとうございます。」といい、軽く会釈します。すると降りの人が「こんにちは。どういたしまして。」と返します。これは山道で接触したら降りの人のほうが断然有利で、接触したら昇りの人は谷底へ滑落してしまうからです。

Hうかつあやまりしぐさ

 前述しましたように、「うかつあやまりしぐさ」とは、うっかり他人の足を踏んでしまったときなどのしぐさです。誤って他人の足を踏んでしまった人は「すみません」と謝ります。これは普通のことですが、江戸しぐさでは踏まれた人も「こちらもうっかりしていました」と謝るのです。これは、踏まれるという状態を前もって予想できなかった自分を恥じて謝るというのが、この「うかつあやまり」です。「生き馬の目を抜く」といわれる江戸の商人にとって、予測は大変重要なことでした。予測できなければ商売は失敗してしまいます。そこで江戸の商人はあらゆる場面で予測を立てて行動し、その結果に責任を持つということを幼少のころから身につけるよう訓練していたのです。

 I駕籠とめしぐさ

 「駕籠とめしぐさ」とは、訪問先の少し手前で乗ってきた駕籠を降り相手を訪問するしぐさです。駕籠に乗るということは一種の贅沢で、何がしかのお金が要ります。要はお金持ちとか成功者で無いと駕籠には乗れません。ですから、このしぐさは豊かさをひけらかさない謙虚さと、相手に対する思いやりにもとづいたしぐさです。

J無悲鳴のしぐさ

 「無悲鳴のしぐさ」とは、不意の時にも「悲鳴」をあげず対応できるよう常日頃から心構えをしておくことです。どんな場合でも冷静さが必要と示唆しているしぐさです。

Kとおせんぼしぐさ仁王立ちしぐさ×

 「とおせんぼしぐさ」とは、無神経に往来の真ん中で仁王立ちしているようなしぐさです。類似のしぐさに「仁王立ちしぐさ」があります。両方とも通行人の邪魔になり障害物そのものです。
 

L「どちらえ」×とは聞かない

 人の行き先を聞くのは、大変失礼なことなので聞かないようにします。
誰でも言いたくない用件はあるもの。出かける人には「お出かけですか、お気をつけて」でとどめるのが礼儀です。

(2)言葉遣いの江戸しぐさ

@「おはよう」には、「おはよう」○

  普通、サラリーマンは出社したとき、上司がいたら自分から「おはようございます」と挨拶し、上司は「おはよう」と返します。また、部下がいたら「おはよう」と声を掛け、部下は「おはようございます」と返します。明らかに上下の関係です。
 しかし、江戸しぐさは互角の付き合いが基本になっていますので、上司が「おはよう」と声をかけたら、部下も「おはよう」と返します。また、部下が「おはようございます」と挨拶したら、上司も「おはようございます」と返します。また、挨拶は部下からするのを待つのではなく、上司から率先してするというのも江戸しぐさです。

A素直な心で、「ありがとう」、「おかげさま」と感謝の言葉が言える。○

 人に、感謝の気持ちを持ったら、素直に「ありがとう」(ありがとうございます)といい、相手に感謝の気持ちを伝えましょう。

ありがとうの他に、日本語には「おかげさま」という感謝の言葉があります。誰でも自分の力だけで生きていられる訳ではありません。親、配偶者、地域の人々、職場の仲間など人間ははもちろん、動物、植物、宇宙の全てのものに対して「おかげさま」といえる素直な心が基本です。

B素直に「すみません」と言える。○

 相手に失礼なことをしてしまったときなど、素直に「すみません」といいましょう。
日本人は「すみません」を非常に多用します。例えば、人に物事をお願いするときにも「すみません、席をつめてもらえますか」「すみません、○○に行くにはこの道でいいんですか」、などの「すみません」は、会話の潤滑油になり現代でも良く使われています。
 しかし、グローバル化の昨今、「すみません」は外国人には良く考えて使わなければなりません。

C世辞が言えて一人前○

 「今年入社した新入社員は挨拶もできないんだよねー。」という話を良く聞きます。江戸時代は挨拶が出来ただけでは一人前とはいえません。江戸では世辞がいえなければ一人前とはいえないといわれています。世辞とは挨拶の後に付け加える一言を言います。例えば、道で近所の人に出会ったとき、「おはようございます」と挨拶したあと、「いい天気ですね」と続けます。この「いい天気ですね」が世辞にあたり、会話や人間関係を円滑に進める潤滑油の役割をします。江戸では九歳までに世辞が言えるように教育したそうで、この世辞が言えて一人前といわれました。

D「忙しい」は言わない。

 江戸では人から「お忙しいですね。」といわれることを非常に嫌いました。おそらく人間としての心を亡くして、自分の生活や金儲けのために働いていると思われるのが許せなかったのでしょう。
 経営者基礎コースの「仕事が出来る人、出来ない人」に書きましたが、仕事が出来ない人は良く「忙しい」を使います。例えば、新しい仕事を紹介してやろうとしても、「忙しい」といわれたら、「じゃあ、止めとくか。」ということになってしまいます。「忙しい。」は自分の可能性までも殺してしまいます。

E「はい、はい」×

 相手から言われたことに、「はい、はい」と返事を二度繰り返すのは、相手を侮辱した、失礼なしぐさですので使わないように気をつけなければいけません。

F「戸締め言葉」は使わない×

 「戸締め言葉しぐさと」は、「でも」「だって」「しかし」「そうは言っても」など相手を遮(さえぎ)る言葉をいいます。戸締め言葉しぐさは相手を「やる気が無いのではないか・・・だったらこの重要な仕事を任せるのは止めよう」、「能力が無いのではないか・・・話しても無駄か」、「期待していたのに・・・がっかりだ」というような感情を持たせてしまいますので、戸締め言葉は気をつけなければいけません。

G「刺し言葉」は使わない×

 「刺し言葉」とは、「逆なで」、「チクリチクリの嫌み」、「当てこすり」などの言葉を言います。これらの言葉は相手の感情を悪化させるため使わないようにしましょう。

(3)応対の江戸しぐさ

 現代風に言えばコミュケーション・スキルと言うことになるのでしょう。コミュケーション・スキルのなかでも最も大切なのはでも、最も大切な技法とされるのは、相手の話をひたすら聞くアクテイブリスニング(積極的傾聴)であるといわれています。最新の科学であると思われていたことを江戸の人々は実践していたことになります。

@相づちしぐさ

 「相づちしぐさ」とは、相手の話に相づちを打つしぐさです。「なるほど」とか「もっとも」というような言葉に限らず、頭をこっくりと下げるようなしぐさも含みます。あいづちしぐさにより、相手も気持ちよく話しに乗ってこられて話が弾みます。
また、話の始めに「ご存知と思いますが」といれることも、相手に対しての配慮のある言葉です。

A喫煙しぐさ

 たばこは同席した相手が吸わなかったら自分も吸わないのが当たり前のことなのです。また、灰皿がないところでは喫煙してはいけないのが当たり前なのです。これを「喫煙しぐさ」と言います。
 最近ではタバコの害は科学的にいろいろ立証されてきています。特に、タバコを吸っている人よりも、その副流煙を吸った周囲の人に悪影響があるといわれています。周りの人に気配りをして喫煙するのです。

B打てば響くしぐさ

 初対面で相手を見抜く眼力、当意即妙の掛け合いなど、江戸っ子はすばやく対応することを身上とした。目から鼻に抜けるような切れ味のよいしぐさを「打てば響くしぐさ」といいます。

C聞き上手しぐさ

 「聞き上手しぐさ」とは、話す人の目を見て、身を乗り出し、ひたすら聴くしぐさを言います。話す人への敬意やエールが感じられ、話し手も話がしやすくなります。「聞き上手しぐさ」は、話す人の本当の気持ちを引き出すことが出来ると言う効果があります。 アクテイブリスニング(積極的傾聴)そのものです。

Dうたかたしぐさ×

 「うたかたしぐさ」とは、話しかけられても生返事で心ここにあらずというしぐさです。何事にも心をこめて集中してあたりなさいということです。

E逆らいしぐさ×

 「逆らいしぐさ」とは、やってもみないうちから戸締め言葉(「だって」「でも」「しかし」「そうはいっても」など)で相手を受け入れなかったり、言い訳を言ったり、逆らったりするしぐさをいいます。多少の抵抗はあっても相手の言うことを素直に受け入れる姿勢は大切なことです。特に、年長者や物事を知っている人の話は含蓄に富むものが多いものです。素直に受け入れることによって、その場の雰囲気を良くするし、自分の可能性を残すことになります。
 現代でも、言い訳をする人はたくさんいます。「経営者基礎コース」の「仕事の出来る人、出来ない人」でも紹介しているように、仕事の出来ない人ほど、「忙しい」「期間が短い」「難しいので」など出来ない理由を探し出してきます。言い訳をすれば相手は嫌な思いをするし、次のチャンスの芽を摘んでしまうしまうばかりか、自分の可能性、能力の向上も終わらせてしまいます。

(4)仕事上での江戸しぐさ

@見越しのしぐさ

 「見越しのしぐさ」とは、先見性や洞察力のあるしぐさをいいます。特に競争の激しかった江戸の商人にとっては常に五感を磨き,第六感を働かせて先を見抜くことが必要だったのです。だから商人にとって「どうしたらよいか分からない」というような言葉や行動はあってはならないことなのです。

A尊異論○

 「尊異論」とは、自分と違う意見も尊び,よく聞き入れて取り上げるしぐさです。10人いれば10通りの考え方があります。例え部下などの目下の人の意見であってもただ否定するだけではなく、良く聴くことは重要です。何故なら、よく聴くことはコミュニケーションスキルの基本であるとともに、自分の意思決定の参考になるものも多いからです。人の話を聴くのは当たり前のことだがなかなか難しいものです。

B念入れしぐさ

 「念入れしぐさ」とは、相手の意思や約束事などを再確認するしぐさをいいます。手を抜かずに確認すれば相手とのトラブルを回避することができますので信用に結びつきます。但し、相手が気分を害しないように確認することは言うまでもありません。
現代では、電話の応対時に、相手の電話番号などを確認するときに聞き手が復唱し、聞き違いがないことを確認するのも念入れしぐさといえるでしょう。

C傍を楽にするしぐさ

 「傍(はた)を楽にするしぐさ」とは、その人の働きが世間の役に立ち、世間が楽になるしぐさです。江戸時代は、午前中は自分の生活のために働き、午後は世のために働いたといわれています。ですから江戸時代の人物評価は地位や財産ではなく、この傍(はた)を楽にするしぐさの大小だったというのもうなずけると言うものです。

D三脱の教え○

 「三脱の教えしぐさ」とは、初対面の人には、「年齢」、「職業」、「地位」は聞かないというしぐさです。士農工商など身分制度の確立していた時代なのに、人を見かけや肩書きで判断しないで平等に扱ったしぐさです。年齢、職業、地位などの余計な情報が入ると、相手を色眼鏡で見てしまい、その人の本当の姿が見えなくなってしまうからです。 初対面の人には謙虚な気持ちで接しましょう。

E明日備しぐさ

 「明日備しぐさ」は「あすびしぐさ」と読みます。「あそび」に引っかけてこれを「明日備(あすび)」といい、仕事が終わった夕方はリフレッシュ、レクリエーションの時間で明日も元気で働くために備えました。

F気の薬しぐさ

 「気の薬しぐさ」とは、ある種の優しい気遣いのことです。例えば、客が帰るときに「お気をつけてお帰りください」とか、風邪を引いている人に「お大事に」などと、それとなくいう一言です。相手に対する思いやりのしぐさです。

Gおあいにく目つきしぐさ

 「おあいにく目つきしぐさ」とは、「せっかくいらしてくださいましたのにあいすみません、ご希望の品をすぐに取り寄せます」などの言葉とともに、すまなそうに目を伏せ、まばたきをして申し訳なさを表現しました。

H呑気しぐさ

 「呑気しぐさ」とは、何事にも深刻に考えないでポジテイブに振舞うしぐさを言います。人生も商売も良い事悪いこといろいろありますが、「下手な考え休むに如かず」といわれるように、そこで一喜一憂しても何の解決にもなりません。だったらものごとを長い目で見て、明るく生きていったほうがよいということです。
 江戸の商人の心得は、一にやる気、二に根気、三に呑気と言われたように、のんきは重要な要素なのです。

I時泥棒しぐさ×

 「時泥棒しぐさ」とは、突然相手を訪問し、相手の貴重な時間を奪ってはいけないというしぐさです。また、約束の時間に遅れたりすることも同様です。時泥棒は「弁済不能の十両の罪」とも言われ、してはいけないしぐさの一つです。
江戸時代は、武士も町人も「時間」には厳しいものでした。また、「約束を守る」ことにも大変厳格でした。厳しいようですが、それが相手に対する思いやりでもあるし、長いあいだには信用にもなるものです。
現代でも田舎にいくと「○○時間」などというのがあって、会合などは30分遅れていくのが当たり前という地方もありますが、都市生活者、あるいはビジネスマンなどは時間には厳格であるべきですので、「時泥棒しぐさ」を大いに見習うべきでしょう。

J陰り目しぐさ×

 「陰(かげ)り目しぐさ」とは、暗い陰気な目つきを言います。だれでも嫌なことはありますが、それを目や顔に出さないようにうに努めなければいけませんというしぐさです。商人が暗い目つき、暗い表情でいては物は売れないし、客も金も逃げていってしまいます。商人に限らず明るい目つき、明るい表情で生活することが幸せになれる第一歩なのです。

K気の毒しぐさ×

 「気の毒しぐさ」とは、相手がストレスや不安などを抱くようなしぐさです。嘆いたり困ったりする原因や、行為そのものをいいます。

L腕組みしぐさ×

 「腕組みしぐさ」とは、腕を組んで思案しているしぐさで、特に、商人にとっては「足組みしぐさ」と同じくしてはいけないしぐさの一つです。商人が腕組みをしていると、金策がうまくいかないのではないか、商売がうまくいかないのではないか、倒産するのではないかなどと、相手に不安感を持たせてしまうからです。

M足を組むしぐさ×

 「足を組むしぐさ」とは、足を交差させるしぐさで、「腕組みしぐさ」とともによいしぐさではあいません。なぜなら、「足を組むしぐさ」は、相手から見れば、敬意を払っていない失礼なしぐさと受け止められるからです。特に、江戸はみんな着物を着ていましたので、足を組むと着物の前がはだけ見苦しい格好になることも理由の一つです。

N見下ろししぐさ×

 「見下ろししぐさ」とは、相手を見下したしぐさをいいます。例えば、「何をバカなことをしているんだ」、「どうせアイツにはできっこないよ」、の類です。江戸ではあくまで皆、対等という思想が基本なのです。

O頭越しのしぐさ×

 「頭越しのしぐさ」とは、商人が、紹介者を飛び越して相手と話を進めるしぐさをいいます。これでは紹介者の立場が無くなってしまいます。紹介者としては「そんなやつは信用できない」ということで、その後の商売はできなくなってしまうでしょう。
  現代のビジネスでも人の付き合い方は同じです。頭越しのしぐさは絶対にいけません。

Pじだらくしぐさ×

  「じだらくしぐさ」とは、場所や時をわきまえず、人前で服装をととのえるしぐさをいい、たいへん失礼なことです。
 電車の中などで、化粧をしている若い女性の行動は江戸時代だったら考えられない行動です。現代でも顰蹙ものです。

Qムクドリしぐさ×

 「ムクドリしぐさ」とは、ムクドリがどこからともなく群れをなして飛んできてエサをついばみ、エサがなくなるとまた群れをなして飛んでいってしまうことから、無料で何かもらえるときだけワァっと押し寄せるような人のしぐさをいいます。

(5)教育上の江戸しぐさ

@お心肥やし

 「お心肥やししぐさ」は、「おしんこやし」と読みます。人間(江戸っ子)はこころ豊かでなくてはいけないということです。
人生、生まれてから死ぬまでが勉強です。勉強をして心を豊かにし、少しでもよい人間になり、世間に役にたつ人間になるのが江戸っ子の大切な生き方だったのです。知識詰め込み重視の現代の教育
の誤りはこの辺にあります。

A「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」

 「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」(読み方は、「みっつこころ、むっつしつけ、ここのつことばでふみじゅうに、ことわりじゅうごですえきまる」と読みます)とは、三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)が理解出来れば、その子の将来は間違いないという意味です。
 この考え方は子供の発達段階に応じた教育のあり方を的確に表しています。

B銭湯つき合いしぐさ

  江戸の子供達は、公共の場で他人に迷惑をかけず心地よくふるまう知恵を、狭い場所に大勢の人が裸で入る銭湯で大人たちから学んでいたのです。これを「銭湯つき合いしぐさ」と言います。
 私は、時々温泉に行きますが、子供が狭い洗い場でかけっこをしたり、浴槽をプールに見立てて競泳をやったりしています。つれてきた親はそれを見てもなにも言いません。私がその子供を注意したら多分その親とトラブルになっていただろうということは想像に難くないことです。また、グローバル化の下、札幌の銭湯では外国人が増加し、そのしぐさやマナーの悪さに業を煮やした経営者が、外国人お断りの張り紙をしたら、裁判沙汰になったなどというのもありました。

(6)日常の江戸しぐさ

@もったい大事しぐさ

 「もったい大事しぐさ」とは、もったいないから物事や時間を大切にしようというしぐさです。
資源の少ない日本では物事を大切にする文化があったのです。
話は一寸それますが、エピソードを一つ。下総の国、古河藩主の土井利勝はあるとき一尺ほどの糸きれが落ちているのを見つけ、これを家来に預けた。後日、利勝の刀の下げ緒がほどけかかったので、その家来を呼んでその糸切れを使って、下げ緒のほつれを結んだというのです。身分の高い者でもこれくらい物を大切にしているという 話です。
現代では、「もったいない」といえば、ノーベル賞受賞のマータイさんが世界中にひろめたことがよく知られています。

Aさしのべしぐさ

「さしのべしぐさ」とは、本当に悩んでいる人や、病人などに手をさしのべるしぐさです。

B「指きりげんまん、死んだらごめん」。○

 約束は必ず守るものとされました。武士などは金丁(刀を一寸ぬきパチンと鞘に収めること)だけで契約書などの証文を作りませんでしたが、それでも必ず約束は守ったのです。しかし、死んでしまったら約束は履行できません。「死んだらごめん」とは命にかけて約束を守るということです。長い目で見れば、一つひとつの約束を守っていくことが、その人の信用を高めてくれる唯一の生き方だと思います。
 童歌に、「指きりげんまん、うそ吐いたら針千本飲ます、死んだらごめん、指切った」というのがあります。夕暮れ時、子供が友達と明日の遊びの約束をするときなどにつかいます。まさか遊びの約束で針千本飲まされてはたまったものではありませんが、約束はそのくらい大切なもので、守らなければならないものなのです。

Cへりくだりしぐさ

 相手が誰であろうが、相手に敬意をはらい、自分をへりくだった言い方をします。相手によって態度を変えるのは「はしたない」振舞いであり、してはいけないしぐさです。

Dあとひきしぐさ

 普通、別れる時にはお互いに「さよなら」といって別れますが、「あとひきしぐさ」では、そのあと、少し行ってから、もう一度お互いに一寸振り返り「今日は会えて良かったですね、また会えるといいですね」と名残おしそうに別れるしぐさを「あとひきしぐさ」といいます。心がほのぼのとしてきませんか。テレビ東京の人気番組「田舎に泊まろう」のエンデイングの別れの場面、「あれ」です。

⇒展開:一期一会

E老入れしぐさ

 「老入れしぐさ」は「おいいれしぐさ」と読みます。江戸では、老人の評価は「若者をどれだけ笑わせたか」「若者をどれだけ引き立てたか」「若者にどれだけよいものを伝えたか」などの要素によったとのことです。ですから、老人はこれらの事柄を常に心がけていました。
 昔は、老人は結構尊敬されていたようですがなんとなく分かるような気がします。はたして現代ではこれらの項目について真剣に考えている老人はどれくらいいるでしょうか。


3.江戸しぐさを活かしている事例

 最近、企業、学校など各分野で江戸しぐさを活かし始めています。次にその一例を紹介します。

事例1.

 東京都千代田区は、02年10月1日に全国初の罰則付き「路上禁煙条例」を施行し、同11月1日から罰則の適用を始めました。なにしろ全国で始めての試みだったので、路上喫煙は禁止であるが、違反者にスムーズに反則金の2000円を払ってもらえるだろうか考えた末に、現場の担当者に江戸の人の知恵を今に生かそうということで次のような江戸しぐさを取り入れることにしました。

・ 相手の気持ちになって対応
・ 相手に恥を欠かせない
・ 丁寧なしぐさと言葉遣い
・ 相手の目を見て話す
・ 切符をすばやく出せるように次のページを折って準備し、違反者にいらいらさせない。

その結果、1年間で違反者に過料2千円を適用したのは5443件、うち現場で現金を徴収したのは3956件という好結果に繋がりました。

事例2.

 2006年4月7日の読売新聞東京本社朝刊に、『「傘かしげ」「時泥棒」・・・今に生きる思いやり「江戸しぐさ」道徳教材に』と見出しで次のような記事が載っていました。

◆あいさつする子増えた

 江戸時代の町民たちの公衆マナーである「江戸しぐさ」を、道徳の時間に取りあげる動きが広がっている。
◎「江戸しぐさ」は、当時、世界でも有数の人口密集都市だった江戸で、お互いを尊重しつつ、気持ちよく生活するため生み出された庶民の知恵。その江戸の中心地、東京都千代田区は今春から教材作りを始め、区立の全小中学校で今年度から使用してもらう予定だ。
 江戸しぐさは、行動規範にまで広がる。電車やバスでの席の譲り合いなど、現代社会にもつながるとして、公共広告機構の啓発広告や社員研修などに利用されている。
 昨年から区民向けの教養講座などで江戸しぐさを伝えてきた千代田区では今年度から、教育現場にも導入する。区教育委員会は、10の区立小中学校と区立中高一貫校に、道徳の時間で取りあげるよう指示。道徳の教諭らが今秋を目指して、教材作りを始め、しぐさがよく分かるように、イラストを多く使ったり、映像資料を付けたりする予定という。
また、江戸しぐさを身につけた地域の“江戸っ子”を招き、授業をしてもらうことも検討中だ。「マナーとともに、地域のことを学ぶことにもなる」と、一挙両得を狙う企画。石川雅己区長も「地域が共生していくための基盤として、子供のころから身につけて欲しい」と意気込む。
 すでに取り入れている学校も。江戸の下町だった台東区の忍岡中学校では2年前から、道徳の時間に教師が「傘かしげ」などの動作を取り入れた寸劇を行ったり、学校生活のルールとして紹介してきた。
そのかいあってか、「下校する中学生が横に広がって歩いていて迷惑」といった地域の苦情がなくなる一方、「道で会うとあいさつする子が増えた」と評判は上々だ。「あれをしなさい、これをするなというより、江戸っ子らしく粋にやろうといった方が、子供たちも納得してくれます」と、永久保佳孝副校長は話す。
「かつては大人から子供に受け継がれていた。小中で教わる機会があるのはいいこと」。江戸しぐさの研究家で、「江戸しぐさ語り部の会」の越川禮子会長は、こうした動きを歓迎する。最近は九州や四国などからも講演依頼があるといい、「東京だけでなく、全国に広がってほしい」と期待している(大木隆士)、というものです。

まとめ

 いままでご紹介しましたように「江戸しぐさ」は、「他者に対する優しさ、思いやり(共生)」という日本人独特の思想を基本としたコミュニケーションスキルと捕らえることが出来ます。
 
この「他者に対する優しさ、思いやり」は、明治以降来日した多くの外国人も感嘆しています。例えば、明治初期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースの体験を紹介しましょう。ある日、モースは十歳くらいの二人日本人の少女を連れて東京の夜店を散策しました。少女の一人は日本で雇い入れた料理人の子供であり、もう一人はとその友だちです。モースはこの二人に十銭ずつ小遣いを与え、何に使うだろうと興味をもって眺めてたところ、ふたりは、道端に座って三味線を弾いている物乞いの女に歩み寄ると、地べたのザルにおのおの一銭を置きました。みずからも貧しい身なりをした少女たちの振る舞いを、モースは驚きのまなざしで「日本その日その日」(東洋文庫)に書き留めています。
 このような他者に対する優しさという基本思想を具現化した江戸しぐさは、近年の社会不安が高まっているいる昨今、コミュニケーションスキルとして見直され多くの企業や学校で取り上げられはじめています。 また一部の人たちからは、江戸しぐさをグローバルスタンダードにしようという動きもあるようです。素晴らしいことだと思いますが、これは大変なことです。何故なら江戸しぐさは前述のように日本人ならではの特質にねざしたものであり、外国人とは考え方が根本的に違うからです。(この違いについては国際日本文化センター安田 喜憲(やすだ よしのり)教授の考え方がもっとも明解と思われます。この内容を簡単に紹介しますと、稲作漁労の民である日本人は全てのものと共生するという考えだが、牧畜の民であるアングロサクソンや中華民族など殆どの外国人はあらゆるものを制覇するという考えが基本的な考えだからです。従って、「すみません」のところで触れたように、外国人にうっかり「うかつあやまり」などしてしまうととんでもないことになってしまいます。
もっとも、L.チャンドラーの小説「プレイバック」の中の探偵フィリップ・マーロウの『If I wasn't hard,I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to be alive』(強くなければ生きられない。優しくなければ生きる資格がないのせりふのように、「他者にたいする優しさ、思いやり」は洋の東西を問わず人間としてもっとも重要な要素ですので、うまく融合することを望みたいものです。